増え続ける獣害防止柵:柵では自然生態系は守れない
1.獣害防止柵(侵入防止柵)
獣害(侵入)防止柵とは、耕作地へのシカやイノシシの侵入を防ぐ目的で構築される柵のことである。江戸時代には猪鹿(シシ)垣と呼ばれて、石を積み上げたり、土手を築いたりして作った。瀬戸内海の小豆島(面積1万5千ヘクタール)では農地を囲んで延長100kmを超える猪鹿垣を築いていた。高さは1.8m以上、堤冠幅は0.5~1.0m。土木機器がなかった昔、大変な労力を必要とした。外側に深い溝が掘られ、ところどころに落とし穴を深く穿ったものもある。シカやイノシシは落とし穴に落ちるらしいのだ。この手の落とし穴は、多摩丘陵の開発の際の遺跡の発掘現場では、獣道の各所で見つかっている。穴の底には、先を尖らせた杭が立てられているものも多い。小豆島に限らず、猪鹿垣はシカ、イノシシが生息する、本州、四国、九州の各地でごく普通に作られた。現在は、石や土の代わりに、トタン板や鉄のなどの金属やナイロン製のネット、鉄のメッシュ筋が材料として使われている。イノシシやサル用のものは、高圧電流を通じる電線を組み込んだものも珍しくない。今でも使われている昔の猪鹿垣は見られない。こうした猪鹿垣は明治期から戦後間もなくまでの野生動物の乱獲時代には省みられることなく、土に埋もれたり、崩れたままになってしまった。
2.増え続ける獣害防止柵:経費は?
1980年代以降、シカやイノシシ、サルの害獣化が進むと、再び各地で作られるようになり、その延長は年々伸び続けている。最近では、サル対策のものは耕作地だけでなく、集落もろとも天井もネットで覆い、住民は自分たちが動物園のサルみたいになってしまったと苦笑している。自動車や鉄道の衝突事故防止のための、国道や高速道路、鉄道でも柵の建設が北海道などでは普通に進められている。
昨年は長野県の獣害防止柵の総延長が1000kmに達したというニュースを見た。長野市と北海道の稚内を直線で結ぶ距離だという。読売新聞(2012年4月5日)は、山梨県の獣害防止柵は750kmに達し、県内耕作地の43%が守られることになると報じている。山梨県の全耕地をカバーするためにはさらに1000km近い柵が必要になる計算だ。建設費は、材料や規模、地形などによって様々だが、1mあたり1000円から1万円として、その中間をとっても5千円である。これにもとづけば、1kmあたり500万円となり、山梨県全域では80億円くらいのお金がかかるだろう。堅牢な柵を作るならば1mあたり1万円は必要だ。これだと160億円もかかってしまう。
今や獣害防止柵の建設は全国的である。全国で必要な防除柵の規模は不明だが、山梨県程度のお金がどの自治体でもかかるとすれば、全国で4000億円以上(堅牢なものの場合、8000億円)の建設費が必要という試算も成立する。
作ってしまえば終わりというわけにはいかない。倒木や雪によって壊されるだろうし、最近は金網がシカに食い破られるという事例も報告されている。つる草などの雑草を除去しないと電気柵では漏電が起きて役に立たなくなる。いつも草刈が必要だ。こうした具合に、柵の維持管理とその費が大変である。地域社会の衰退に伴って、労働力の確保も問題である。獣害防止柵だけで莫大な税金が毎年使われることになる。国・地方合わせて財政赤字1千兆円以上に苦しむ日本にとって、この獣害防止柵に掛かる経費はなんとも無駄な感じが強い。
3.捨てられた獣害防止柵
白神山地の東部に位置する青森県西目屋村はリンゴの産地である。あちらこちらのリンゴ園の周りにはサル対策用に3mを超える立派な電気策付の金網柵が建設されていた。ところがリンゴの木が一本も無い柵もある。理由は簡単。傾斜地がリンゴ栽培に不利だったために、この果樹園は放棄されたのだ。猿害が理由ではない。地形条件によって経営競争に敗れた結果である。折角、多額の税金を使った獣害防止柵は役に立たなかったのである。
こうした例は各地にごく当たり前に存在する。お茶栽培で、傾斜地の静岡県産が平坦地の鹿児島県産に押されているのも事情は同様だ。日本の農地面積は戦後間もなく600万ヘクタールを超えたが、2000年頃には約400万ヘクタールに減少し、今後もこの傾向は続く。残された農地面積の約4割が条件不利地域の山間地および中山間地である。中山間地の農地こそ、獣害発生地域であり、現在も獣害防止柵が建設され続けている地域なのである。
こうした地域では、狩猟者の減少によって獣害防止柵の必要性は益々大きくなっている。ところで、狩猟者減少は、日本の農業社会の衰退が原因である。農業の衰退は、獣害の有無とは基本的には関係が無い。すなわち、獣害発生とは関わり無く、放棄耕作地は増加し続けるのである。獣害は耕作放棄のきっかけになっても、主たる原因ではないのである。困ったことには、放棄耕作地はイノシシやシカ、サルなどの繁殖の温床となり、さらなる獣害防止柵を必要とする。しかし、条件不利地域の農業にとって獣害防止柵は必要ではあるが、その衰退を防止し興隆させるものではない。だから、貴重な税金を使って作った獣害防止柵が簡単に放棄されて廃墟化するのだ。
4.鼬ごっこ:獣害防止柵だけでは害獣をコントロールできない!
狩猟駆除と自然調節の並存が欠かせない!
