最近、オオカミ導入の運動過程を見ていて、すばらしい勢いで動いていることを感ずる。それと対極にある農水省官僚と野生動物の一部の専門家が示すオオカミ導入に対する態度について考えさせられる。
福島第一原発事故は東京電力・経済産業省の一部の官僚・原子力工学の一部の研究者から成る村が引き起こし、激化させたといわれている。御用官僚は東電関係機関に天下ることによって形成され、東電の言いなりになる御用を承る。御用学者は東電と経産官僚から研究費でがんじがらめにされることで形成される。それゆえこの原子力村は東電の資本で成り立つといえる。経産官僚でも古賀茂明さんのような事実に基づいて、公務員機構改革を提言して抵抗する人達もいる。このような人達は排除される運命にある。また、原子力関係の研究者でも京大原子炉実験所の小出裕章さんや今中哲二さんのように事実に基づいて発言する研究者もいる。だが、このような方々は定年間近なのに助教のままで冷遇されている。御用官僚と御用学者は従ってかなり多くの人達を巻き込むとはいえ、両分野に事実に即して、自分の職を賭けた戦いをする人達も少数ながらいることを確認したい。
御用学者とは、大企業あるいは官僚からの要請があれば、自分の考えに合わなくても、それにあわせて意見を述べる学者だという(尾内・本堂、2011)。私はもうひとつ、自分の考えを持たなくても大企業あるいは官僚の要請に従って意見をオウムのように述べる学者も加えたい。御用官僚は大資本の都合を鵜呑みにして、あるいは自分が所属する省益のために行政の施策を実行する者達であると考える。行政は政治が行う判断に従って国民の生活を豊かにする政策を実行するのが本来の役目である。
◆核実験と原発事故
1960年の安保条約改定時、国内ではいろいろな動きが見られた。当時、大学院にいた私は、安保反対のデモに参加したり、学内のいろいろな集会に出席したりするのに忙しく、大学院の講義もほとんどなかった。広島・長崎に落とされた原爆は素粒子物理学者の協力なしには不可能だったわけで、物理学者の戦争協力は戦後に痛切な反省を伴っていた。1955年にラッセル・アインシュタイン宣言が発せられ、大量破壊兵器禁止の世界世論醸成が意図された。それを受けて、ラッセルが主催した第1回パグウオッシュ会議が1957年に行われ、さらに1962年には湯川秀樹・朝永信一郎らの「科学者京都会議声明」が核兵器実験・使用禁止、全面完全軍備撤廃、日本国憲法の順守を謳い、大きな話題になった。
当時、このように研究者が社会・経済・政治に発言するのは普通の出来事だった。それから見ると、福島原発事故に関する研究者の態度は極めて消極的だった。原発に政府が固執する理由は、単に発電だけでなく、原発を通して核兵器製造能力の維持にあるといわれている(平田、2011;田中、2011)。もし、これが本当なら、真実を暴き、原発を全廃させる政策を提言するなどの宣言を出すべきだろう。大飯原発の再稼動をめぐる政府の態度にはあきれる。福島原発事故の原因究明や事故の責任追及もないのに、大飯原発の再稼動に首相ら数人の閣僚で政治判断を下すという。研究者としては、東電や経産省官僚の考えを丸呑みにした首相らの態度に強い抗議の声を発する段階にあるはずだ。2005年に独立行政法人化した国立大学に飼育されている研究者では声も上がらないようだ。これも御用学者の範疇に入るだろう。私も御用学者の範疇に入らないように戦わねばならない。
◆ニホンジカ村はあるか
原子力村に類するニホンジカ村はあるのだろうか。あるからこそ、オオカミ協会が存在するともいえる。丸山(1993)はニホンジカの生態・社会・保全の研究をしていて、シカの個体群動態を見て、保全の具体策を提案した。1)木材需要を国内の森林資源の持続的利用の範囲内に収める。2)森林管理をシカ個体群の増大を抑制するように計画する。3)狩猟の正しい位置づけを行う。4)生態系の復元、すなわちシカ含む生物群集の保護が必要、それには排除されたオオカミの復活が必須である。現在展開しているオオカミ協会の活動の方向性を明確に指摘している。行政としてはなるべく小手先で済まそうとしている嫌なことを、あからさまに指摘しているのだ。
