オオカミとその復活を観上げるための店頭で入手可能な書物 « 一般社団法人日本オオカミ協会

オオカミとその復活を観上げるための店頭で入手可能な書物


○  エリック・ツィーメン著  今泉みね子訳  『オオカミ:その行動・生態・神話』白水
社(1990)定価[4700円+税]


著者はドイツのオオカミ研究者である。囲柵中のオオカミ観察記録にもとづいているので、オオカミの成長に伴う行動発達、出産、子育て、個体間コミュニケーション、アルファやオメガなど群れの構造など詳しく記されている。群れ内の社会的ストレスがオオカミ
の繁殖や出生死亡に大きく影響していること、子供の死亡率が高いのには驚かされる。
ツィーメンは、WWFのサポートを得て、イタリアのオオカミ研究者ルイジ・ボイターニ
(現在、米国のデイブ・ミッチ博士とともにオオカミ保護管理の世界的権威)とともにア
ブルッツイ地方に残存するオオカミ個体群のフィールド調査を行い、その詳細な調査結果
が紹介されている。アブルィツイの町や村の住人はオオカミの存在に気が付いていない。
オオカミが、同じ場所に住みながら、巧みに人間を避けて生活しているありさまが紹介さ
れている。「赤ずきんちゃん症候群」にかかっている人々には是非とも知ってもらいたい
事実である。「赤ずきんちゃん症候群」は結局、文明病なのである。自然を支配の対象と
する、とりわけキリスト教に根差したヨーロッパ文明は高度に発展するほどに狂気のごと
くオオカミ殺しを進めた。日本人も文明開化で伝統文化を捨ててキリスト教文明を受け入
れることによって、オオカミを過去の歴史として葬り去ったのである。その後遺症はあま
りに重い。ツィーメンはこれに気づかせてくれるのだ。1990年代半ば、スペインのレオ
ン市で開催された国際オオカミ会議でツィーメンとワインを飲みながら話した。彼は言
った。「日本人はあまりに自分たちの歴史を軽々しく扱っている。」少なくともオオカミ
に関して彼の指摘は間違っていない。この書ではオオカミ保護に関して彼の考えは揺れて
いる。当時依然として、あまりにオオカミへの世の風当たりが強い時代だったからだ。日
本でさえもオオカミ復活運動が盛り上がっている今だったら、彼はなんと言うだろうか。
会う機会があったら聞いてみたいものだ。是非、読んでいただきたい著作である。

○ ウイリアム・ソウルゼンバーグ著
野中香方子訳『捕食者なき世界』文芸春秋社
(2010)定価[1900円+税]


