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長野県知事 阿部守一様 あなたのオオカミ答弁は変ですよ!

2012 年 5 月 1 日 火曜日

[毎日新聞2012年2月28日地方版、仲村隆記者]

この記事によると、同県2月定例議会で永井一雄県議によるオオカミ導入に対する阿部知事の答弁は、「オオカミの一つの群れが、生息に必要な面積は県の10分の1に当たる広さ。現実として難しい」であった。エッ、本当?これには驚いた。

同県の面積は、13,133平方キロメートル。その10分の1は1,313平方キロメートルとなる。こんな「べらぼう」なオオカミのナワバリ面積などツンドラ地帯以外の地域では聞いたことがない。通常、食べ物となるシカの頭数が十分であれば、オオカミの一つの群れ(群れ構成数5ないし6頭)のナワバリの面積は100~200平方キロメートルと考えられ、長野県のようなシカの増えすぎ状況下では、100平方キロメートル以下になることも知られている。ドイツのラウジッツ地方のように森林率が20パーセントと低いところでも、オオカミの群れは8群が生息し、単純に同地方の面積2500平方キロメートルを群れで割ると300平方キロメートルである。同知事の答弁にあるオオカミ一群れの必要面積は、実際の10倍前後ととてつもなく大きいことが分かる。知事は、事務当局が用意したメモにある数値を一桁読み違えたのかもしれない。そんなことで「現実として難しい」もあったものではなかろう。

しかも、「オオカミがニホンジカの頭数をコントロールするのは困難」などと、見当違いで頓珍漢な答弁をされると、質問者にとってもオオカミにとってもまったく腹立たしい限りであろう。ちなみに、北米や欧州のデータに基づく概算では、長野県のオオカミの可住面積を同県の60パーセント、7800平方キロメートル、オオカミの一群れに必要な面積をナワバリ面積と緩衝地帯面積を合わせて120平方キロメートルと想定すると60群、360頭のオオカミが生息可能である。もちろん、この推計は前提となる数値によって変動するが、どう転んでも知事の答弁のような結論にはならないのである。

失礼ながら、阿部知事に申し上げたい。きちんとした生態情報に基づくことなく、否定的結論を出すのは、科学的ではない。正しい情報を集めて客観的な分析を行い、公正な判断を下すべきである。また、事務当局も、オオカミを毛嫌いするのではなく、オオカミについてよく勉強し、正確で公平な情報を知事にテーチインしてもらいたい。無知蒙昧な行政は県民を不幸にする。それだけでなく、かけがえのない自然を破壊してしまう。

(2012年4月30日記:狼花亭)

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福知山市ではなぜ常設捕獲隊が集まらないのか

2011 年 8 月 29 日 月曜日


記事を抜粋すると、次のようになろう。

『常設捕獲隊発足できず 福知山市の有害鳥獣対策』

有害鳥獣対策を狙い、福知山市が目玉事業として本年度当初予算で計画した(京都)府内発の常設の捕獲実施隊が発足できずにいる。地元2猟友会から選抜した隊員が有償で月16日間、市内を駆除に回る構想だが、両会との調整が難航。
同市では昨夏、山中で駆除中の猟友会員2人が死亡する猟銃事故が発生。市は対策のため、猟友会に許可を出して日時や地域を定めず駆除を任せていた従来方針を見直し、月2回の一斉捕獲としたが、今度は農家から実効性に不満が出ていた。
こうした背景から、常設の捕獲隊構想は計画的な駆除と安全確保の両立を図る新たなアイデアとして注目を集め、市も「府内の有害鳥獣対策モデルを目指す」(林業振興課)自負と。2月に発表した当初予算案で事業費1千万円を計上した。ところが今年度に入っても発足せず、今も契約に至っていない。
その理由は、関係者の話を総合すると、各地域の班単位で動いていた従来のやり方と違い、なじみの薄いメンバーと土地勘の乏しい山で駆除を行うことへの懸念や、高齢化で連日動ける会員が少ないため、隊員8人の選抜が難航。さらに猟友会長と市担当者の双方が4月以降に交代したことも影響しているという。<以下略>
京都新聞2011/8/23 http://kyoto-np.jp/politics/article/20110823000031