他方、環境省の指示に従い、道立環境科学研究センターは個体数管理を「フイードバック管理」とか「順応的管理」と称して1970年代後半から導入した(梶、1999)。その結果が北海道各地でのシカ害による森林枯死である。2010年の道内シカ推定数は65万頭、15万頭駆除目標が11万頭までしか達成できなかった。これでは、シカの増加を抑えることは不可能である。北海道猟友会会長がハンターの減少で、シカ駆除を増やすことは不可能であると断言している。打つ手なしの状況でも、個体数管理にしがみついている。環境省は国有林管理に発言できないので、丸山(1993)の1)とか2)に踏み込むことができないでいる。林野庁は知らん顔である。これでは森林破壊どころか、土壌崩壊にまで進むことは目に見えている。丸山提案を実行するためには、省庁間の壁を取っ払って総体としての取り組みがいるが、省庁からの委託調査費とか審議会委員とかでからめとられている研究者ではとてもできない、御用学者なのだから。ニホンジカ村が存在するのだ。このような日本の社会構造をぶち壊すのは国民一般の世論しかない。オオカミ協会がそれだ。
◆鰭脚類村もある
鰭脚類村の御用官僚では水産庁と環境省が活躍する。長いこと海の生物は水産庁管轄で、資源生物という扱いであった。したがって、トドやゼニガタアザラシがいかに頭数が減っても、保護することはない。トドが国際的に絶滅危惧種に指定されると、それに付き合ってトドが魚網に絡まないような技術的方策を工夫するとか、小手先の政策で国際・国内的圧力を削ごうとする。なぜこのような態度をとるかというと、水産庁の目的は海中の生物はすべて資源であるので、資源獲得を束縛するような政策は採らない。漁業資本の活動を縛るようなことは避けるのが行動原理である。そこから多くの面で支援を受けている水産庁官僚は漁業資本の提供する各種漁業資源利用方針を受けて、それを政策に表現するからである。2001年に鳥獣保護法でゼニガタ・ゴマフアザラシを扱うようになったので、これらの動物は環境省の所管に代わった。だが、アザラシの餌とか生息環境の管理は水産庁所管なので、アザラシの生息環境とか水産経済に関係する何らかの方策を採ろうとしても環境省は関与できない。行政として二重の網がかぶっているのだ。
1970年代からオットセイ、トド、ゼニガタアザラシを研究してきた海獣談話会とゼニガタアザラシ研究グループは省庁からの研究費を受けることなく、自弁、時に各種財団の資金で活動してきた(和田、2010)。それ故、行政が打ち出す政策に対して自由な立場で評価できたし、我々の態度は、自分たちが得た資料とその分析結果に基づいて決めることが出来た。それに対して、最近は環境省がゼニガタアザラシの委託調査を北の海の動物センターに、水産庁がトドの委託調査を北海道区水産研究所に行っている。この2つの動きは、40年近く独自に、行政から自由な立場で行ってきた我々の活動を大きく阻害している。なぜなら、我々は調査に当たり、興味を持つ人たちをだれでも受け入れ、自由に議論し、調査・研究を進め、成果を公表してきた。それに引き換え、委託調査は極めて閉鎖的で、行政の方針に縛られた調査になっており、調査報告も限定された範囲でしか分からない、時には非公開にしているからである。さらに、行政の各種審議会員は委託調査を受けた団体関係者から選ばれることが多く、行政としては好都合な人選をしている。委託調査を受けた団体だから、その主体の意向を尊重するのはごく当然の成り行きなのだ。御用学者あるいは御用団体の出現である。
ではどうするか
答えはすでに出ている。オオカミ協会流の活動を強化することに尽きる。シカ、ニホンザル、海の哺乳類など、いずれも似たり寄ったりの状況で推移している。シカ・オオカミは食う・食われるという関係にあるので、まとめて議論できるし、この頃はこれらに関係する集会では御用学者の発言は次第に弱くなっている印象を受ける。2011年に網走の野生生物保護学会に出席したが、各種自由集会は、現在の社会・経済的枠組みの中で、いわば官僚の手のひらの中でいかに工夫するかに絞られている印象を受けたが、唯一小金沢・井上両氏のオオカミに関係する集会は自然の論理に従うテーマで迫力があった。
シカ、サル、海の哺乳類ではオオカミ・シカ関係の段階には達していない。たとえば、道庁はこの4月にゼニガタアザラシ検討会を作り、2年かけてこのアザラシの駆除計画を作るという。この検討会メンバーにだれが選ばれるのかに注目している。だれがなろうとも、適当な人選が望まれる。この種の検討会の透明性を保つ(平川、2011)ために、選ばれた研究者の研究論文リストの公表(安・松本、2011)がひとつの案であろう。検討会の検討内容の早期の公表も重要な点である。また、官選検討会に対して、独自に作られた別の検討会案を公表してそれを第三者委員会が検討していいものを選ぶなどの作業ができればいいと考える。