農耕地への獣害防止は獣害防止柵では根本的な解決につながらない。これでは増えすぎ状態にあるシカやイノシシ、サルの個体数をコントロールできないのである。獣害は、農耕地周辺の森林で増加した獣類の個体や群れが農耕地や集落に生息域を拡大したために起きるのだから、防止柵で排除された獣類は別の地域に移動して獣害を発生させることになる。これでは被害のたらい回しであり、「鼬ごっこ」である。本質的な解決策ではない。
農林水産省の推奨は、オオカミよりも犬だという。集落ごとに犬を放し飼いにして、害獣を追い払わせようというのである。猿害対策に、訓練したモンキードッグと称する追い払い犬を普及しようとしているのも同じ発想である。追い払われて一旦は山に逃れた獣類は、直ぐに同じ里に戻ってくるだろうし、隣接集落など適当な地域があれば、そちらに出没するだけである。これも獣害のたらい回しである。犬による追い払いは、獣害防止柵の補完的な役回りであり、本質的な解決策ではない。
輪をかけて狂気の沙汰としか思えないのが、毎年駆除している数万頭の野犬を薬殺するのは無駄だから、獣害対策用に放したらよいといった発想である。犬は人間を恐れないものが多いし、人間を攻撃するように作られたものも多い。番犬を考えれば明らかである。それゆえに、人間の管理下から解き放して野生へ放逐するのは大変危険である。また、雑食性であるから、野生餌が欠乏すると簡単に人里に出没するので、所詮は頂点捕食者の役割は果たせないのである。それに狂犬病予防のための厳重な飼育管理が法律によって義務付けられているのだし、それゆえに野犬狩りが行われているのである。行政が犬を放逐してしまえば、誰も狂犬病の予防接種などしなくなるし、愛犬を拘束して飼育するなどしなくなるだろう。十分に検討した上での発想なのだろうか。馬鹿げているとしか言いようがない。オオカミと犬とは生態が違うのであるから同じように考えるべきではないのだ。
山地森林地帯の害獣を増えるに任せて放置したままで獣害防止柵にだけ頼ることは出来ない。高密度化した獣類には常に生息域を拡大しなければならないという柵を破るように大きな圧力が常にかかっているからである。柵外の獣類の拡大膨張を止める生息密度コントロールを併せ実行することが必要である。
しかし、こんな話をよく聞く。ハンターたちはイノシシ駆除を嫌がる。その理由は、イノシシが凶暴で手ごわいからだという。大金をかけて大切に訓練した猟犬がイノシシにひどい傷を負わせられたり、最悪の場合は殺されたりするからである。罠猟ではイノシシは人を恐れない。鉄砲を持った猟師と猟犬に追い掛け回される恐怖の体験がイノシシには必要なのである。地域からハンターが減ったり、消えたりしている昨今、図々しく軒先まで出没するイノシシが増えている。恐怖体験を知らないイノシシが急増しているのだ。
狩猟圧の低下を止められない現状では、狩猟振興だけでなく、頂点捕食者オオカミを復活させ、自然生態系の機能に依存する自然調節が重視されるべきである。私たち人間が正しいマナーで接している限り、健康なオオカミは人を襲うことはない。やたらに給餌をしたり、馴れ馴れしく接してはいけないのである。これはオオカミだけでなく、すべての野生動物に対するマナーである。
5.山奥の自然生態系の被害は獣害防止柵では防げない!
自然調節こそ本命!
農耕地など里への獣類の侵入を防ぐには、防止柵は有効であるが、到達が困難な奥山の自然生態系地域でこうした柵を作るのはきわめて困難である。獣害は標高3000mを超える高山帯や尾瀬や奥只見のような奥地にも及んでいる。こうした地域に資材を運び、長大な柵を建設すること自体が自然破壊である。こうした地域では柵の毎年の保守管理が大変である。例えば、冬の間に柵は深い積雪に押しつぶされてしまう。これを防ぐためには、冬が来る前に柵を倒し、雪解けとともに元通りに建直さなければならない。この作業を永久に止めるわけにはいかない。
屋久島や知床のような世界自然遺産地域にあっても事情は同じである。数万ヘクタールに及ぶ自然地域を囲うのは現実的ではないし、税金の無駄遣いである。何よりもこうした人工物の建設は自然遺産の精神に反する。しかも、地理的地形的に建設は困難で、莫大な維持管理費が永久に必要となる。これからの日本にこのような財政的ゆとりはない。こうした自然生態系地域では、柵は植生を「保存」するための一時的で地域限定的な緊急避難策に留めるべきである。害獣の生息密度コントロールに集中すべきである。しかし、これを狩猟者に頼ることは出来ない。狩猟者の減少が著しく、これへの対応策が見出されていないし、自然地域では自然調節を中心に組み立てることが本筋であるからである。
6.どうしたらよいのか?
シカ、イノシシ、サルなどによる人間および自然領域における被害に対する根本策は面倒なことではない。次のように整理できる。
1)獣害防止柵の建設と維持管理は、住民の産業と生活を守るために必要である。この建設は耕作地や居住地域周辺に集中すべきである。
2)獣害防止柵の建設と合わせて、森林など山中での加害獣の適正密度へのコントロールは欠かせない。スポーツ猟、駆除、銃猟、罠猟、狩猟規制の緩和、狩猟の動機付け(例えば、食肉・皮革利用、報奨金)などいろいろな手法を工夫が必要である。
3)国土の7割近い山林原野の大部分の加害獣のコントロールは、自然生態系に備わった自然調節機能に依存すべきである。これの実現のためには、食物連鎖の早急な回復、すなわち頂点捕食者オオカミの再導入が必要である。頂点捕食者の再導入には大きな経費を必要としないので、節税に貢献する。オオカミなくして、獣害解決の根本的な解決策はあり得ない。
(2012年4月13日記:丸山直樹、JWA会長)