「オオカミが怖い」病の対策

NINA掲載 A Large Carnivore Initiative for Europe (LCIE)
“The Fear of Wolves: A Review of Wolf Attacks on Human”(2002)からの抜粋
  
「The Fear of Wolves: A Review of Wolf Attacks on Human (オオカミに対する恐れ:オオカミによる人間に対する攻撃に関する総論)」は、ヨーロッパのオオカミ学者18人によるものである。総ページ数65。オオカミ復活の有無にかかわらず、多くの日本人に読んでもらいたいが、当面全訳が用意できないので、必要な部分を抜粋して紹介する。日本でのオオカミの復活を目指して運動している私たちにとって大切な情報が詰まっているレポートである。
私たちは、オオカミ復活の必要性を説くたびに、まるで挨拶代わりのように問いかけられる質問は「オオカミは怖くない?」というものである。オオカミとその復活に好意を持っている人もそうでない人も、挨拶代わりの一言はこれである。「赤ずきんちゃん症候群」「オオカミ恐怖症候群」ともいうべきものだ。偏見と誤解の固まり、心のコブになっているのだ。この頑固なコブはなかなか消えない。唯一期待できるのは、客観的で科学的有効性を持った高性能の「溶解剤」を繰り返し用いること。これならば、なんとかなるかもしれない。紹介するLCIEレポートは、現在手に入る最高の溶解剤のひとつだといってよい。伝承や物語、神話の世界に浸っている限り、いつまでたってもオオカミを怖がり続けることになる。代りに、理性と事実にもとづく冷静な思考を続ければ「怖いオオカミ」はいつの間にか消えてしまうと思う。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」である。 LCIEレポートから、オオカミ復活をこれから進める日本での対応がいくつか考えられる。次に、これについて述べる。1.このLCIEレポートでは、繰り返し狂犬病問題が出てくるが、現在の日本ではこれは征圧されているのでまったく問題にはならない。伝染源である飼い犬の予防接種が徹底しているからである(飼い主は飼養している犬は必ず予防接種を受けることが法律で義務付けられている)。したがって、狂犬病オオカミによる人身傷害については心配しなくてもよい。2.このレポートは、病気でない健康なオオカミによる攻撃の存在を指摘している。これは、人に慣れた犬が人に噛み付くように、オオカミが人に対して臆病でなくなったときに起きる。これは彼らの人馴れが原因である。日本人は野生動物に食べ物を与える習慣が強いので心配である。観光資源化を狙って各地で野生のサルに餌付けしたり、観光客が面白がって食べ物を与えたりしている。人馴れサルが人に傷を負わせる事故の原因を作っている。知床半島では観光客がアンパンを与えるものだから、すっかりアンパン好きになったヒグマの話を聞いたことがある。人馴れしたヒグマの脇に立って仲良く記念写真におさまる観光客もいると聞く。これらすべては、知らぬ間に自分たち自身で野生動物の攻撃を招いている事例である。オオカミの場合も例外ではない。野生動物への給餌は、波及結果をよく考えて行わなければいけない。奈良公園の有名なシカ煎餅のような商業的な給餌や神社仏閣などで見られる鳩への餌やりにみられる動物愛護的な給餌に慣れ親しんだ日本人が、こうした問題に気がつくのは困難かもしれないが、日常的で広汎な啓発活動が必要である。

3.人馴れオオカミによる事故防止はオオカミの人馴れを防止することだ。人馴れ防止には2つの方法がある。オオカミに対して適当な距離を保つことである。不用意な餌やりなどもちろん論外である。これは国民への普段の啓発が必要である。同時に、オオカミを人間に対して臆病にしておくことである。それには狩猟が必要であるとLCIEレポートは指摘する。狩猟の方法も、「待ち撃ち」ではなく「追跡」が効果的だという。ヨーロッパでは、ハイシートと呼ばれるやぐらの上から獲物が近づいてくるのを待って射撃する「待ち撃ち」が普及しているが、この方法は日本ではなじみではない。日本では、猟犬を使った追跡猟が専ら行われているので、LCIEの推奨に適っている。しかし、後継者不在と高齢化、地域社会の衰退によって消滅しつつある日本の狩猟が問題である。早急に狩猟活動を維持する方策を考え実現する努力が必要である。銃器の取り締まりが徹底化し、狩猟者が銃を保持するのが困難だと悲鳴を上げている現状も狩猟活動を消滅させる原因になっている。

