ノネコは捕食者:食うものと食われるものの関係

狼花亭

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我が家の軒先に居ついているノネコはいつの間に雄雌とりまぜて10匹に増えた。勝手に妊娠して勝手に子供を産む。その場所は床下だったりデッキの片隅の箱の中だったりする。ほとんど構わないが、増えすぎたらどうしようかという心配はある。昨秋、床下で産まれた子猫5匹はタヌキの餌食になって雄1匹しか残らなかった。その時、タヌキは捕食者だったと思い知った。 それから半年が過ぎた5月中旬の今朝、窓の外をふと見ると、赤裸の産まれたての仔獣をいじめているトラ猫がいるではないか。いじめているのではない。食べているのだ。食べられながら仔獣は、手足をヒクヒク動かし、口を開けてミーミー泣いている。生きながらにして食われているのだ。仲間の猫が4匹、ぐるりと取り囲んで羨ましそうに見ている。なんと残酷な。朝からおぞましい光景を目撃してしまった。今日はきっといいことがないに決まっていると気が重くなった。また誰か夜のうちに出産して、不届きにも仲間の猫が食べているのかと思った。居候のノネコどもめ、あまり餌を与えないものだから、空腹に窮してついに共食いを始めたのかと思った。そういえば、増えに増えた猫たちがお腹をすかして共食いをして、結局1匹しか生き残らなかった「ひゃくまんびきのねこ」(ワンダ・ガアグ著、いしももこ訳)という物凄く恐ろしい童話があったことをすぐに思い出した。 でも変だ。残虐シーンを眺めているうちに気がついた。よくよく見ると、食われている赤裸の仔獣は、産まれたての仔猫にしては大きすぎるのだ。どう考えても猫の仔ではない。そうだ、タヌキの仔に違いない、と思い当たった。共食いでないとわかって、ちょっぴり気が軽くなった。食事中のトラ猫は、5匹の子猫を育てている母猫であった。トカゲを丸呑にし、10cm級のムカデをおいしそうにパリパリ楽しむなんてのは日常茶飯のことである。数週間前にも、彼女は50cm級のヤマカガシを見事にしとめて、美味そうに食べていた。授乳中の彼女はいつも空腹なのである。どうやら、パトロール中に、生まれたてのタヌキの仔を見つけて、1匹頂戴してきたらしい。親ダヌキは気がついているのだろうか。彼女の食事は、アカンボタヌキの尻尾を最後に飲み込み、数分で終わった。 ノネコとタヌキ、油断のできない捕食者同士。初めて知った。ネコといえども立派な捕食者。獲物は、ネズミやモグラ、昆虫にとどまらないのだ。捕食者ギルド(同業者組合)とかいう生態学の用語を聞いたことがあるが、この光景を見たところ、ギルドなんていう生やさしいものではなさそうである。野生の世界では、食う食われるが基本ルール。油断した方が負け。都会の人間は、癒しを求めて、ペットなんか連れてハイキングや山登りに出かけたがる。そんな人たちほど、「復活オオカミはペットを襲うのでは」なんて言って賛同してくれない。言っておきますが、自然界には、オオカミ以前に、キツネもタヌキ、イノシシ、クマといった恐ろしい連中がいるのですぞ。そんな連中をすべて嫌がっていたらきりがないでしょう。自然はいつもやさしいとは限らないし、油断していたらすぐに襲い掛かってくる気の抜けない存在なのだ。人間中心の快適な世界に安住している都会派の皆さんも、陽だまりの縁側やソファーの上で幸せそうに昼寝している可愛い猫ちゃんたちの本性が実は猛烈果敢な捕食者のそれだったってことをたまには思い起こすべきだと思う。人間中心の人道主義に根ざした中途半端な動物愛護のスピリットでは理解できない世界が自然界にはあっちこっちに存在するのである。 (2012年5月25日記:狼花亭)

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