行政とはなぜ存在するのだろうか。政治が国民のために決めたことを執行することが行政の役割だという。霞が関の官僚は行政職の試験を通った優秀な若者によって構成されている。青春の希望に燃えて入ってくるのだが、その若者は内部の官僚組織に適応することによって保身を余儀なくされるように変化する。まずは省益だ。これまで保っている事業は少なくとも維持する。天下り先あるいは大企業の利益は優先する。これでは国民のためにいかにサービスをするのかという行政とは雲泥の差になる。霞が関官僚は全く下々のこと知らないし、知る必要もない。そのことは、野生動物管理を担当する環境省とか農水省の官僚と話をすればたちどころに分かる。本来の目的たる国民へのサービスはどこかに飛んで行ってしまい、大企業へのサービスが、省益を維持することが目的になる。それ故、各審議会メンバーもそれにふさわしい人が求められる。
原発の安全審査を行う原子力安全委員会メンバーの3割近く、班目委員長も含めて、2010年度までの5年間に原子力業界から計8500万円の寄付を受けていた。委員長いわく、「便宜は一切図っていない」とおっしゃる(朝日新聞、2012.1.1)。日本の文化としてお歳暮でももらえば、何かお返しをしないと落ち着かない、贈与互酬の伝統がある。そんな日本にいて、数百万円、時には数千万円の研究費をもらっていて、「便宜は一切図っていない」と浮世離れしたことをよくもおっしゃるものだ。普通の日本人はだれも信用しない。このような浮世離れした研究者達こそ必要なのだ。
大飯原発の再稼働の政治的判断は野田首相らの最終決断に至っていない。その要因は世論の猛反発にある。行政の本来の目的たる、国民へのサービスを回復するにはやはり世論を味方につけるしかない。そうすれば、原子力安全委員会メンバーも様変わりするだろう。オオカミ協会に右へならいして、ニホンザル協会、鰭脚類協会、などをぞくぞく誕生させることが必要なのである。〔和田一雄(JWA顧問)〕
【文献】
安 俊弘・松本三和夫 2011 福島原発事故を招いた社会的要因を探る:独立な専門知による適正な評価システムをいかにつくるか。科学、81:904-913.
平川秀行 2011 信頼に値する専門知システムはいかにして可能か-「専門知の民主化/民主制の専門化」という回路。科学、81:896-903.
平田光司 2011 核の平和利用、軍事利用。科学、81:1272-1276.
梶 光一 1999 北海道におけるシカ個体群の管理。環境研究、114:78-85.
丸山直樹 1993 地球は誰のもの。岩波書店.
尾内隆之・本堂 毅 2011 御用学者がつくられる理由。科学、81:887-895.
田中利幸 2011 「原子力平和利用」の裏にある真実。科学、81:1284-1286.
和田一雄 2010 北の海獣たち:トド・アザラシ・オットセイと共存する未来へ。彩流社。
‘話題・意見’ カテゴリーのアーカイブ
御用村に出口はない! 原子力、シカ、サル、アザラシ、オオカミ問題など
増え続ける獣害防止柵:柵では自然生態系は守れない
1.獣害防止柵(侵入防止柵)
獣害(侵入)防止柵とは、耕作地へのシカやイノシシの侵入を防ぐ目的で構築される柵のことである。江戸時代には猪鹿(シシ)垣と呼ばれて、石を積み上げたり、土手を築いたりして作った。瀬戸内海の小豆島(面積1万5千ヘクタール)では農地を囲んで延長100kmを超える猪鹿垣を築いていた。高さは1.8m以上、堤冠幅は0.5~1.0m。土木機器がなかった昔、大変な労力を必要とした。外側に深い溝が掘られ、ところどころに落とし穴を深く穿ったものもある。シカやイノシシは落とし穴に落ちるらしいのだ。この手の落とし穴は、多摩丘陵の開発の際の遺跡の発掘現場では、獣道の各所で見つかっている。穴の底には、先を尖らせた杭が立てられているものも多い。小豆島に限らず、猪鹿垣はシカ、イノシシが生息する、本州、四国、九州の各地でごく普通に作られた。現在は、石や土の代わりに、トタン板や鉄のなどの金属やナイロン製のネット、鉄のメッシュ筋が材料として使われている。イノシシやサル用のものは、高圧電流を通じる電線を組み込んだものも珍しくない。今でも使われている昔の猪鹿垣は見られない。こうした猪鹿垣は明治期から戦後間もなくまでの野生動物の乱獲時代には省みられることなく、土に埋もれたり、崩れたままになってしまった。
2.増え続ける獣害防止柵:経費は?
