出版物 « 一般社団法人日本オオカミ協会

‘出版物’ カテゴリーのアーカイブ

【書評】漂泊の牙

2017 年 6 月 3 日 土曜日

漂白の牙
著者:熊谷達也(くまがいたつや)
書名:漂泊の牙(ひょうはくのきば)
発行年:2009年6月6日(第15刷)
(2002年11月25日初版)
出版社:集英社
ページ数:400p
版サイズ:文庫(集英社文庫)
定価:724円+税

 

 

本書は、東北地方を舞台とした、海外でオオカミの研究をしている城島郁夫が、日本に残した妻子をオオカミらしき動物に食い殺されるところから始まる動物冒険サスペンスである。城島郁夫は、かつて環境庁の自然保護レンジャーの職にあったが、現在は大学の非常勤講師をしながらWWFの仕事をエリック・ツイーメン博士に招かれて世界中でしている、という設定。結末は、邪念を持つものが作り出したオオカミ犬の仕業だったのだが、その過程では、「なぜ日本にオオカミがいなくなったのか」「なぜ日本人はオオカミを恐れるのか」「本来のオオカミは、どういう動物なのか」がよく描かれている。
また、オオカミ犬については、以下のように書かれている。

「オオカミ犬の育種に足を突っ込んでしまった人間は、一度だけの交配であきらめることはない。理想の犬、つまり、飼い主だけを受け入れ、飼い主に百パーセント従うオオカミ犬を作り出そうと、無益な、そして冒涜的な試みを繰り返す。

オオカミと交配させるような犬種としてよく使われるのが、ジャーマンシェパードだ。この犬は、ふつうに思われているような、オオカミに近い品種ではない。(略)しかし、一般の人々、そして、一部の育種家や飼い主は、ジャーマンシェパードにオオカミのイメージを重ねている。いや、そもそもが、交配、育種の過程で、育種家たちが、自分が抱いているオオカミのイメージ__それはオオカミの実像とは必ずしも一致していない__に、より近づけようとして作り上げたものとも言える。その結果、四肢が長くて、どちかといえばきゃしゃなオオカミよりも、胸幅が広く、胴体がどっしりとした威圧的な体躯の犬、ジャーマンシェパードが産み出された。当然のことながら、シェパードはオオカミではない。だが、一部の飼い主や育種家たちは、シェパードが決してオオカミではないという事実に行き当たると、幻滅を覚えるらしい。全く的外れな幻滅を。そして、彼らはこう考える。シェパードをオオカミと交配させれば、より鋭く、より勇敢な、そして、より忠実な、正にオオカミのような犬を作り出すことができるのではないか。

しかし、交配の結果生まれるオオカミ犬は、彼らの期待とは正反対の動物となる。すなわち、怖がりで、学習しようとせず、しかも独立心の強い肉食獣。飼い主が抱く”オオカミのように忠実な”というイメージからは全くかけ離れた存在となる。仮に、無理に調教しようとして、過剰なストレスをかければ、哀れなオオカミ犬は死ぬか、危険極まりない存在になってしまう可能性さえある。・・・」

この物語の場合は、ニホンオオカミとラブラトルレトリバーの交配によるオオカミ犬だった。そうなのだ、この物語ではニホンオオカミが山人に守られて絶滅せずに生き残っていたというオチで終わっている。実際にそうであったらほんとうにいいのだけれど。

評:吉浦信幸(長野県 獣医師)

コメントは受け付けていません。

2016年新刊のオオカミ絵本ご紹介

2016 年 5 月 8 日 日曜日

1)福音館書店『むかし日本狼がいた』(菊池秀夫 文・絵)
昔日本狼がいた

 

 

 

2)リーブル出版『ぼく、ニホンオオカミになる!!』(作・絵 マスダケイコ)
ぼくニホンオオカミになる

 

 

 

