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新刊案内 「オオカミが日本を救う!」 :白水社刊 

2013 年 12 月 27 日 金曜日




丸山直樹編著 小金澤正昭・中沢智恵子・金清翔 分担・部分執筆

 

店頭発売 定価2415円(本体2300円) 126日予定イメージ (272)-1

内容:

日本でオオカミが絶滅した時代/明治時代、東北地方で行われたオオカミの駆除/オオカミを守れなかったオオカミ信仰/オオカミ復活の必要性/里山や人工林の手入れとオオカミ復活のどちらが先か/増えすぎたシカは森林生態系を破壊/復活オオカミはカモシカを救う/日本のオオカミはハイイロオオカミ―ニホンオオカミは固有種ではない/オオカミによるシカなどの被食者に対する個体数調節効果/狭い日本にオオカミの居場所はあるのか/島でオオカミは生きられるか/オオカミ再導入とマングース導入は大違い/猿害対策としてのオオカミの導入/イノシシ害とオオカミ導入/ジビエで獣害は防げるか/オオカミは人を襲わないか/オオカミと狂犬病/オオカミによる家畜被害発生の可能性/日本のオオカミの分類:ニホンオオカミは固有種ではない/オオカミによるシカやイノシシの個体数調節効果とは/狭い日本にオオカミの居場所はあるのか/島でオオカミは生きられるの?/オオカミは人を襲わないか/再導入したオオカミは家畜を襲うのでは?/再導入オオカミに狂犬病の恐れはないか/オオカミ導入はマングース導入と同じか/増えすぎたシカは森林生態系を破壊/復活オオカミはシカに追われるカモシカを救う/猿害対策としてのオオカミ導入/イノシシ害とオオカミ復活:性急な行政、研究の貧困/オオカミ不要論は間違い:日本の生態系にはオオカミがいなくてもよいのか/里山や人工林の手入れとオオカミ復活のどちらが先か/オオカミ復活で野生生物の異常増殖は発生しない

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写真で見る深刻な被害の状況 剣山・三嶺のシカ食害報告

2013 年 5 月 23 日 木曜日

発行: NPO法人 三嶺の自然を守る会イメージ (205)

(徳島市末広4-4-41、電話088-653-1445)

(B5版、70ページ、うちカラー写真54ページ 価格1200円)

奥深い山中でのシカによる食害を垣間見る機会はありますが、その深刻な全貌を知るのは大変困難です。ここで紹介する写真集は、徳島県と高知県の県境に位置する剣山国定公園(剣山、三嶺一帯)のシカ害による生態系破壊の惨状です。

この山地の樹皮剥ぎ被害は2000年頃から始まり、年を追うごとに加速度的に進んでいます。緑濃かった稜線のササ原は、シカの食害によって枯れ果て、一面褐色に変わり、自然林の下層植生は消滅。急傾斜地や谷沿いの至るところで、地肌が現れ、土壌侵食、斜面崩壊が発生。祖谷川の支流では渓流の濁りがはっきりとわかります。樹木は全域で皮を剥がれ、枯死、白骨化、倒伏し、とりわけウラジロモミ大木の被害が目立ちます。その結果、蝶類などの昆虫の減少、野鳥や小動物の生息環境の悪化、シカに追われたカモシカの山麓里部への移動等、生態系全体のひずみと崩壊が進んでいます。種の減少と消滅は生物多様性を低下させています。すでに遅きに失したとの印象が強いのですが、今からでも実効ある対策が急がれることを、豊富な写真が強く訴えています。

同様な破壊は日本全国の広大な山地で静かではあるが急速に進行しているにもかかわらず、無視されたり忘れ去られたりしています。時を隔てて、同じ場所で撮影された景観写真を比較することによってはじめて何が起きているかを気付かせることが可能になります。こうした写真は、同様な環境で生活しながら気づくのが遅れている地元住民だけでなく遠く隔たった地に住む人々にとっても警告の役割を担います。巻末12ページには、森林被害の復旧と保護に従事しているエキスパートによる解説が収録されています。これによると、シカ問題は、農林業対策だけでなく、崩壊が進行する、奥山の自然生態系や生物多様性の復旧・保護と共に、土砂災害の発生防止・国土の保全という新しい局面での対処が求められ、森林管理署、県、NPOなどの連携が必要だと説明しています。具体的には、シカ柵の設置維持管理の継続、大型捕獲柵の実用化、誘餌馴化したシカの銃殺方式(シャープシュウティング)の実用化などですが、さらに、より効果の高い方策が求められています。