4.いわゆる人食いオオカミへの対策にもLCIEレポートは触れている。人食いは習慣化し、一度人食いを覚えると生きている限り止めない。だから、こうした個体が発生した場合には、早急な無条件除去の実施を進めている。これへの対処のためにも、なんらかな狩猟活動の維持が必要とされる。狩猟活動維持対策についての議論はいまだに始まっていない。早急に動くべきである。

5.以上のようにオオカミのリスクについて述べてきたが、LCIEレポートが強調していることは、オオカミ人身害の発生は、オオカミが欧米で急増しているにもかかわらず、ほとんどゼロといってもよいほど、きわめて稀であること、そして、伝説や迷信、物語に影響された、実情とかけ離れた過剰なオオカミへの恐れは、科学的な知見にもとづいて早急に払拭されねばならないことの2点である。オオカミが絶滅したままであるだけに、日本では誤った情報が蔓延しがちである。だから、それゆえに、常に科学的なオオカミの生態情報が提供され続ける必要がある。

LCIEレポートの概略

A Large Carnivore Initiative for Europe (LCIE)への参加研究者:
John D. Linnel (Norway), Reider Anderson (Norway), Zanete Anderson (Latvia), Linas Balciauskas (Lithuania), Juan C. Blanco (Spain), Luigi Boitani (Italy), Scot Brainerd (Norway), Urs Breitenmoser (Switzerland), Ilpo Kojola (Finland), Olof Liberg (Sweden), Jonny Loe (Norway), Henryk Okarma (Poland), Hans C. Pedersen (Norway), Christophe Promberger (Romania), Hakon Sand (Sweden), Erling J. Solberg (Norway), Harri Valdmann (Estonia), Peter Wabakken (Norway)
LCIAレポートはオオカミの攻撃を次の3つに整理している。 

(1)狂犬病に罹ったオオカミによる攻撃、(2)オオカミが人間を獲物とみているように思われる捕食的攻撃、(3)オオカミが追い詰められたり、虐待されたりする時の対応として人に噛み付く防御的攻撃。

そして、オオカミの攻撃要因を4つあげている。 
(1) 狂犬病: 狂犬病はオオカミの人間攻撃の大多数に関与している。
(2) 馴化: オオカミが人間に対して恐れを失った場合、たとえば、いくつかの保護区の例のように、居合わせた人間が襲われるリスクは大きくなる。
(3) 虐待: これには、オオカミを殺そうとしたり、わなにかけようとしたり、追い詰めたり、子オオカミのいる巣穴に入ったりすることが含まれる。
(4) 大きく改変された環境: 捕食性の攻撃の大部分は、さまざまなことが原因で起きている、きわめて人工的な環境で発生してきた。具体的には、ほとんど存在しない自然餌、餌になるゴミ捨て場や家畜のオオカミによる頻繁な利用、羊飼いを任されて放置状態の子ども、人間社会の貧困、オオカミを臆病にさせるための銃の不足などである。餌が非常に少ないからといって、子どもを食べなければならないとは考えられない。こうした状況下でのオオカミの生態には、滅多に起きない捕食事件が起きるような状況がセットされる。すなわち、まさに、これらのことがオオカミを人間に異常に近づけるということなのである。特定のオオカミが一度人食いになれば、彼らは除去されるまでこの行動を続ける傾向がある。さらに、過去数世紀の間の、きわめて強いオオカミへの迫害が、人間への恐れをなくした攻撃的なオオカミを選択してきたのかもしれない。

LCIEレポートは、今やオオカミによる人への攻撃はほとんど発生しないと述べている。

ヨーロッパ、スカンディナビア(そしてまた北米)では、オオカミが増えているにもかかわらず、最近、攻撃が稀にしか発生していないことから、オオカミによる攻撃のリスクは非常に低いように考えられる。最新の推定では、オオカミはヨーロッパには10,000-20,000頭、ロシアには40,000頭、北米には60,000頭が生息する。私たちはこれらの頭数のオオカミのうち、過去半世紀、狂犬病に罹っていないオオカミによる死者は、ヨーロッパで4人、ロシアで4人、北米ではゼロという記録しか見出せないのである。狂犬病に罹ったものに関するそれぞれの数値は、5人、4人以上、そしてゼロである。現状ではオオカミ攻撃のリスクは、ヨーロッパ、北米を通じて限りなく低いことは明らかである。これらの低い攻撃発生率は、オオカミの攻撃に最もしばしば関連する要因がもはや普通には存在しないという事実によるものと考えられる。
しかし、LCIEレポートは、オオカミによる攻撃の発生は限りなく低くなってはいるが、オオカミ管理計画とその実施は怠れないとしている。この管理計画を実施することにより、万が一の攻撃の発生を防止することが可能になるというのである。以下は、LCIEレポートp.41-42 “12.Management planning”(管理計画)の記述からの抜粋である。
これまでの分析にもとづくならば、今日、ヨーロッパ(そして北米)では、オオカミの人身攻撃リスクは、限りなく低いとみられる。オオカミの攻撃リスクの増加にかかわる要因は、現在、普通には存在しないし、将来も増加しそうにない。しかし、あらゆる偶発的な事故(ほとんどまったくありそうにないように考えられても)に備えるのは大切である。