◆オオカミだって生活者
絵本や子供向けのお話で、オオカミはたいてい《悪い奴》でした。紀元前のイソップ物語から現代まで、「悪役といえばオオカミ」と便利に使われてきました。近ごろはさすがにそういう「お決まりの配役」は敬遠されるようになり、作品にユニークさを求めるためもあってか、《良い奴》なオオカミも増えてきましたが、それでも《淋しい乱暴者》であることには変わりありません。よく読まれている『あらしの夜に』シリーズ(講談社)や『やっぱりおおかみ』(こどものとも傑作集・福音館書店)『おれたち、ともだち!』シリーズ(偕成社)などが代表例でしょう。心優しいけれど荒い言葉づかい。生来の性質が周囲に受け入れられない悲しみ。
日本の作品のキャラクターには、西洋の伝統的オオカミ観に染みついている「邪悪さ」や「救いようのない感じ」があまりないので、それだけでもだいぶましかもしれませんが、それでも肉食獣ゆえに理屈の通じない暴力衝動(いわゆる野獣性)があるという感覚は消すことができず、オオカミは本質的には《日常を乱すアウトロー》です。そばにいると相手が眉をひそめたり浮足立ったりするため、オオカミは自らの本質を抑え込むか、平穏な日常をあきらめ厳しい規律や非情な力の掟に従うしかない・・・そんな悲哀がつきまといます。人気を博したアニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』に描かれる「おおかみ」も、そんな存在でした。
オオカミにはオオカミの、「ありのままの姿でいる幸せ」があり、その幸せを求める権利は誰からも非難されるものではないこと。理にかなう行動規範があり、食べ、住まい、伴侶と出会い、子を慈しみ育てる平穏な日常があること。そういう視点は、欧米の新しい絵本や物語にはしばしばもりこまれているのですが(『オオカミのエリック』(新樹社)や『3びきのかわいいおおかみ』(冨山房)、『オオカミ族の少年』シリーズ(評論社)など)日本の作品では残念ながら、これまでほとんどなかったように思います。

『むかし日本狼がいた』は、そういう視点がはっきりと感じられる、日本では珍しい作品といえるでしょう。山には山の、里には里の、平穏な日常があり、オオカミと人は声がとどくほどの距離で互いの存在を意識しつつも特にトラブルなく暮らしていたことが、昔話として語られます。「人もオオカミも他の動物も、みんな山のめぐみを受けて生きていた。同じなのだ」という感覚を子供たちの心に原風景として届けたい、それが人と野生動物の共存を考える基礎になるという作者の意図が、明確に伝わってきます。
オオカミだって生きている。
このような中立公平な視点が、日本でつむがれる新しい絵本や物語でも普通のことになったら、その時初めて「オオカミという動物に対する社会の偏見がなくなった」と言えるでしょう。本書はそのさきがけとなる1冊です。

◆共通するモチーフは《越境》
それでも人が夜の山中でオオカミと出会えば怖い思いをします。「夜」や「山」は、「昼」や「里」に対置される「非日常の世界」、つまり異界です。「日常」から「非日常」へと入り込む《越境》がオオカミと人との出会いを引き起こし、ドラマが生まれる…というのは、洋の東西を問わず物語によく見られる設定(モチーフ)です。(G.・マーヴィン『オオカミ 迫害から復権へ』P75-77)
しかし、「非日常」である山や森という「異界」が、里や村の「日常」にとってどんな存在であるかという部分に、日本と西洋の違いが見られます。奈良県東吉野村が開催した2015ニホンオオカミ手作り絵本コンクールで最優秀作品に選ばれ出版された『ぼく、ニホンオオカミになる!!』には、そのことがよく表現されています。
里の暮らしにとって山という「異界」は「見守ってくれる存在」で、オオカミはそのシンボルです。ご先祖様が草葉の陰から…とはよく聞く表現ですが、それと似た感覚かもしれません。死んだ先祖は異界の人で、怖さを感じますが敵ではありません。日本人が大好きな妖怪などもそうです。西洋のキリスト教文明は、未開の森を「神の救いの手がおよばぬ不吉で不毛な地」とし、異界は徹底的に切り開いて光をあて、秩序と理性の支配下に置くことを善としましたが、それとは全く異なる価値観です。
日常の里から非日常の山へ《越境》する主人公は、異界で出会う相手を信頼し、尊重し、無謀なふるまいをしないことで無事に日常へ戻ることができますが、これは作品1にも共通しています。人が行いをつつしみ、敵意を向けなければ、怖さを感じる異界はこちらを認め、そばにいても害とはならず、気づけば恵みをもたらしてくれているという考え方が、21世紀のテクノロジー社会に生きる現代の日本人にも変わらず好まれていることがわかります。