「獣害列島」とでも呼びたい日本の惨状にこれほどタイムリーな本はない。今日の獣害の原因が頂点捕食者オオカミの不在にあり、その復活が問題解決の切り札だということを論理的にわからせてくれる。オオカミの復活。この言葉を口にするのはもうタブーではなくなった。長年サイエンスライターとして自然保護に強い関心を示してきた著者は、この書で世界中の自然が頂点捕食者を失い、その結果恐ろしい危機に直面している実例を紹介するだけでなく、問題の本質を進化史の中で解き明かしている。要点を紹介する。
その一:「生物多様性」は今や流行語の感が強いが、これはまさに地球誕生間もなく出
現する生物の食物連鎖が織り成す生存競争の進化の産物だったのだ。捕食者はより上手に
獲物を捕らえ、末永く繁栄しようと努力する。一方、駆られる側(被食者)は何とか攻撃
をかいくぐり生き延びようと驚くほどの工夫を見せる。地球に生命が誕生してすぐに始ま
った緊張感あふれるこの種間関係は「無限回」の試行錯誤を繰り返すうちに徐々に進化
し、想像を超える歳月の末に今日の生物界を造り上げた。人類もまた、この仕組みの中で
誕生し、進化し、今日に至ったがゆえに、いかなる科学技術をもってしても、この枠組み
から外れることはできない。
その二は、多様な生物によって組立てられている構造物としての生態系は、「かなめ」としての生物種を取り去ると崩壊するということ。石組みアーチの頂点におかれる要石
(キーストーン)にたとえられる種とは、紛れもなく「生態系の頂点に立つ捕食者」のこ
とである。キーストーン種は「中間捕食者」ではなく、あくまで「頂点捕食者」なのであ
る。中間捕食者は頂点捕食者の捕食によってコントロールされるがゆえに、頂点捕食者不
在下では、暴発的に増加して勢力を過剰に拡大し、被食者の絶滅を招くなどして、生態系
を混乱させ、崩壊に導くのである。沖縄のハブ退治用に導入されたマングースとハブの関
係はまさしくこのようなものだったのである。
その三は、それゆえに頂点捕食者の復活は、単に種の復活のだけの問題にとどまらず、
崩壊しつつある生物多様性と生態系そのものの全体的復元につながるものだという重大な
意味を秘めていること。だから、北米、欧州、中国などの各国でオオカミだけでなくオオ
ヤマネコなど頂点捕食者の再導入や保護が、国家元首の主導のもとに、国際的に進められ
ようとしている。わが国でもオオカミ復活に関する国民の理解が進んでいるが、これに対
して「時期尚早」「オオカミは外来種」「危険な蛮獣」などと反対する研究者、行政担当
者がいるのは呆れたことである。自然保護運動家にもそうした人物がいるが、原理主義的
な硬直した考えに凝り固まっているために、保全生物学の本質、生態系の進化学上の本質
を理解できずにいるからであろう。
その四は、頂点捕食者はじめ破壊された生態系復活の遡及目標年代の決定である。新大
陸に関してこれまで考えられていた、白人到達時の15世紀コロンブス時代とされてきた
が、アメリカ原住民が武器を携え、旧大陸から新大陸へ移住してきた最終氷期にまでさか
のぼるというのが新説である。この時代に彼らは強力な武器を使って、洪積世を通じて生
息してきたメガファウナ(巨大動物相)を巨大な捕食者とともに葬り去った。以来、新大
陸は、著者によれば「生態学的に骨抜き」となったのである。これに気づいた保全生物学
の重鎮である一団の科学者たちが、その復活を目指して活動を始めたのが半世紀前のこと
だという。その奇想さは、もちろん、仲間の研究者や世間から冷笑され無視されたが、著
者は論理的には納得できるものだと評価する。こうした批判や冷遇が、人類の心に染みつ
いた捕食者恐怖本能に起源するものであり、これによる根強い反対は頂点捕食者復活運動
が避けて通れないものなのかもしれない。さて、わが国でも、尾瀬や知床、大台ケ原をは
じめとして、各地の生態系復元の遡及年代の探索は大切な課題である。それはヨーロッパ
文明に汚染される前の江戸時代なのか、農耕が盛んになる弥生時代以前か、はたまた最終
氷期が終わる日本列島が大陸から切り離された時代なのか。さて、こうした大仕事に日本
の研究者が取り組めるかどうか見たいものである。
その五は、増えすぎたシカやイノシシをオオカミが減らすことができるかどうかという
問題だ。何年か前、北海道庁の専門家はこれに関して全く否定的であった。しかし、イエ
ローストーン国立公園での最新の研究成果を見る限り「イエス」である。頂点捕食者オオ
カミの効果は、従来知られていた獲物を捕食して減らす「直接効果」だけでなく、オオカ
ミに対して抱く恐怖心だけで被食者の繁殖率が低下したり、劣悪なハビタット選択を強い
られて栄養状態が悪化したりする「間接的な効果」による影響が大きいことを紹介してい
る。これは、生態系の中での捕食者の役割を軽視し、食料としての植生の量だけを取り上
げようとする「ボトムアップ説」に対する反証であり、自然生態系のバランスの維持に捕
食者の貢献が大きいとする「トップダウン説」を支持するものである。
エピローグも考えさせられる。異常な環境に日常的に接していると、それを異常とは感
じなくなる「シフティング・ベースライン・シンドローム(基準推移症候群)」について
紹介している。都市生活者が虫や土など自然を嫌悪し恐れるのがこれだ。「ゆでかえる症
候群」とか「風景健忘症」とも呼ばれる。日本では今、オオカミの復活が必要だが、これ
に対する拒絶反応の根強さには呆れるばかりである。多くの日本人がオオカミのいない異
常な世界に慣れきってしまっているからだ。判断基準が正常からずれても、これを尋常だと信じて疑わない。本書は、異常にずれてしまった日本人の判断基準を正常化するのに大
いに役立つのではないだろうか。
ついでに指摘すれば、巻末の解説(高槻成規氏)は蛇足である。「オオカミがいなくな
ったせいでシカが増えたのであれば、約100年間増えなかったことをどう説明するのか。
諸説あるが、明快な決定打はない」と記している。明治維新以降、最近まで日本には活発
な狩猟人口が山村を中心に豊富に存在し、彼らによる日常的な強い狩猟圧によって、シカ
をはじめとして多くの野生鳥獣がその増加を抑え込まれていたのをご存じないのだろう
か。分かりきったことを勿体ぶってぼかすのは思慮深い研究者のすることではない。オオ
カミによるシカの生息頭数の調節効果を認めるふりをしつつ、一方でそれを否定するかの
ような言い回しは議論をはぐらかすものである。保全生態学を専門にしているのならば、
各地の山村に古老を訪ねて聞き取り調査をすることを薦める。また、琉球のマングース導
入問題に関しても素人レベルの知識しか持ち合わせておいででないことがわかる。本書を
読んでの解説ならば、マングースとハブは「中間捕食者」と「頂点捕食者」のどちらだと
考えておいでなのだろうか。