1980年代以降、シカやイノシシ、サルの害獣化が進むと、再び各地で作られるようになり、その延長は年々伸び続けている。最近では、サル対策のものは耕作地だけでなく、集落もろとも天井もネットで覆い、住民は自分たちが動物園のサルみたいになってしまったと苦笑している。自動車や鉄道の衝突事故防止のための、国道や高速道路、鉄道でも柵の建設が北海道などでは普通に進められている。
昨年は長野県の獣害防止柵の総延長が1000kmに達したというニュースを見た。長野市と北海道の稚内を直線で結ぶ距離だという。読売新聞(2012年4月5日)は、山梨県の獣害防止柵は750kmに達し、県内耕作地の43%が守られることになると報じている。山梨県の全耕地をカバーするためにはさらに1000km近い柵が必要になる計算だ。建設費は、材料や規模、地形などによって様々だが、1mあたり1000円から1万円として、その中間をとっても5千円である。これにもとづけば、1kmあたり500万円となり、山梨県全域では80億円くらいのお金がかかるだろう。堅牢な柵を作るならば1mあたり1万円は必要だ。これだと160億円もかかってしまう。
今や獣害防止柵の建設は全国的である。全国で必要な防除柵の規模は不明だが、山梨県程度のお金がどの自治体でもかかるとすれば、全国で4000億円以上(堅牢なものの場合、8000億円)の建設費が必要という試算も成立する。
作ってしまえば終わりというわけにはいかない。倒木や雪によって壊されるだろうし、最近は金網がシカに食い破られるという事例も報告されている。つる草などの雑草を除去しないと電気柵では漏電が起きて役に立たなくなる。いつも草刈が必要だ。こうした具合に、柵の維持管理とその費が大変である。地域社会の衰退に伴って、労働力の確保も問題である。獣害防止柵だけで莫大な税金が毎年使われることになる。国・地方合わせて財政赤字1千兆円以上に苦しむ日本にとって、この獣害防止柵に掛かる経費はなんとも無駄な感じが強い。
3.捨てられた獣害防止柵
白神山地の東部に位置する青森県西目屋村はリンゴの産地である。あちらこちらのリンゴ園の周りにはサル対策用に3mを超える立派な電気策付の金網柵が建設されていた。ところがリンゴの木が一本も無い柵もある。理由は簡単。傾斜地がリンゴ栽培に不利だったために、この果樹園は放棄されたのだ。猿害が理由ではない。地形条件によって経営競争に敗れた結果である。折角、多額の税金を使った獣害防止柵は役に立たなかったのである。
こうした例は各地にごく当たり前に存在する。お茶栽培で、傾斜地の静岡県産が平坦地の鹿児島県産に押されているのも事情は同様だ。日本の農地面積は戦後間もなく600万ヘクタールを超えたが、2000年頃には約400万ヘクタールに減少し、今後もこの傾向は続く。残された農地面積の約4割が条件不利地域の山間地および中山間地である。中山間地の農地こそ、獣害発生地域であり、現在も獣害防止柵が建設され続けている地域なのである。
こうした地域では、狩猟者の減少によって獣害防止柵の必要性は益々大きくなっている。ところで、狩猟者減少は、日本の農業社会の衰退が原因である。農業の衰退は、獣害の有無とは基本的には関係が無い。すなわち、獣害発生とは関わり無く、放棄耕作地は増加し続けるのである。獣害は耕作放棄のきっかけになっても、主たる原因ではないのである。困ったことには、放棄耕作地はイノシシやシカ、サルなどの繁殖の温床となり、さらなる獣害防止柵を必要とする。しかし、条件不利地域の農業にとって獣害防止柵は必要ではあるが、その衰退を防止し興隆させるものではない。だから、貴重な税金を使って作った獣害防止柵が簡単に放棄されて廃墟化するのだ。
4.鼬ごっこ:獣害防止柵だけでは害獣をコントロールできない!