◆昔、現代、そして共生の未来へ
作品1は昔話、作品2は現代の話。どちらの物語でも、日常に寄り添う異界=「山」にオオカミの居場所がありました。山や森への《越境》こそが日常だった人々(山仕事やマタギ、修験者など)にとっても、オオカミは敵対する存在ではありませんでした(フォレスト・コール№20「大塔山:オオカミがいた頃の山人と森の話」参照)。原発事故で避難生活が続く福島県の神社で、オオカミ天井絵が復元されて地域住民の心を励ましている話題がありましたが、これも同じ心情でしょう。
その「人を見守る異界」を切り開いて合理化の光をあて、人の秩序の支配下に置こうとする試みは(それが可能かどうかは別として)かならずしも日本人が望む自然との共生の姿でないようです。アニメの名作『もののけ姫』でも、物語の終わりに主人公アシタカが山の神(ヤマイヌ)の娘サンに提示する「共生の将来像」は、彼女が里(たたら場)の日常へ来て人間らしい暮らしをすることではありませんでした。彼は呼びかけます、「そなたは森で、私はたたら場で暮らそう。共に生きよう」と。2015年には『山怪 山人が語る不思議な話』(山と渓谷社)という書籍の売れ行きが好調だったそうですが、そんなところからも日本人の嗜好が伺えます。
しかし、この嗜好が、日本にオオカミを呼び戻す直接の原動力になるかといえば、それは疑問です。人が好むと好まざるとに関わらず、社会体制・産業の変化に伴って「オオカミの居場所」はいやおうなしに失われていったからです。
日本においても、未来へ向けて自然との共生社会を作っていく必要があり、その認識は徐々にではありますが一般市民の間にも浸透しつつあるようです。しかしその未来の中に、はたして「オオカミの居場所」はあるでしょうか。
ヒントは、オオカミとの共生に失敗して絶滅させてしまった日本の過去よりも、現実にオオカミが復活している欧米に目を向けた方が早くみつかるでしょう。
たとえば、有名なアメリカの国立公園、イエローストーン。オオカミの帰還に起因する生態系の変化は、世界中の観光客を魅了しています。科学が解明していく自然の仕組みの妙、その要(かなめ)の位置にオオカミがいます。子供たちの心の中の、科学への扉を開く「不思議だなぁという感動(センス・オブ・ワンダー)」の中に、オオカミの居場所があります。
また、西ヨーロッパ各国には、100年200年という空白の時をへてオオカミが徐々に戻りつつあります。人々は伝統的な牧畜や狩猟といった文化を見直しつつも、従来の自然との向き合い方を反省し、過去にはなかった科学技術も活用して、自然と共生する「未来社会の仕組みづくり」に努力しています。効率化・合理化を善とする従来の画一的な価値観ではなく、各人が大切に思うことと丁寧に向き合い、相手を尊重し、生き方の多様性を重んじる寛容な社会。そこにオオカミの居場所があります。
後者の萌芽は、とりわけ作品2に感じられます。いま日本各地で地方創生・地域おこしのかけ声がさかんですが、その画一的な動きに乗り遅れまいと焦ったり無理をしたりする感じがこの作品には無く、その力の抜け具合にほっとできて心が癒されます。そういった作品を村長賞に選ぶことで、東吉野村は当地の特長や魅力をアピールすることに成功しています。
こんなふうに、若い人たちの心に「オオカミの居場所」がもっともっと増えるような、未来につながる明るいオオカミ絵本がどんどん出版されることを期待したいと思います。