○ 平岩米吉著『狼―その生態と歴史』築地書館(1992) 定価[2600円+税]


著者は市井のオオカミ研究者である。戦前、著者は、オオカミだけでなく、ジャッカル、キツネ、タヌキ、ハイエナなどを邸内に放して観察していたという。かなり趣味的で雑多な章立てで、本書の約4分の一の80頁はイヌ科の簡単な分類記述と犬とオオカミの形態と行動の比較に充てられている。古典的形態分類学をなぞっているので、参考知識として読んだらよい。これに続く4分の3は、信仰、被害、狩猟など日本でのオオカミと人との民俗学的交渉を史料にもとづき記述している。江戸中期以降の狂犬病罹病オオカミの記録の事細かな紹介が多いので、読者にオオカミというと狂犬病(日本ではすでに撲滅)を連想させてしまい、狂犬病の恐ろしさを重ねてオオカミの負のイメージを作りあげてしまっているのは困ったことである。一国の人口の約10%に相当する犬が生息するという説に
従えば、江戸時代には飼い犬、野犬含めて100万頭から300万頭の犬が生息していたことに
なり、狂犬病罹病個体はオオカミ(全国で1万頭以下と推定)よりも犬の方が圧倒的に多
かったであろう。本書の記述は真偽入り混じっているので鵜呑みにするのは誤解のもとである。

○  丸山直樹・須田知樹・小金澤正昭編著『オオカミを放つ』白水社(2007)定価
[1800円+税]


オオカミ、シカ、イノシシ、サル、生態系、現代のオオカミ観に関しての研究者11人による実際の研究報告と解説、それにポーランドとモンゴルでのオオカミの生態と保護管理、オオカミ観を紹介。生態系問題では、その中での植食動物と捕食動物の関係である食物連鎖とその分解過程の腐食連鎖の役割、シカの適正密度、これと生物多様性、狩猟圧などについて解説。オオカミは生態系に悪い影響を及ぼすことはなく、劣化した生物多様性を復元するための切り札であることを指摘。日本の代表的な高層湿原である尾瀬への渡りジカ出現の経緯と背景、供給源、基本的な考え方について解説。オオカミの食性、その選択と日本に復活した場合の予想される食性を、これまでの食性研究を総括して解説。家畜被害の発生の可能性についても検討し、オオカミが絶滅危惧種や希少種などの小動物を捕食によって絶滅させる可能性がないことを論証。シカの個体数調整機能については、イエローストーンでの実例研究がなされる以前の推計理論、すなわちオオカミの実際の捕食量だけに基づいているためにオオカミの能力を過小評価している理論的研究例を紹介して
いるので、この記述は今や古くなっていて不完全である。最新の学説では、オオカミのシカなどの被食動物の生息密度抑制効果は、実際の捕食効果に加えて、被食動物が受ける心理的な恐怖(ストレス)効果を加える必要があることが定説になっている(ソウルゼンバーグ、W.『捕食者なき世界』参照)。オオカミの人食いは、健康なオオカミや人が正しい態度で接しているオオカミでは発生しないことを解説。日本でのオオカミ復活を理解するための必読書といえる。

○ 柴田叡弌・日野輝明編著『大台ケ原の自然誌』東海大学出版会(2009)  定価[3500円+税]