私達日本オオカミ協会は、剣山の東部に位置する徳島県上勝町を訪れ、住民が「緑の砂漠」と呼ぶ広大な放置人工林、シカ、イノシシ問題とオオカミ再導入について住民との意見交換を行っています。オオカミ再導入についての理解が広まり、自然生態系から最終捕食者を除去し食物連鎖の環を断ち切ることによる顛末を知るための「愚かな実験」に終止符を打つために、一刻も早く、問題解決のための提案がされることを願っています。一つの特定な現場での粘り強い地道な調査活動の継続と、得られた情報を市民、県民へ提供する啓蒙活動を長期間にわたって実践されていることに敬意を表したいと思います。

(井上 守)

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トラが語る中国史 エコロジカル・ヒストリーの可能性

2013 年 3 月 17 日 日曜日

上田信著  山川出版社 ヒストリア005 (2002)


トラが主役の話である。オオカミではない。しかし、人との関わりという点では、基本
的に変わりはないが、異なる点もある。それは、オオカミと違って、トラは人を捕食の対
象としており、トラとヒトが生活を同じくする地域では、トラによるヒトの死傷事故は珍
しくない。もっとも、これ以上にヒトによるトラの捕殺は、間違いなく多いのであるが。
このような恐ろしいトラの保護を、殆どヒトを噛まないオオカミを危険だと思い込んでい
る多くの日本人には理解できないことだろう。したがって、トラを保護できなければ野生
動物や自然の保護が出来る筈がないといっても過言ではない。自然との共存には「捨身」
の精神が欠かせない。今、中国では絶滅しつつあるトラの保護が始まっている。さて、そ
れは「捨身」に則ったものかどうか、また今でも間に合うかどうか、結論を出す前に、ま
ずは本書を一読されることをお薦めする。
この書は2002年刊、十年以上前になる。オオカミ復活を考える書評子には、ずっと、
気になっていた著作であった。著者の上田信氏(立教大学文学部教授)によれば「歴史と
は、偉人や指導者がつくるものであって、民衆や野生動物はその主役になれないとばかり
思われてきた。かれらは史料を書き残さないからである」だが「民衆や野生動物の歴史
も、工夫次第で何とかなる」と著者は言う。動植物とヒトとの関係を扱う歴史を、エコロ
ジカル-ヒストリー(生態学的歴史学、あるいは生態環境史)と著者が名づける本書で
は、村人に撃ち殺されたアモイトラを主役として語り部をつとめさせている。著者の分析
視点は、人口、気候の変化、自然の開発と利用、野生動物観である。以下、本書を抜粋し
ながら紹介する。

やや小型なアモイトラ(トラの一亜種)は、中国の東南部の常緑広葉樹林地域に生息す
る。昔、この地は越と呼ばれた。このトラのエコロジカルヒストリーは、人との出会いが
少しずつ増えてくる文明揺籃時代から始まる。紀元前より中国も気候の寒暖が繰り返さ
れ、温暖期の一時期、アモイトラは黄河の北にまで分布を拡大したこともあった。しか
し、その後の寒冷化とヒトの進出によって、徐々に南に追い詰められ、19世紀半ばには、
中国東南部(浙江省南部、福建省、江西省)に残存するだけになった。黄河流域の文化は
キビやアワなどの畑作に支えられたものだったのに対し、この地では古くから水稲耕作を
伴う文化が成立していた。この地のヒトは、川に臨む高地や丘陵地に居住し、稲作を水利
の弁がよい谷地の低湿地で行っていた。ここではシカやイノシシなどトラの食べ物が豊富
であり、トラにはよい環境だったがヒトにはそうではなかった。マラリアを媒介するハマ
ダラカや毒蛇が多数生息し、しかもトラが潜んでいたからである。人々は蚊が活動しない
日中だけ谷間で水田耕作を行い、夜間は丘陵にある家に戻った。越のヒトは森林を大きく
破壊することはなかった。こうして、結果的に、ヒトとトラは、互いに避け合い、場所
的かつ時間的に棲み分けることによって不幸な遭遇を避けて共存していた。トラは、ヒト
を害する恐ろしい猛獣であると同時に、シカやイノシシを退治してくれる益獣でもあった
のである。トラとは、越人にとって、益害入り混じった恐ろしくも畏怖崇拝すべき存在だ
ったのである。それはヒトの行いを正す天の使いであると信仰されていた。