(評:南部 成美、JWA)

コメントは受け付けていません。

書評:『エゾオオカミ物語』

2014 年 8 月 26 日 火曜日

エゾオオカミ物語

 

あべ弘士 作、絵
講談社創業100周年記念出版(絵本)
2008年11月出版(25㎝×27㎝横サイズ32頁)
講談社 1500円(税別)

 

 

 

絵本は子どもたちにとって最初に出会う芸術作品といわれています。また知識と知恵の宝庫とも。いつの間にか好奇心をかり立てられ、未知の世界に遊ばせてくれるものです。そこで手に取った『エゾオオカミ物語』、まずは表紙絵のエゾオオカミのインパクトの強さと青く光る月明かりに照らされた存在感に圧到されます。北海道の冬の厳しい自然が白と青で表現されており、月明かりに照らされた雪の感覚はまさに青く光る美しさにほかならないでしょう。さすが旭山動物園での25年間の飼育係りとして培った観察眼の鋭さが伝わってきます。

物語はたった100年ほど前のこと……絶滅してしまったオオカミと人間の歴史をシマフクロウおじさんがモモンガたちに語るのです。「オオカミは、とてもいいやつだったんじゃよ。だがのお……。」この一節に子どもたちは反応します。「うそだよお……、わるいやつだよ」と。

読みすすんで
「オオカミはシカを殺して食べる。だが、シカはオオカミに食べられることによってじぶんたちの数のバランスをたもっている。ということは、シカたちに食べられる草や葉っぱの量もちょうどよく、森や野原はいつも、緑ゆたかなままだ。オオカミがシカを食べることも、シカがオオカミに食べられることも、悪いことではないのだ。そのことは、オオカミもシカもよくわかってのことだ。」と。このくだりは生命と生命のぶつかり合いによって自然の生態系の均衡が保たれることを教えてくれるものです。これらはやさしい言葉でより深いことを伝えられる絵本の魅力ともいえます。

豪雪によるシカの激減から、開拓者の馬を襲ったためオオカミはつぎつぎと殺され、ついに絶滅に追い込まれたのです。そのため今ではシカが増えすぎてしまった。

結び  「オオカミの遠ぼえは、もうきこえない。」
「でものお、こんどはエゾシカが悪者になっておるが、そうしたのは、ほんとうは“だれ”なんじゃろう?」
この経緯……人間のおろかさを鋭く描いた作品に心うたれるものです。

ここまで読むと、子どもたちの目は一段と輝きを増してきます。この絵本のすごさは、はじめから終わりまですべてが見開きで表現されており画面の大きさ広さが、大胆なタッチで更に大きく強く心に迫ってきます。また夜行性の動物を主人公に据えた作者の意図を想うとき暗闇のなかに現代に生きる者がわすれた大切なものが隠されている様に思えてなりません。シマフクロウおじさんが「やがては自分の棲みかさえなくなるのでは……」と心配する様子もうかがえます。

表紙の見返し裏見返しに描かれたオオカミの群れからは「森はわれらにまかしてくれよ」といわんばかりに私には聞こえます。

子どもたちに真実を伝える責任が大人にはあるとしみじみ考えさせられました。この『エゾオオカミ物語』こそ環境問題の絶好の教科書と思います。一人でも多くの子どもたち、それを取りまく大人の方がたにぜひとも読んでいただきたいと考えます。

評者:ふじわら さちこ


あべ弘士 1948年、北海道生まれ。1972年から25年間、旭山動物園に飼育係として勤務。1995年、『あらしのよるに』(講談社)で講談社出版文化賞絵本賞、産経児童出版文化省JR賞を受賞。その他受賞歴多数。ほかに絵本出版多数。

コメントは受け付けていません。


鹿の食害を考える ドイツに見るオオカミとの共生

当協会が紹介されています
(動物や自然を守ろう にて)

トカゲ太郎のワンダー・ワールド

Get Adobe Flash player