スカンディナビアからのオオカミ人身事故報道:報道も赤頭巾症候群?

「オオカミに襲われかけた親子、危機一髪で逃れるも、飼い犬が犠牲に(スウェーデン)」(TechinsightJapan 2011年4月18日)。

ショッキングな記事である。私たちはまず報道を信じる。報道は真実を伝えると信じられているからだ。しかし、記者は人間である。先入観を抜くのは容易なことではない。知らせる側と知る側でそれが違っていれば、その内容は検証される可能性がある。不幸なことに、両者が一致している場合にはその機会はまずない。これが怖い。さて問題の記事である。記者の先入観にとらわれない疑り深い読者になってみよう。

2頭のオオカミに襲われかけたのは、果たして「親子」あるいは「一緒にいた飼い犬」あるいは「親子と飼い犬」か? さていずれであろうか。この判断次第で後に続く解釈が違ってくる。記者の判断は親子に傾いている。そうだろうか。

1頭のオオカミが飼い犬を殺して森に連れ去り、もう1頭の注意がベビーカーに向いているのに気づいた女性は「大声で叫び、人が住む居住地の方角に走って逃げたのだが、これが効を奏したのか、オオカミはそれ以上女性を追うことなく、仲間の後を追って森の中に姿を消した」とある。さて、オオカミの注意は本当にベビーカーに向いていたのだろうか。子を心配する母親がそう思っただけだったかもしれない。というのは、オオカミが走って逃げた彼女を追いかけずに襲わなかったことだ。オオカミだけでなくイヌの場合でも、走って逃げるのは禁物である。逃走は攻撃本能を刺激するからだ。しかし、オオカミは逃げる彼女を追わなかった。ということは、初めからオオカミはベビーカーにも彼女にも関心がなかったのだ。

だが、彼女も記者もそのようには受け取らなかった。「オオカミは人を襲うもの」と決めてかかっていたのである。オオカミが狙っていたのはイヌが目的だったのである。こうした誤解はしばしば起きるものだ。そして冤罪につながる。こうした場合、冤罪の被害者はいつもオオカミだ。

記事には「スウェーデンのオオカミが生息する地区では、近年ペットや家畜が襲われる事故が多発しており・・・・」とあるが、人が襲われたとは報じていない。しかし、「人間に危害を加える可能性も生じてくるため」と記事が続くのは、やはり先入観が作用してのことで、これが大衆の先入観を煽るのである。記者の筆加減は怖い。

同様の報道はノルウェーでもあった(TechinsightJapan 2011/1/23)。スクールバスから降りた13歳の少年が帰宅途中、4頭のオオカミに遭遇した事件である。「彼はとっさの判断で、その時聞いていたヘビメタをうまく利用してオオカミ達を追い払うことができた」とある。少年が逃げなかったのは正しい判断であったと思う。だが、ヘビメタの音響に効果があったかどうかは疑問だ。「少年はオオカミたちに対し腕を振り回し、大声で叫んだのだ」とあるが、これも効果があったかどうか疑問だ。「少年はオオカミたちに対し冷静に対処し、正確な方法で追い払うことができた」ともある。実は少年は冷静ではなかったのである。別の報道は「不安になりすぎて、逃げることができなかっただけ」と書いている。これはさておいて、果たしてオオカミは少年によって追い払われたのであろうか。もし、オオカミたちが少年を本気で攻撃しようと考えていたとしたら、少年のこの程度の脅しに屈するとは考えられない。オオカミがエルクやバイスンを数時間にわたって執拗に攻撃し続ける現場を何度も観察した者にはとても信じられない話である。むしろ、この少年の場合、スウェーデンの女性の例も同様だが、オオカミたちも、たまたま遭遇しただけだったと考えたほうが辻褄は合うのではないだろうか。オオカミたちには、初めから攻撃の意図はなかったのである。

同じノルウェーの事件をLivedoorニュース(2011/1/27)では次のように報じている。「野生のオオカミに襲われた少年、携帯電話でハードロックを再生して撃退」。この記事では「遭遇した」が「襲われた」になっている。オオカミが少年を襲ったと鼻から決め付けている。だから、オオカミが勝手に立ち去った可能性が大きいのに、彼らは撃退されたことになってしまう。さらに記事は続く。「Walter君は以前からオオカミに遭遇した場合は逃げるのではなく、相手を怖がらせて追い払うように教えられていたとのことで、この言いつけを忠実に守り間一髪で命拾いをした。」少年たちにオオカミを怖がらせて追い払えなどとは教えていないはずである。オオカミは1人の13歳の少年を怖がるのだろうか。最初から襲うつもりならば、ハードロックぐらいでは効き目がなかろうに。少年は殺されていたはずである。記者の捏造である。

少年の行動で正しかったのは、走り出さなかったこと。間違いは、脅かして怖がらそうとしたこと。幸運なことは、オオカミたちがこれにいきり立つことなく冷静に無視したことである。スウェーデンの女性の場合も同様で、オオカミたちが冷静に行動し興奮しなかったことが良かったのである。この2つの、人とオオカミ遭遇例で、いちばん褒めてあげたいのはオオカミ、2番目は少年だろう。非難されるのは、先入観、偏見を下敷きにして記事を書いた記者と編集者である。オオカミを冤罪で苦しめる赤頭巾症候群の典型的症例である。メディアは先入観の排除に常に努力をしてもらいたいものだ。

オオカミを憎んだり恐れすぎたりするのは禁物だが、やたら愛護的な発想も彼らには通用しない。日常的にオオカミと人間が共存している地域では、不幸な事件を防ぐために、追跡犬を使ったオオカミ猟を通じてオオカミたちに「人間は怖い動物。決して近づいてはいけない」という強いメッセージを送り続けることが必要である。オオカミをはじめとした力のある野生動物と共存するうえで、教育効果のある狩猟行為は欠かせない。

                                    

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