江戸時代のオオカミ

-質問と回答より-

(1)江戸時代19世紀、ニホンオオカミは「狼」とよばれていたのでしょうか、「山犬」と呼ばれていたのでしょうか。
江戸時代のオオカミの呼称ですが、「山犬」「狼」の両方があったと考えられます。なにせ分類学の発達していなかった時代ですので。「山犬」には犬と狼の両方が含まれていたようです。平岩米吉著「狼ーその生態と歴史」動物学会発行、池田書店発売、が参考になるかと思います。その他民俗学関係の論文もあるとは思いますが。

(2)江戸時代のオオカミは、大陸のオオカミとは相当離れており、家のイヌと近かったのでしょうか。
大陸のハイイロオオカミとはきわめて近く、犬とは全くかけ離れていたことは疑う余地がありません。ハイイロオオカミは北半球に広く分布しますが、形態変化が激しいことはご承知のことでしょう。基本的にはベルグマン法則とハンティングに関するコストーベネフィットによって体サイズが異なると言われています。アメリカ、ヨーロッパのオオカミ研究者は今では亜種区分には慎重で、系統と呼ぶようになっています。かつて北米では26亜種も区分していたのですが、今ではまとめて4系統にしています。まだまとめられるのではないかと思います。

ハンティングのコストーベネフィット原則に則るならば、日本の本州以南のオオカミの主餌がシカであると考えられますから、体重は 20kg前後の小型だったのではないかと思います。内蒙古で小型のモンゴルガゼル(体重20kg以下)を主食としている個体群は体重20kg前後です。北海道のオオカミはエゾシカが大型ですからさらに大きかったと考えられます。本州以南のオオカミの小型化については、日本列島のウルム氷期以降の隔離期間、すなわち間氷期の間の気温の変動と南北移動の地理的制約も影響していたことが考えられます。

日本列島の大陸からの隔離の時間から考えても、日本産オオカミが独立種であるという可能性は考えられないでしょう。北海道はウルム氷期の終息とともにサハリン、沿海州から隔離、本州は北海道と約10万年前に隔離、九州はさらに古く30万年から50万年前に隔離と最近では推定されているようですが、津軽海峡は今よりも100m以上も海面が低かったことを考えると、冬季凍結時にはオオカミは海峡を自由に往来していたのではないかと考えられます。また往来がなかったとしても、イリオモテヤマネコが結局固有種でも何でもなく、ツシマヤマネコと同じくベンガルヤマネコであることが判明しておりますので、ベンガルヤマネコなどと比べてはるかに分散距離の長いハイイロオオカミが日本列島で固有種化するなど考えられないことです。

日本産オオカミを固有種とする説を信じる研究者は提唱者の今泉吉典氏以外はいないでしょう(アマチュアは別にして)。

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