狩猟駆除と自然調節の並存が欠かせない!
農耕地への獣害防止は獣害防止柵では根本的な解決につながらない。これでは増えすぎ状態にあるシカやイノシシ、サルの個体数をコントロールできないのである。獣害は、農耕地周辺の森林で増加した獣類の個体や群れが農耕地や集落に生息域を拡大したために起きるのだから、防止柵で排除された獣類は別の地域に移動して獣害を発生させることになる。これでは被害のたらい回しであり、「鼬ごっこ」である。本質的な解決策ではない。
農林水産省の推奨は、オオカミよりも犬だという。集落ごとに犬を放し飼いにして、害獣を追い払わせようというのである。猿害対策に、訓練したモンキードッグと称する追い払い犬を普及しようとしているのも同じ発想である。追い払われて一旦は山に逃れた獣類は、直ぐに同じ里に戻ってくるだろうし、隣接集落など適当な地域があれば、そちらに出没するだけである。これも獣害のたらい回しである。犬による追い払いは、獣害防止柵の補完的な役回りであり、本質的な解決策ではない。
輪をかけて狂気の沙汰としか思えないのが、毎年駆除している数万頭の野犬を薬殺するのは無駄だから、獣害対策用に放したらよいといった発想である。犬は人間を恐れないものが多いし、人間を攻撃するように作られたものも多い。番犬を考えれば明らかである。それゆえに、人間の管理下から解き放して野生へ放逐するのは大変危険である。また、雑食性であるから、野生餌が欠乏すると簡単に人里に出没するので、所詮は頂点捕食者の役割は果たせないのである。それに狂犬病予防のための厳重な飼育管理が法律によって義務付けられているのだし、それゆえに野犬狩りが行われているのである。行政が犬を放逐してしまえば、誰も狂犬病の予防接種などしなくなるし、愛犬を拘束して飼育するなどしなくなるだろう。十分に検討した上での発想なのだろうか。馬鹿げているとしか言いようがない。オオカミと犬とは生態が違うのであるから同じように考えるべきではないのだ。
山地森林地帯の害獣を増えるに任せて放置したままで獣害防止柵にだけ頼ることは出来ない。高密度化した獣類には常に生息域を拡大しなければならないという柵を破るように大きな圧力が常にかかっているからである。柵外の獣類の拡大膨張を止める生息密度コントロールを併せ実行することが必要である。
しかし、こんな話をよく聞く。ハンターたちはイノシシ駆除を嫌がる。その理由は、イノシシが凶暴で手ごわいからだという。大金をかけて大切に訓練した猟犬がイノシシにひどい傷を負わせられたり、最悪の場合は殺されたりするからである。罠猟ではイノシシは人を恐れない。鉄砲を持った猟師と猟犬に追い掛け回される恐怖の体験がイノシシには必要なのである。地域からハンターが減ったり、消えたりしている昨今、図々しく軒先まで出没するイノシシが増えている。恐怖体験を知らないイノシシが急増しているのだ。
狩猟圧の低下を止められない現状では、狩猟振興だけでなく、頂点捕食者オオカミを復活させ、自然生態系の機能に依存する自然調節が重視されるべきである。私たち人間が正しいマナーで接している限り、健康なオオカミは人を襲うことはない。やたらに給餌をしたり、馴れ馴れしく接してはいけないのである。これはオオカミだけでなく、すべての野生動物に対するマナーである。
5.山奥の自然生態系の被害は獣害防止柵では防げない!
自然調節こそ本命!