12.1 オオカミによる攻撃発生の機会を減らすためには
オオカミの攻撃に関する要因の分析によれば、その攻撃発生のリスクをいっそう減らすことを可能にする3つの方法がある。

(1) 狂犬病との戦い: オオカミの攻撃の大部分には狂犬病が関与していることから、オオカミが狂犬病に罹るリスクを減らすことが求められる。飼養犬がオオカミの狂犬病の主要な源になってきたと考えられるので、少なくとも西側世界では、犬に対するワクチンの接種と駆除の実施を進める努力を続けることは比較的簡単なことであろう。さらに、西ヨーロッパで成功を収めてきた狂犬病に対する野生動物の個体群へのワクチンの接種の更なる努力は、オオカミが狂犬病に罹るリスクをいっそう引き下げることになるだろう。アジアでは、この仕事は短期間では非常に難しいかもしれない。

(2) 生息環境と餌動物の管理: オオカミが人為的な食物資源に依存しないように、餌動物の個体群とその生息地を適切に管理し、回復し、そして家畜保護のための効果的な方法を採用することは、オオカミと人間の遭遇率とオオカミの人間への馴化リスクの両方を減らすことになる。これは、さらに、人間へのオオカミの攻撃の機会を減らすはずである。

(3) オオカミの野性の維持: 馴化したオオカミは、ディンゴやコヨーテがそうであるように、多くの攻撃に関わってきた。オオカミが食べ物を人間に依存しないこと、一定のレベルの人間に対する恐れを持ち続けるといったオオカミの野性の保持は、攻撃のリスクを大きく減らすはずである。オオカミが狩猟されている地域では、オオカミのパック(群れ)が人間に否定的な印象を持つような手法が推奨される。たとえば、待ち射ち猟よりも追跡猟のほうがこの目的にかなっている。オオカミ猟が適当とされない地域では、オオカミが人と食べ物を関係付けないように努める必要があるし、必要であれば、追い払い手段も考慮すべきである。

12.2 対処計画
オオカミによる人間攻撃の発生率は低いといっても、このリスクはゼロではないし、対処(応答)的な野生動物管理が、そんなことが必要にならないことを期待するものの、そうした事故が起きる前に行われなければならない。他の大型捕食獣(クマ類、ピューマ、トラなど)の攻撃リスクがより高い場合、オオカミによる攻撃対処規定がそうした種に対するものの中に組み込まれなければならない。対処が求められそうな2つの状況はありうるのだ。そうした事故が起きる前に、対処規定は必ず実施されなければならない。

(1)恐れをなくしたオオカミ: オオカミによっては、人に対して、恐れをなくしたような仕方の行動を始める可能性がある。こうした事例については管理規定が適用されるべきである。たとえば、2001年、アラスカのデナリ国立公園は何箇所かのキャンプサイトを閉鎖した。そこに棲むオオカミがキャンパーに近づいたり、食べ物などを盗んだりして、「恐れをなくした」行動をとり始めたためである。
そのような規定の中核は、何をもってオオカミの行動の正常と異常を判断するかということである。たとえば、耕地と森林が入り組んだ環境に生息しているオオカミは、通常、人間の活動や人工物に極めて高度に耐えているだろう。彼らは家に近づき、犬を殺すことさえする。そうした行動は「正常な」オオカミの行動であるとみなすべきである。正常行動の限界を定める管理規定は、それゆえに、オオカミの行動を知りぬいた専門家の意見をよく聞いて作成されることが必要である。

(2) オオカミの攻撃: 管理規定は、オオカミに攻撃されているとクレイムをつける人がいる場合や、オオカミの関与が疑わしいような死体が発見されるような場合に必要となる。そのような事件では、攻撃の主がオオカミであることを確認することが重要である。というのは、そうしたことを起こすのは、犬や他の動物のほうがはるかに高い機会で持っているからである。ピューマやクマ類による致死的な攻撃が起きているブリテッシュコロンビアでは、すべての死亡は、証拠を保存することを重視する犯罪の場合と同じように扱われている。攻撃動物種を確認するうえでDNA手法を用いる法科学の有効性を研究する必要がある(Savolainen & Lundeberg 1999)。

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