シカの剥皮が森林を倒す!紀伊半島からの報告

                                             シカ剥皮害がもたらす風倒木

                   (2012 11 16 大槻 国彦)

ここ5年ほど森林調査の仕事をしていて、紀伊半島の三重、奈良、和歌山の3県の森林をぐるぐると歩き廻っている。ほとんどの場所で樹木の葉、枝先などをシカ(ニホンジカ、以下同じ)が食べた跡が少なからずみられるのだが、それ以外にも人工林、天然林を問わず多発しているシカ被害がある。シカが樹木の皮を剥いで形成層を食べてしまう、剥皮(はくひ)害である。剥被害というと、くるっと一回り幹の皮をむかれて立枯れした大台ヶ原のトウヒ林の木々などが有名だが、それと少し異なるパターンで、紀伊半島で深刻な被害が生じている森林が多くみられる。

ほとんどの立木が皮をむかれたスギ林。古い剥皮跡の周囲が後年また剥皮されたものもある。現地では材内部が強く腐朽していることが見てとれた。奥地の放置林。

*シカによる剥被害*
人工林ではヒノキのほうがスギよりも剥皮害を受けやすく、これは新芽食害の好みと一致する。シカは外側の粗い樹皮(外樹皮)を下側からむいて、その内側の内樹皮を食べる。
内樹皮を食べられた場所は木材(木部)の表面がむき出しになり、シカの歯でこすった痕が一面についていることもしばしばある。三重県林業研究所によるとシカの歯痕が残ってい
るのは樹木の成長停止期の食害で皮が硬いのを無理に剥がして食べるた

め痕がつくためで、深刻な餌不足の可能性があるという(※1)。移動しながら食べまわるシカの生態からか幹を一周はがされることはそれ程にはなく、剥皮の範囲が4分の1から半周くらいまでに収まっている立木が多い。高さの範囲は地際から地上数10cm、または1-2mくらいまでで、剥かれた樹皮が上からぶら下がっているケースもしばしば見かける。その他、根張り(地際の根が張り出している部分)は剥皮されやすい部位である。同じ木が何回も繰り返し被害にあうことは普通にみられ、一度剥皮されると形成層がほぼ完全に食べられて復活しないので、回数を重ねるごとに剥皮面積が広くなっていく。
調査した人工林のうち、たいていのヒノキ林では、数本程度の被害は普通に存在した。
被害のひどい場所では半数以上の立木が、もっと激害になると8割以上の立木が大きく剥
皮されていた。前述のようにスギ人工林ではヒノキ林より被害が少ないが、中には激害の
箇所もあって、シカの食性としてひとたびその食べ物(樹種)に手を出すと、それ以降も食
べつづけるようになるというモーメントがあるように感じられる。
天然林でも当然、剥皮害は多い。よく目につくのは外皮がごく薄いリョウブという落葉
広葉樹で、外皮をむきやすく食べやすいのだろうかとも想像する。そのほか、アカメガシ
ワ、ウツギ類なども剥皮害を受けやすい樹種だ。大雑把な観察だが、カシ類は樹齢が高く
なると樹皮の硬さ(厚さ?)が増すのか、若木のほうが剥皮されやすいようだ。針葉樹のモ
ミ、ツガも剥被害の対象となる。一方ミズナラ、ブナなどは葉の食害はあるが、厚いまた
は硬い樹皮のためか剥被害はほとんどみられない。このように樹種や樹齢によって被害の
受けやすさは異なる。
被害が進行し幹の全周をはがされると、たいていの木は枯死し立枯れする。それでも立
枯れしない木は地下で根が別の木の根と癒着して栄養をもらっているのだろう。

 

*剥皮被害木が風倒木へ*

将来的に不安な事のタネとして、人工林、天然林ともにシカによる剥皮害が原因で幹の内部に木材腐朽菌が入り、年数の経過とともに腐朽が広がり、ついには台風などの強風により腐朽部分 が折れ、風倒木となってしまう現象がポツポツとみられている。あくまで倒れた後の木を観察しているだけの話だが、数年以上前の剥皮害があり、幹の内部が腐 朽し、剥皮部分が折れて倒れている状況から他の推論は立てにくい。いわばシカ剥皮・幹腐朽・風倒の連結被害ということだが、ここでは便宜的にシカ剥皮風倒 害と呼ぼう(※3)。私はこの被害を将来にわたり森林を蝕む要因として、とても危惧している。