農耕地など里への獣類の侵入を防ぐには、防止柵は有効であるが、到達が困難な奥山の自然生態系地域でこうした柵を作るのはきわめて困難である。獣害は標高3000mを超える高山帯や尾瀬や奥只見のような奥地にも及んでいる。こうした地域に資材を運び、長大な柵を建設すること自体が自然破壊である。こうした地域では柵の毎年の保守管理が大変である。例えば、冬の間に柵は深い積雪に押しつぶされてしまう。これを防ぐためには、冬が来る前に柵を倒し、雪解けとともに元通りに建直さなければならない。この作業を永久に止めるわけにはいかない。
屋久島や知床のような世界自然遺産地域にあっても事情は同じである。数万ヘクタールに及ぶ自然地域を囲うのは現実的ではないし、税金の無駄遣いである。何よりもこうした人工物の建設は自然遺産の精神に反する。しかも、地理的地形的に建設は困難で、莫大な維持管理費が永久に必要となる。これからの日本にこのような財政的ゆとりはない。こうした自然生態系地域では、柵は植生を「保存」するための一時的で地域限定的な緊急避難策に留めるべきである。害獣の生息密度コントロールに集中すべきである。しかし、これを狩猟者に頼ることは出来ない。狩猟者の減少が著しく、これへの対応策が見出されていないし、自然地域では自然調節を中心に組み立てることが本筋であるからである。
6.どうしたらよいのか?
シカ、イノシシ、サルなどによる人間および自然領域における被害に対する根本策は面倒なことではない。次のように整理できる。
1)獣害防止柵の建設と維持管理は、住民の産業と生活を守るために必要である。この建設は耕作地や居住地域周辺に集中すべきである。
2)獣害防止柵の建設と合わせて、森林など山中での加害獣の適正密度へのコントロールは欠かせない。スポーツ猟、駆除、銃猟、罠猟、狩猟規制の緩和、狩猟の動機付け(例えば、食肉・皮革利用、報奨金)などいろいろな手法を工夫が必要である。
3)国土の7割近い山林原野の大部分の加害獣のコントロールは、自然生態系に備わった自然調節機能に依存すべきである。これの実現のためには、食物連鎖の早急な回復、すなわち頂点捕食者オオカミの再導入が必要である。頂点捕食者の再導入には大きな経費を必要としないので、節税に貢献する。オオカミなくして、獣害解決の根本的な解決策はあり得ない。
(2012年4月13日記:丸山直樹、JWA会長)
シカ対策への疑問
私はオオカミ導入以外に自然を再生する道はないのだろうかと、しばらく考え悩んで日本オオカミ協会に入会したものです。定年までの5年間を学びに充て、その後オオカミ復活を積極的に訴えるつもりでしたが、いやあ驚いた。この4年間のシカの増加と山の荒れようです。
4年前にも、これはなんとかしなければと危機感を持ったのですが、その時の状況と、今の状況と比べるならば、それほど驚くようなことではなかったのではないかと思うのです。私の自然に対する感性はこの間にかなり鈍くなったに間違いありません。
オオカミの目を通して自然を見ると、局地的にシカ害が減った、生息数が減ったという話はあっても、いくら捕獲数が増えたといっても、効果的な対策がとられているところは日本中どこにもないように思われます。行政や研究者は、対策が局地から広い地域で連携され、新たな狩猟方法やわなが実用化されること、シカ肉料理が開発されることを、対策が進むことと誤解していませんか。
シカ害の怖さは、いくつも仕掛けられた時限爆弾の恐ろしさだと思います。ある時下草がなくなる。小鳥や小動物がいなくなる。樹木が枯れる。山がくずれる。その時限爆弾の設置個所は増え続け、新たに仕掛けられる爆弾は、作動時間が早くなり、破壊力はより大きなものになっています。しかし、もっと恐ろしいのは、「自然の中に捕食者オオカミがいないのが日本の本当の自然の姿なのだよ。外来動物なんてとんでもない。さあ、みんなで大切な自然を守ろう!」と言っている、のんきな自然保護者達ではないでしょうか。
オオカミ再導入に対しては、そもそも外来動物を入れること自体が間違いだという意見があります。しかし、大切な種を絶滅させたという取り返しのつかない誤りに気付き、早く是正してほしいことです。私は、オオカミの再導入を考える以前は、世の中に、人が絶対にしなければいけないことというものはないと思っていました。そのような考えは非常に独善的なことと警戒していました。しかし、人は自然の中から大切な捕食者を絶滅させるという絶対してはいけない誤りをしました。それを海外から導入して元に戻すことは人以外にできないのですから、好き嫌い、損得、不安、宗教、政治的信条等あらゆる主義主張を超えて、これは自然のためにしなければならないことと考えています。でも、人間社会のことについては垣根を越えようと広い気持ちを持てても、こと自然のことになると、人間中心に人間対自然の関係を考える科学的?自然観を超えるのは難しいのでしょうかね。