大台ケ原の生態系におよぼすシカの影響を28人の研究者が取り組んだ研究論文集。増えすぎたシカの生態系への恐るべき影響がいろいろな生態系の構成部分から調査されている。シカの恐るべき破壊力を理解する上で役に立つ。しかし、これだけ多くの生態学の研究者が集まっていながら、誰一人としてオオカミを頂点捕食者とする食物連鎖の役割に関して議論していないのが不思議である。

○ 依光良三編『シカと日本の森林』築地書館(2011) 定価[2200円+税]


最近の増えすぎたシカによる生態系と農林業被害の全国的な蔓延は、戦後、経済成長を成し遂げ、繁栄を謳歌する日本の森林を襲った大災害というべきであろう。シカ被害を11人の研究者と運動家が分析し、解説する好書である。食物連鎖の縛りから解き放され、環境条件が好変すればたちまち環境の収容力限界を超えて増加し続け、森林植生の破壊に端を発して、野生動物を減少絶滅に追い込み、地形崩壊、土壌流出を招いて、雪崩のように生態系を根底から崩壊させるシカの破壊力を、環境とシカの生態、それに山村社会の変貌から実例を踏まえながら分析し解説する。全国的に実例を眺めた後は、四国の剣山・三嶺山系に焦点を合わせ、これを地道に検証し、被害防除方法、行政・市民団体の連携による被害防除活動の様子を紹介する。調査研究、普及啓発、保護柵建設、駆除など考えられる方策の実施体験を紹介するとともに、欧米にも目を向けて有効な方策を探すのであるが、山村社会の衰退を踏まえて「増え続けるシカ、イノシシなど野生獣を人の手では制御不能になる時期が近づいている」「このような事態の進行は、オオカミ導入論に有利に
働くようになり、やがて否応なく検討が必要になろう」という結論に至る。評者もこれに
は同感である。しかし、「オオカミ再導入のメリットは大きいとしても諸々の課題克服ま
での道のりは険しいものがあるかもしれない」と述べ、「それ故、当面は人の手によるシカ対策が必要である」と堂々巡りの議論から抜け出せない。真実に裏打ちされた大義に従って世論をリードするという、強靭でぶれない意志こそオオカミ導入に必要なものなのだが、こうした厄介は背負い込みたくないと編者・執筆者は諦め、開き直っているようである。環境省をはじめとした主管行政、関係研究者、関係団体、有識者、地域住民などの思考の限界を代弁している点で意義ある著述である。ないものねだりをするならば、課題克服に至る険しい道のりを踏破する論理的見通しとその担い手、これをやり遂げるための強い意志が示されるならば、文句なく満点を献呈すべき著作である。

○ 菱川晶子著『狼の民俗学:人獣交渉史の研究』東京大学出版会(2009)  定価[7200円+税]


著者の学位論文に基づく民俗学分野の大著である。歴史にあって、時代、地域によってさまざまな感情を私たちの先祖はオオカミに対して抱いていたようである。これが何によるものであるかの分析は本書の課題であるが、柳田邦夫に始まる民俗学は、主観的、伝承従属的で、そうした論理的分析に弱いという印象が強い。柳田のオオカミ論は今西によって批判されたというが、その今西のオオカミ理解も間違いが多い。「近年、狼の再導入案も浮上してきている」が「直接的にはその是非を問う立場にはない私だが」と述べる著者の民俗学的スタンスからして、本書にオオカミの生態学的真実を見ようとしたり、オオカミ復活の是非に関する論拠を見出そうとするのは無理というものである。それゆえ、オオカミ復活を考えようとする人たちには直接的な意味を持たない著作であるが、民俗学的教養を身につけるためには良書であろう。

○ 栗栖健著『日本人とオオカミ』雄山閣(2004)


「わが国の昔話類には、なぜ、ヨーロッパの寓話などのように、オオカミが出てこないのだろう」これは著者の執筆の原動力となった問いかけである。日本の農民層のオオカミ観と欧州・中国のそれとは対照的である。また、農民層と貴族ら支配層、知識人とのそれとでは互いに異質な面を持ち、両者の間を揺れ動きながら形を成してきたために、浮動的で輪郭不明瞭、むしろ二重構造と呼べる。二重性を内包した日本人のオオカミ観は「神から凶獣へ」と時代とともに変化した。この農民層のオオカミ観はわが国文化の基層をなすものである。このように述べる著者の視点は、民俗学的である。生物多様性とか自然生態系の保全からオオカミ復活を求める現代的な自然観とは直接つながらない。

○  Adrian P. Wydeven, Timothy R. Van Deelen, Edward J. Heske (eds) “Recovery of
Gray Wolves in the Great Lakes Region of the United States” Springer (2009).


