出口が見えない獣害対策会議:猫の事務所幻想

人獣逆転neko
この小さな町は九割以上が森林である。残りが農地と市街地と集落。哺乳類では、ず
っと昔に絶滅したカモシカ、オオカミ、カワウソ、それにツキノワグマを除いて、イノシ
シ、サル、シカ、ハクビシン、タヌキをはじめとして一応揃っている。当然ながら、この
地域でも、以前は人間の方が野生動物よりも勢いがあったのだが、半世紀前の高度経済成
長期あたりから、状況が変わってきた。そして、ここ十年は両者の関係は逆転しつつあ
る。戦後、イノシシはいち早く全域に広がり、今では毎年千頭以上捕獲されているのに減るどころか増え続けている。イノシシと比べたらはるかに出産数が少ないサルも全域で目撃されるようになり、人を恐れなくなった。出遅れ気味だったシカもどうやら全域に分布を終わったようだ。この町でのシカの猛威はこれからである。人よりも野生動物の方が多
いと住民は元気なく笑う。ここでも高齢化が進んで若者の姿はちらほら。獣害対策はハン
ターが頼りだが、やはり土地のハンターは減り続け、高齢化が進んで何年か後には絶滅が
予想されるとは、ハンター自身の言である。だから、いくら獲っても、獣たちは増え続け
る一方だ。人を見ても逃げようともしないイノシシが増えてきた。それどころか、かえ
って襲い掛かってくる怪しからん個体もいる。猿害も無視できない。サルは困ったことに
柵を乗り越えるので、天井もネットで塞ぐ必要がある。これでは、人が檻に入れられて、
獣たちに見物されているようなものだ。町民は皆、困り果てている。もっとも、こうした
状況はここだけのことではない。今や「人獣逆転」、日本全国の山村ではどこでもみられ
る風景である。

獣害対策会議
この町の行政も手をこまねいていたわけではない。全国どの自治体でも同じように何度
も対策会議を開き、駆除を決めて報奨金も用意し、罠の無償貸し出しも実施してきた。侵
入防止柵の設置には補助金も用意した。だが、どこでも結果は同じ。この町でも効果はあ
るようなないような、獣害はあいかわらず増え続けている。
たまりかねた住民が集まって自主的に獣害対策会議を開いた。地域のリーダー格の人物
が呼びかけたのである。会議には20人以上が集まった。型どおりに会議の呼びかけ人の
挨拶で始まった。県の地方事務所の課長から、行政による獣害対策について型どおりの報
告があった。農協の代表からは農業被害で困り果てている様子が披露された。地元森林管
理所の職員からは森林被害について簡単な説明があった。大学の森林研究所の職員から、
センサスの結果ではシカが増加していると報告があった。地元ハンターからは、駆除頭数
は着実に増えているが、害獣の増加に捕獲が追いつかず、ハンターは後継者不在のままに
高齢化して、ハンターは減る一方だ。それなのに行政からはもっと獲れとの要求だがも
う限界だと、なかばやけっぱち気味の報告があった。高齢の農業者からは「畑を耕すのが
半日、柵の手入れが半日。何とかしてほしい」と悲鳴があがった。町会議員の一人は「近
頃は山に人が入らなく獣たちが増えているのだ。地域を振興させて、昔のように山をにぎ
やかにしなくては」と弁を振るったが、賛同している者はいないようだった。別の町議会
議員は「うちの町はジビエに乗り気でない。情けないことに、町議も大部分が反対してい
る。ジビエ産業を振興させないから獣たちが増えるのだ」と叫んだが、これにも反応はな
かった。同じような愚痴ともつかない発言が続いたが、参会者の表情はますます能面のよ
うになるだけだった。

 

賢治の「猫の事務所」
この会議、田舎だからだろうって。そんなことないのである。霞ヶ関から県庁まで顔ぶ
れは違っても、この手の会議の中身はこんな具合なのである。どこでも、顔ぶれは変わ
っても殻を破る斬新なアイデアは出てこない。どこまでも守旧的。これが現在の獣害対策
会議や委員会の実態なのである。この手の会議や委員会は年に何回開かれているのだろう
か。いつまで繰り返されるのだろうか。
本当に困ったことには、こうしているうちにも、獣たちも被害も増え続ける。農林業や
交通運輸などの産業被害も増え続けるが、これらは人間が作ったものだから、後でどうに
でもなる。これよりもはるかに始末が悪いのは自然生態系の被害である。増えすぎたシカ
の食害で発生する植生破壊や山地崩壊は一旦起きると回復は大変難しく、元にはなかなか
戻らない。気がついたら岩山などということも想像だけの世界ではないのだ。
のんびりしていられないはずなのだが、対策は一向に変わらない。宮沢賢治は「猫の事
務所」という童話を著している。森の中に小さな事務所(猫の歴史史料館)があって、事
務長以下4匹の猫が働いている。彼らは、一所懸命の割には、てんで勝手なものだから、
何をしているのかわからない。そこへ獅子が現れて解散せよと一喝すると、事務所は廃止
になってしまう。そんな簡単な筋書きであった。「ぼくは半分獅子に同感です」と書いて
いるところを見ると、賢治も当時の行政にはじれったかったようである。獣害対策会議は
「猫の事務所」に似ているように思える。オオカミ復活論者にとってはまことに歯がゆい
限りだが、「猫の事務所」みたいに消えてなくなっても困る。獅子の一喝ではなくて、や
はり、平凡で地道な草の根的、丁寧に論理を尽くす啓発活動しかないのであろう。
(狼花亭)

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