狩猟者の激減および高齢化は、この市だけでなく全国的な傾向である。今後の獣害対策として、頂点捕食者オオカミは奥山中心、狩猟者は里山中心という図式が考えられるが、これには一定数のハンターの確保が前提となる。ハンター確保に関して、この市の方策は注目されるが、残念ながら難航しているようだ。その理由のひとつは、高齢化により人員確保ができないことにあるのだから、これでは答えになっていない。ハンターが減ってしまって、確保困難ということで常設隊編成構想が出てきたのである。地元で常設隊の人材が集まらないのは当たり前である。この正解は、現役狩猟者でなく、若い新人の採用が必要なのである。人材は、地元に限らず、広く募集し、採用試験も実施すべきである。新人にとっては狩猟に慣れる訓練期間が必要であり、定期的な技能試験も義務付ける必要がある。新人訓練にこそ、土地勘があって狩猟技術に優れた地元の老練ハンターを採用すればよい。福知山市の捕獲隊員は非常勤であるが、正規の常勤にすべきである。そうでなければ人は集まらない。また事故が起きた場合、隊員は業務上過失傷害または致死に問われるので、新保険制度整備に加えて、事故防止技術の開発と常日頃からの厳しい訓練が必要である。人に銃口が向いた際や、駆除地域に侵入者がある場合には、警報装置が作動するといった事故防止技術の開発が不可欠であろう。隊員の連帯感は、時間とともに強くなるから、最初は「なじみ」がなくても心配は要らない。こうした常設捕獲隊システムの確立は、復活オオカミの人馴れ防止教育にとっても不可欠である。工夫を重ねてぜひとも実現してもらいたい。(丸山直樹)

 

 

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地方議会ではオオカミ再導入をめぐってどう議論されているか?-報道の公平さに疑問!

2011 年 8 月 15 日 月曜日

豊後大野市の橋本祐輔市長によるオオカミ再導入提案に対して、3月8日の地元紙(大分合同新聞 http://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_129954755421.html )は、見出しを「オオカミ導入案に異論続出」とし、市議会において、市長がまるで孤立無援であるかのような印象を読者に与える報道をしていた。ところが、この質疑の翌々日に、市長の提案を十分理解した賛同者の質問があった(平成23年第1回豊後大野市議会定例会会議録:平成23年3月 定例会(第1回)-03月07日-02号 http://www.gijiroku.jp/gikai/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?A=frameNittei&USR=bgon&PWD=&XM=000000000000000&L=1&S=15&Y=%95%bd%90%ac23%94%4e&B=-1&T=-1&T0=-1&O=-1&P1=&P2=&P3=&P=1&K=1&N=3&W1=&W2=&W3=&W4=&DU=1&WDT=1 -03月09日-04号http://www.gijiroku.jp/gikai/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?A=frameNittei&USR=bgon&PWD=&XM=000000000000000&L=1&S=15&Y=%95%bd%90%ac23%94%4e&B=-1&T=-1&T0=-1&O=-1&P1=&P2=&P3=&P=1&K=1&N=5&W1=&W2=&W3=&W4=&DU=1&WDT=1 )。しかし、それは報道されていなかったようである。もし報道されていたならば、一般の人々の印象は大きく変わっていたはずである。ここには報道のあり方の問題がある。事実に則して公平でなければならない報道ではあるが、興味本位のつまみ食い的報道は、結果的には「偏向」報道になってしまい、正しく情報を社会に伝えられないのである。ひょっとして、この記事を書いた記者と新聞社は、オオカミ復活を快く思っていなかったのかもしれない。となると、報道の公平性はまるでなくなり、単なる宣伝紙にすぎない。

2011年前半、全国の地方議会で、オオカミ再導入に関する首長への質疑が、長野県議会を始め、九州の霧島市、長野県須坂市、上田市、青木村で行われている(議事録紹介 割愛)。これに対する首長の回答は、すべてが紹介されていないが、国では否定的だから、検討は時期尚早と述べる「中央追随的反対」、豊後大野市の提案について状況を見ていきたいとする「日和見論」、および同市の提案に賛同する「賛成論」の3つに分けられるであろう。また、ここで知る限りでは、質問の共通点は、現在のシカを含めた野生動物管理の行方に大きな懸念を抱き、オオカミ導入についての提案は最近になって知った、ということである。わが日本オオカミ協会の声は、いつの間にか、広く届き、いくつもの自治体で真剣に取り上げられているのである。

「中央追随的反対論」「日和見論」に関して言えば、思考停止かつ上意下達。こうした考え方は、地方の時代と言われる今日、現場に足を置き住民のリーダーとしての役割を期待されている首長として頼りないものがある。これでは地域での議論の深化はなかなか難しそうだ。ケインズは述べている。「この世でいちばん難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを捨てることだ。」なるほどそれもそうだ。いつまでも古ぼけた考えを後生大事に抱えていれば、新しい価値ある発想を受け入れる余地がないというものである。どうやら、国、地方を問わず、政治家諸氏には、新しい発想を受け入れるために頭の大掃除を願いたい。報道関係者にもお願いしたいものだ。

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