このヒトとトラの均衡は、紀元前二世紀、この地への漢の侵攻によって終わる。漢族は越人とは異なる方法で開発を進めた。この新たな征服者は、高地よりも低地を好み、樹林
を伐採しつくして耕地を拓き、価値ある物産を求めて森の奥にも分け入った。こうして生
態環境は破壊され、トラとヒトとの衝突が多くなった。漢の侵攻は、この時代の前半の寒
冷化の影響によるという。すなわち、漢代、モンゴル高原に押し上げられていた北方のヒ
トは、寒冷化のために南下して黄河流域へと進出、玉突き的に華北の漢族が南下せざる
を得なくなったのである。亜熱帯気候のために様々な感染症を恐れて低地に居住できな
かった江南の地も、寒冷化によって低地志向の漢族の入植を可能にした。先住民の越人は
漢族に同化するか、さらに山地に登るしかなかった。こうして越の地は開発が進み、道路
や灌漑施設などのインフラが整備し、人口が増加した。もちろん、トラの領域は切り取ら
れ、貴族の荘園などに姿を変え、トラの受難が進んだのである。

唐代に気温が温暖化すると、生産条件が揃い、江南は豊かな穀倉地帯へと変貌してい
く。人口は2500万(1400万~6000万)に増加し、これは紀元後950年(唐末5代)まで続
く。

開発は、扇状地上部の山地と平地の接点から始まり、治水を進めながら下流に向か
った。海岸低地では富裕層である地主が中心になって防潮堤を築いた。こうした開発は宋
代には限界に達し、この功績者は、村の始祖とされ、土地神として守護神となり、村の廟
に祀られた。土地神は「駆虎、除蝗、助戦、救旱」の霊験を持つとされた。信仰上もトラ
はヒトの敵となった。ヒトの神格化に反比例してトラは単なる忌みすべき厄災にすぎなく
なった。同時に、皇帝の神格化が進み、これを頂点にした階層的権力構造が、世俗世界同
様に霊的世界でも鏡合わせ的に想定され、ヒトによる神々の階層化と支配が進んだ。トラ
は、現実世界「陽会」と霊的な世界「陰界」からも排除される存在となってしまった。こ
うした陰陽信仰は社会主義革命の時代まで残存した。

約500年の暖期の後は寒冷期の到来である。これは寒冷地では乾燥化を促進する。モン
ゴル高原とシベリア平原を区切る山地森林地帯で狩猟採集を営んでいたモンゴル族は寒冷
化によってその恵みを奪われ、遊牧を開始した。そして遊牧地をめぐる紛争が頻発するよ
うになり、新たな秩序を組織したモンゴル帝国が出現し、わずか半世紀のあいだに、西は
アッバース朝、東は金朝を滅ぼし、南に逃れた漢族の南宋を圧迫する。南宋はこの危機を
乗り切る切り札として水軍の増設をはかる。造船だけでなく、木材、紙、漆の製造ため、
安徽省、浙江省、福建省などの森林は枯渇し、ついにはコウヨウザン(杉)の植林が進め
られ、山に入ろうとするヒトと、渓谷を住処としてきたトラとの遭遇が増え、トラにヒト
が襲われる事故が増えた。こうして、多くのトラが射殺され、やがて南宋は滅びた。後を
継いだ元は、生糸、絹織物、陶磁器を中心とする東西通商を奨励した。景徳鎮などの陶磁
器を焼くためにトラの生息地である常緑広葉樹林は次々と伐採され姿を消した。トラは益
々追い詰められた。

南宋時代以降、人口は6千万から1億の間を変動するが、開発は着実に山地森林を開発
し、これに比例するようにトラとヒトとの軋轢は増して、明の時代が終わるトラの捕殺数
は17世紀末のピークに向かって増え続けた。続く清朝時代になってトラの捕殺数が漸減
するのは、山地の農耕地化、それも商業資本を背景にした大規模開発によって常緑広葉樹
林が減少し、トラの数が減少し続けたことによる。この間、漢時代からの風水思想にもと
づく山林保全も地域的に実施されたが、開発の勢いを押しとどめることはできなかった。
19世紀末には森林はあらかた姿を消した。そして、清朝が滅びる20世紀初には人口は4億
を超えた。

 