剥皮後に風害で倒れたスギ。剥皮部分が腐朽して折れている。ちなみに最初の剥皮の傷の周辺が後年また剥皮されている。

シカ剥皮風倒害はシカ剥被害のひどい地域でしばしばみられ、スギ、ヒノキ人工林で、また天然林のリョウブやケンポナシ、コジイなどの高木層の樹木に、多くは単木的に発生していた。中にはスギ人工林で4-5本くらいまとまって発生していたこともあった。シカ剥皮風倒害が発生するには必ずしも幹の全周が剥皮されることは条件でなく、幹の半分程度までの剥皮でも、幹の内部(木部)の腐朽が広い範囲で進んでいる状態になっていれば発生し、むしろ全周が剥皮されているほうが少なかった。全周が剥皮されると全ての葉を落として立枯れするので、逆に風害で倒れにくくなるのかもしれない。なんらかの原因で幹に進入した腐朽菌が内部を腐らせ風倒害を誘引することは、菌類学者の故今関六也氏が1954年の洞爺丸台風で北海道の石狩川源流域のエゾマツ・トドマツ150-250年生原生林の壊滅的な風倒木被害を調査した折、指摘している(※2)。その調査では、腐朽菌が幹に進入した原因として、地下水位が高く根ぐされがおきたことが疑われている。腐った根から進入した腐朽菌は何年もかけ幹内部を腐らせ、台風の強風により腐朽部から折れて倒れる。続いて風倒木を餌に穿孔虫が大発生し、さらにナラタケ病も誘発されて老齢・極相林を崩壊に導くことがあるのだと今関氏は述べている。

折れて露出した幹内部(木部)。ほぼ全体が強く腐朽し、スカスカで柔らかくなっていた

*シカ剥皮風倒害がもたらすもの*
エゾマツ・トドマツ原生林崩壊の事例から連想されるのは、スギ、ヒノキ人工林でのシカ剥皮風倒被害が類似の進路をたどらないかということである。いまはポツポツみられる程度で、私のアンテナではまだ森林・林業関係者の間でも特に話題になっていないようだ。しかし私が和歌山県の天然林で初めて被害を観察した3-4年前から、だんだん新しいシカ剥皮風倒被害の観察頻度が増えてきているように感じるし、地域的にも紀伊半島の三重、奈良、和歌山全てで確認している。剥皮やそれによる腐朽はスギ、ヒノキ人工林の中でも個々の木によりタイムラグがあるから、ある台風で一斉に立木がシカ剥皮風倒害で倒れることは考えにくいかもしれない。しかしシカ剥皮害と幹内部での腐朽菌の拡大はその場所で年々進行し次の倒木予備軍を増やしていくだろうし、一部の立木でも台風で倒れれば林内に風が吹き込んで、残された木も風害を受けやすくなる。エゾマツ・トドマツ原生林の例のように、風倒木が虫害や別の病害を誘発しやすくなることも容易に予想されるプロセスだ。シカ剥皮害により多くの立木が使い物にならなくなっている人工林が各地でみられるが、今後その剥皮を原因として立木が何年にもわたり次々と倒れていき、森林を崩壊させていく、という次の段階に進む例が出てこないか不安である。
天然林についても新芽、葉、樹皮の食害に続く現象としてシカ剥皮風倒害は発生してい
るし、現在の森林植生や今後の植生遷移、生態系全体への影響が多分に懸念されるが、今
の私には現象が複雑で手に余り、もっと考えを整理してからでないととても文章にならない。

*シカ被害の奥深さ*

ケンポナシの剥皮風倒木。剥被、腐朽とも幹内部の一部分だが、強風に耐えられず倒れた。周囲には剥皮されたリョウブ、枯れて桿(タケ類の茎のこと)だけになったスズタケがある。林道周辺

シカ害はまず新芽や葉などの食害が問題になることが多いが、剥皮害も多くみられること、それが次の被害につながっていることを訴えたい。人工林、天然林のいずれにおいても生態系の中のひとつの現象は次々に別な現象へと連鎖していく。まとまった風倒害が発生し明るくなった林内にシカの餌となる草や低木が生えると、草原が好きなシカの格好の生息地になり、栄養状態が良くなり繁殖しやすくなる。増えたシカがまた剥被害をおこすのだから、森林にとっては負の連鎖だ。

もう手遅れで回復に何十年、それ以上もかかる森林がそこかしこにある。これまで人工林では間伐などの手入れ不足が土壌流亡など森林の荒廃につながっている問題が指摘されてきた。それと同様に、いや現在ではそれ以上にシカ被害についても本当になすべき対策をとらないと、次々と手遅れな森林が増え、森林生態系というお金より大切な国民の財産が失われていってしまう。