英文に関心ある人たちに是非一読をお勧めする。米国のオオカミ復活地域は、イエローストーン国立公園を含む北部ロッキー山地が位置するモンタナ、ワイオミング、アイダホ三州が知られているが、五大湖西岸一帯のミネソタ、ウイスコンシン、ミシガン三州も
前者をはるかに凌ぐオオカミ復活地域である。この地域での生態学的、分類学的、法律的、運動論的研究を収録した論文集である。日本の本州に匹敵するような広大な地域における、オオカミの分布拡大、個体数の増加、移動分散、捕食生態、オオカミに関する世論、普及教育など、日本でのオオカミ復活を考える上での重要な情報が豊富に詰まっている。オオカミ研究者や学生、行政関係の専門家に是非勧めたい必読書といってよい。

○ ラガッシュ・C.-C.、G.ラガッシュ著  高橋正男訳  『狼と西洋文明』八坂書房(1989)定価[2800円]


この書の紙面8割以上はフランス人の誤解と偏見に充ちたオオカミ蛮獣視とその虐殺の歴史をこれでもかとばかり飽き飽きするほど繰り返し記述する。これを真面目に読んでいると、虚実入り混じって、冷静な判断が麻痺し、オオカミが獰猛でいつでも人食いをする悪魔の呪いがかかった悪獣のように信じられてくるから恐ろしい。「虚」が大部分で「真実」を見出すのが難しい。そこで著者は「狼の教育的機能は狼がフランスから消えてしまったにもかかわらず永久に続くだろう。なぜならば、狼の呪われたイメージは学校とともに生き残ったからである。環境保護のキャンペーンにもかかわらず、誤解され、被害者となった動物Canis lupusの絶滅を悔やむ者は少ない」と述べている。「フランス」を「日本」と言い換えても通用する。第七章「狼の復権」では「何をさしおいてもやらなければならないのは、野生動物は『怖くはない』ことと、しばしば文学がやりすぎたように人間の道徳で動物の習性なり行動をはかってはいけない、ことを子供たちに納得させることである」と述べ、狼を主役にした新時代の多様な絵本や物語を論評する。狼を理想化する物語は狼を復権させることはできない。本書での記述には事実誤認も少なくない。オオカミの生息現況と生態に関する知識を持たない素人が真偽入り混ぜた本書を読むのは危険である。動物文学研究者や自然観とか動物観の歴史的変遷に強い関心を抱くマニア向きの書である。

○  ダニエル・ベルナール著  高橋正男訳『狼と人間:ヨーロッパ文化の深層』平凡社
(1991) 定価[3600円]


これもラガッシュ「狼と西洋文明」の類書である。この書をもってオオカミの生態を学習しようなどと決して考えてはならない。あくまでもオオカミにまつわるフランスを中心にしたヨーロッパの伝承や寓話を集めた民俗学書なのである。知人の仏文学者でオオカミ
を正しく認識しようと努力しながらいつまでもオオカミによる人食いを恐れていた人がいた。こうした訳書の世界に否応なく引き込まれ、知らぬうちに強く影響されていたためではないかと想像する。こうした癖の強い著作は、オオカミの生態を正しく認識し、その復活を理解しようとする人たちの入門書としては勧められない。「科学的知識と思考」という強い免疫を持っていないと、読んでいるうちにいつの間にか、オオカミを誤解して恐れる「赤ずきんちゃん症候群」に罹ってしまう可能性が大きい。

○  吉家世洋著  丸山直樹監修  『日本の森にオオカミを放て』ビイングネットプレス
(2007) 定価[1600円+税]


科学ジャーナリストによるオオカミ復活入門書。オオカミと生態系について考えさせてくれる。オオカミ復活プロジェクトのエッセンスがこの一冊にギュッと詰まっている。7章に分けて、オオカミの生態、日本の森林破壊とシカ・カモシカの食害の関係、生態系システム等、テーマ別に一般の人が無理なくオオカミ復活の必要性を理解できる入門書。

○ 和田一雄著『ニホンザル保全学』農文協(2008) 定価[2200円+税]