19世紀~20世紀前半は封建政権の腐敗と日本を含む欧米列強の侵略などによる社会的
混乱期は、中国の野生動物、自然、ヒトにとっても受難の時代であった。この混乱は、毛
沢東を主席とする1931年の中華ソビエト共和国樹立後も続いた。自然改造をスローガン
とする開発全体主義の社会主義は、農民による山林開発を推奨し、自然と野生生物には過
酷であった。もちろん、トラにとっては大きな禍根となった。内乱、列強の侵略、抗日戦
争を勝ち抜いた共産党は1949年中華人民共和国成立を宣言し、毛沢東は農村集団化をベ
ースにした軽工業から重工業までの産業振興策を計画した。このために1950年土地改革、
1958年人民公社編成を強行した結果、以前にも増して山林が荒廃し、トラも大きな災難
を蒙った。さらに1955年には「ネズミ(及びその他の害獣)、スズメ(及びその他の害
鳥)、ハエ、カ4害を除去7年以内に基本的に消滅させる」という政策が始められた。しか
し、この駆除政策の誤りが認められ、数年で中止となった。しかし、この間、トラもオオ
カミ、ヒョウなどの捕食種とともに駆除の標的とされた。
続いて文化大革命(1966~1976)の時代も1972年前後になって、国際情勢が緩和し、
臨戦態勢が緩む中で、わずかながら自然保護に関する政策的動きが見られ始めた。1973年
「野生動物保護条例」を出し、アモイトラは3級保護動物に指定された。しかし、これは
遅すぎた。50年代初めには4000頭を超えると推定されたアモイトラは、すでに20頭程度と
推定されるまでに激減してしまったからである。77年には2級に、79年には全面的に捕殺
を禁ずる1級野生動物になり、乱獲の野放し状態は改善され、福建省の梅花山自然保護区
(約2000ha)など数箇所が野生化地域に指定された。
書評子が考えるに、残念ながら、トラの行動圏(数千haから数万ha)の大きさからみ
てこの保護区の面積が狭すぎるのは明らかである。トラの保護のためには、数十万から数
百万haの自然保護区が必要と考えられるが、すでに十数億の巨大人口を抱える中国で、こ
の実現は可能なのであろうか。可能性があるとしたら、十分な面積を持った、そしてシカ
類やイノシシなどトラの捕食対象である植食動物が豊富に生息する、トラの生存を優先す
る広大な自然森林生態系保護区=トラのサンクチュアリ(聖域)を華南の地で確保するこ
としかない。このためには、歴史的に分布を拡大して、自然環境を破壊し続けてきたヒト
の、サンクチュアリからの移住を強力に進めることである。民主的に行うならば、住民は
もとより多数の国民の説得と合意形成が必要になる。このようなオーソドックスな手法で
アモイトラの保護は間に合うのだろうか。ヒトは明らかに多くなりすぎた。それに、ヒト
のはびこり過ぎは目に余る。この「トラのためのヒト移住案」を荒唐無稽な与太話と決め
付けるヒトにはトラの保護は無理というものである。
社会主義思想は、老荘思想や儒教思想、風水思想、陰陽思想などの伝統的思想を否定抹
殺し、トラなど野生動物だけではなく、神々が生き続けてきた「陰界」をも排除してしま
った。このような伝統否定的な社会主義社会が、資本主義社会と同等か、これ以上に自然
や野生動物に過酷であったことは、旧ソ連、旧東独などいわゆる東側世界の「エコロジカ
ル・ヒストリー」の研究で実証される筈である。「トラとヒトとの関係はゼロサムゲーム
ではない」とする著者が紹介する明代後期の風水の一節は今日にも通じてまことに意義深
い。
「およそある土地に足を踏み入れたときに、空を飛ぶ猛禽や群を成す鳥が集まり、茂
った林やすらりとした竹が盛んであり、水が澄み山が青く、穏やかな気が立ちこめていれ
ば、伸びやかで繁栄した景色がみられる。まさにこれは旺盛な気が発現しているのであ
る。このような土地に居を定めてその気を浴びる者は、おのずと富貴を成すことができ、
幸福と長寿を得ることができる。もし草木が枯れ、鳥獣が悲鳴をあげ、風の音も惨憺と
し、気配も寂しく、山は崩れ水は涸れていれば、無人の土地に入ったように思われるであ
ろう。それは退廃した気が然らしめているのでる。名のある人物や大きな家がその土地に
あるとしても、程なくして必ず自壊していく。(『地理独啓玄関』巻5、「気数論」)」

 

(狼花亭)

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鹿の食害を考える ドイツに見るオオカミとの共生

当協会が紹介されています
(動物や自然を守ろう にて)

トカゲ太郎のワンダー・ワールド

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