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野生動物への餌付けの危険性について 啓蒙していくためにはどうしたらよいか?

2005 年 3 月 4 日 金曜日

現在世界中でおきている野生動物による人身事故のほとんどは人間による餌付けの結果起こったものである。しかし、人々は野生動物への餌付けの危険性についてほとんど認識していないのが実情ではないだろうか。

オオカミは他の動物(たとえばクマ)などと比較しても、実像と比べて悪いイメージを持つ虚像(童話、キリスト教的自然観等)が歴史的に見ても長い間一人歩きしてきた動物である。そのためいたずらに人心を恐怖に陥れるような伝え方は好ましくない。これはオオカミだけでなくそのほかの動物にも言える事であるが、まず第一に悪いのは人間を襲った個体ではなく、餌付けをした人間である、ということを強調する必要がある。

現在、オオカミによる人身事故の報告は少なく、死亡事故もほとんど起こっていない。この状態を維持していくためには、やはり人間の側の意識改革が重要となってくるだろう。そのためには野生動物との付き合いにおける適正距離を保つことが重要となってくるのではないかと考える。動物好きの人たちにとって、野生動物を間近で見たい、その毛皮に触ってみたいという欲求は至極納得できるものである。
しかし、家畜化されペットとして人間とともに暮らすことを選んだ動物たちと、人間とは距離を置いて暮らすことを選んだ野生動物とでは人間との付き合い方も違うと考えられるが、両者を混同している人が多いのが現状ではないだろうか。餌付けによる人間と野生動物との軋轢には日本でもサルやタイワンリスなどで起こっている。

なぜ、人は動物を見ると餌をやりたくなるのだろうか?この問題は自然保護を考えていく上で重要なポイントを占めると思う。「餌をやる」という行為には仏教思想である慈悲の心、すなわち「施しをすることは善である」という意識があるかもしれない。
また、野生動物に関わらず周囲の犬や猫に餌をやることも含めて、餌をやることによって他者(この場合は動物達)を自分の支配下におきたい、といういわば人間の本能に近いところの支配欲、または自分のものにしたい、という所有欲も関わっているかもしれない。しかし、餌をやることによって人間側には良い事をしたという満足感が得られたとしても野生動物の側から見るとどうだろうか?

人間から餌をもらい、楽に餌を手に入れることを覚えてしまった野生動物は、人間が自分たちにとってどんな存在であるかわからないゆえにそれまで一定の距離を保って人間世界には近づかなかったのに、人間に近づくことがタブーではなくなってしまう。観光客が投げ与えた饅頭やパンなどにより人馴れしてしまったクマが人里近くまで降りてきて、地元住民の安全が脅かされ結局駆除されてしまう、といったような事例は世界中に転がっている。
この場合、悪いのはクマか、地元住民か、観光客か誰なのであろう。クマやオオカミなどの大型食肉目の動物たちは破壊力が大きく、一度人間と敵対すると人間の側に与える影響が尋常ではないために人間側が慎重に行動する必要がある。だからといってリスやタヌキならば餌をやってもかまわないかというと、それもちょっと考えてもらいたい。本来野生動物とは人間が見たいと願っても滅多な事では遭遇できず、それゆえに人間の側の憧れをかき立てる存在であったはずである。これからの野生動物との付き合い方には野生動物を徒に人慣れさせず、野生動物と人間がお互いをある程度怖い存在だと思って不必要に近づくことの無い関係が好ましいのではないかと考える。

そのためにはこれからの日本の自然保護教育の中には野生動物には餌をやってはいけない、ということと、野生動物にはめったに遭遇できないのでもしも見ることが出来たらそれはとてもラッキーな事だ、ということを入れる必要があるのではないか、と考える。

参考:
・スティーブン・ヘレロ,2000年,ベア・アタックス クマはなぜ人を襲うか,北海道大学図書刊行会
・International Wolf center
・Are wolves a threat to humans?
・Return of the Big Bad Wolf-Are Wolves Too Close For Comfort?

++
江田文子(東京農工大学)

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