サルを中心にした野生哺乳類の老練学者による著作である。副題「猿害の根本的解決に向けて」とあるが、サルだけでなく、ネズミ類、シカ、イノシシ、クマ類についても百数十ページと少なからぬ紙数を割いているのを見ると、書名は狭すぎた感がする。しかし、最後まで読み通すと、やはりこれでよいのだと思うだろう。「保全学」は1990年代から使われ始めた用語であるが、人間による野生動物と自然の管理に他ならない。「保護とは人間が対象とする自然を一方的に守るということであり、保全とは自然と人間の関係を調整することである」とは著者の定義である。「保全」とは”conservation”のことであり、この語の意味は「保護protection」と「利用exploitation」という二義から構成されるという解釈もある。この書の意図は、サルはじめ問題哺乳類にまつわる両義の対立と矛盾を意識的/無意識的に扱ってきた野生動物保全科学への批判にある。

著者流に言えば「科学の制度化が国内外で浸透した後に形成された科学」としてのサル保全学の批判である。それゆえに、サルの研究史記述が続く。京都大学霊長類研究所とモンキーセンターを舞台にして、動物社会学的から社会生態学的、流行の集団遺伝学へと、論文は生産されるが、生まれては消えを繰り返しながら、研究視点は時代とともに変化する。その研究は創始段階からニホンザルの利用と失敗という負の側面を持っていたという。研究史の記述はまさに文献レビューそのものである。この分野の学徒にとっては便利かもしれないが、一般の読者にとって、これが「保全学」という文脈のなかでどのような役割を果たしているのか読み取るには理解力と忍耐を要する。読み進むうちに、この段階は保全学段階ではなく、その前段階なのだとようやく気付く。この辺は読者のことを考えてもう少し整理ができただろうにと思う。はじめはこんな具合であるので、お堅い科学思想史を扱った本かと感じてしまうが、読み進むとそうでもないことがわかる。
オオカミ復活Q&Aでの書評として本書を取り上げたのは、オオカミについての記述が
あったからである。日本のこの分野の多くの研究者にとって「オオカミ」は口にチャック
=タブーなのだから(日本の研究者は視野が狭く、積極性に欠け、偏屈者、臆病者が多い
と感じる)、たとえ短くてもオオカミに触れているこの書は稀少である。オオカミの復活
が、絶滅種の復活とそれによる日本の自然生態系の回復に必要なだけでなく、サルも含め
て獣害対策に欠かせないことは著者の言うとおりである。だが、導入に関して紹介されて
いる研究は賞味期限切れのものも含まれおり、レビューとしてきちんと評価されていない
ので、サルとオオカミの関係について考える材料が欲しいと思う読者にとっては物足りな
いのではないだろうか。サルの農耕地や里からの「追い上げ」とオオカミとの比較がた
っぷりあってもよいのだが、両者の比較検討がほとんどないのは肩透かしである。「オオ
カミについてはシカ、イノシシの個体群動態との関係で、生物群集の動態管理の視点が導
入されなければならない」などの提案は不消化かつ断片的で分かりにくい。保全学的なサ
ルのフィールド研究や猿害防除技術や防除策について「微・粗」入り混じった紹介が行わ
れる。しかし、どの方策をとってみても有効打がないことを明記すべきである。
この書はサルの保全学と名乗ってはいるが、単なるニホンザルの研究史だったのだろう
か。読者の頭は最後まで混乱したままである。生息地破壊の農林行政、官僚組織と所有権
の壁、鳥獣保護法の活用、活力ある村づくり(実は失敗続き)など興味をひかれるフレ
ーズが目につくが、「ちょい食い味見食堂」みたいで、これはこれで面白いが、オーダ
ーしても本格的な料理はなかなか出てこないかもしれない。その理由は「あとがき」にあ
るようだが、これも一言で紹介するのに苦労する。実に縄を掛け難い、視点が気ままに動
き回る誠に自由な研究史風な随筆と言おうか。でも随筆ではない。やはり研究史なのか。

「研究史とは、やることがなく棺桶に片足を突っ込んだやくざな人間が、適当に自分の仕
事を正当化するための作業だというのがもっぱらの評価である」との著者のつぶやき的記
述を読んで、最後までページをめくり通した評者は解放されてホッとする。そうだったの
か、しかしそれにしてもだ。サル保全学への道筋とサル保全学の概略を知りたい人には一
読の価値があるかも。



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