*オオカミ復活について*
ニホンオオカミを絶滅させシカの天敵を人間だけにしてしまったことが大変悔やまれ
る。私自身は20年ほどの期間、断片的ながら森林を見てきた中で、シカの爆発的増加の深
刻さを知り、元はといえば唯一のシカの野生の捕食者であるオオカミを人が絶滅させてし
まったことが大きな要因ではないかとあるとき思い至り、愕然とした。オオカミは森林生
態系の頂点で、その生態系を形づくる大きな鍵となる種だということは頭ではすぐ理解で
きた。その種がもはや絶滅してしまったのだと思い絶望を覚えたが、今から10年ほど前
だろうか、オオカミを復活させるという選択枝を主張する日本オカミ協会に出会い、オオ
カミ復活の概念を知った。オオカミ復活について初めから結論を出せないまでも、少なく
ともきちんと考えみんなで議論をすることが必要ではないかと思った。今になり振り返る
と、それまで森林・林業関係で情報を得ていた関係分野の主流の学者の方々の論説は、オ
オカミ復活についてなぜか(行政的に?)タブーのように触れず適切な提案も反対もなく(あ
ったとしても声が小さくて)私の耳には届かず、発想をオオカミ復活から遠ざけていたよう
にと思う。

広葉樹(樹種不明)の剥皮風倒木。シカの口の届く範囲だけきれいに低木の枝葉、草が食べられ(ディアラインの形成)、林床植生は貧弱、土壌流亡が激しく樹木の根が現れてきている。常緑広葉樹が混交する尾根沿いのヒノキ林

各地で森林や里山でのシカの被害を見聞き・体験して、日本でのオオカミ復活の是非、可否を考えてきた末、結論として私は復活に賛成している。オオカミを復活させる、させないの選択肢、両者のメリットとデメリット、リスクの大小を考えてみたりした。詳しくは日本オオカミ協会の資料をご覧いただきたいが、単純にシカ被害がものすごいからオオカミに食わせろというだけの話では決してないし、そうはならない。

 

オオカミ絶滅の影響は、長い潜伏期間を経てシカの食害の増加に伴う植生の変化が目に
見えるようになって問題になったが、シカ剥皮風倒害も時限爆弾のように発生しはじめた
し、最近の研究ではシカ食害による植生の変化が鳥類へ影響を及ぼすことも明らかにな
ってきた(※4)。まだまだ将来解明される影響もあるだろうし、それでも全ての影響を予測
・解明するのはできないと考えるのが正常な理性だろう。一方でオオカミを復活させた日
本の森林がどのような経過をたどるのか、生態系修復へ向かうとは思うが、こちらも全て
の影響の予測・解明は困難だ。だからこそ皆さんもオオカミ復活についてぜひ賛成、反対
の両側面から深く考えてほしい。
私の場合、書籍も読んだが、もちろんすぐには考えは固まらなかった。そんな中、考え
る材料としてどうしても必要だったと思うことは現地を歩くことで、森林調査や山仕事な
どを通じてシカ被害の無残な状況を目の当たりにし、最終的には米国のイエローストーン
国立公園で、再導入されたオオカミの生態を自分の目で垣間見たことがオオカミ復活賛成
の決め手になった。オオカミは、その自然に当然いるべくしている野生生物だったのだ。
全てのお世話になった方々に謝意を示したいが、代表して最初にオオカミ復活について
きちんと考えるきっかけをくださった当協会理事、森林・林業のエキスパートの上野一夫
さんに感謝の意をささげます。

2012年11月22日
今回あまり触れなかった天然林のことについて、重要な点を考察として追記したい。森林中のシカの剥皮は、シカの数が適度であるなら、森林の更新、生物多様性に貢献するという報告がある。森林の年齢(林齢)が高くなると、高木層の枝葉の密度が高くなり、低木や草が減少してくる。ここでシカが剥被することで、高木の幹が腐って倒れ、地上に光が当たる。そうすると新たな植生が生育する空間ができ、森林の更新や生物多様性の向上に役立つのである。シカによる剥皮-幹腐朽-風倒の連結は、程度が甚大になると問題だが、その現象そのものは生態系にとって、もともと必要なプロセスの一つというわけだ。
シカは多すぎてもいけない、かといって少なすぎてもいけない。では適度なシカの数と
はどのくらいだろうか。それは単なる数字ではなく、オオカミとシカ、その他の生物がバ
ランスをとって数を保っている状態、年によって数はシーソーのように上下するだろうが、
長い年月では均衡を保っている状態をもって適度だと判断されるのだろう。オオカミを欠
いた生態系で単純に人間がシカの数を制御するのではなくて、オオカミがいる生態系で、
その生態系自身が各生物の個体数、その他さまざまなバランスをとっていくことが、最終
的に森林を健全な状態に保つことにつながるのだと思う。

※1 http://www.mpstpc.pref.mie.lg.jp/RIN/paper/shika.pdf
※2 今関六也(1988) 森の生命学、冬樹社
※3 意の通じる相手との会話などでは口語的に樹木の「シカ折れ」と呼んでいる
※4 奥田ほか(2012) 栃木県日光地域におけるニホンジカの高密度化による植生改変が鳥
類群集に与える影響、日林誌94:236-242

 

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