オオカミに対する偏見を正し、誤解を解くために!
オオカミ復活についての疑問に答える最新Q&A

オオカミのいない日本の生態系(=国土)は、シカの増えすぎによって荒廃し続け、このままでは私たちに深刻な災害をもたらすことでしょう。シカの過剰採食によって、森林を含む植生が消失し、あちらこちらで裸地化が進み、貴重な土壌が流失し、山地の崩壊すら発生しています。同時に、多くの野生生物が住処や食べ物を奪われて絶滅に追い込まれ、生物多様性が低下しています。深刻な農林業被害や交通事故、人身傷害が発生しています。

シカが増えすぎるのは、その天敵で、生態系の頂点捕食者オオカミを絶滅させてしまったこと、最近になってハンターが激減していること、これら二つに原因があります。シカの生息密度を自然生態系と均衡する適正レベルに維持し、生物多様性、生態系保護、そして農林業被害防除、交通・人身事故防止を達成するためには、オオカミの復活と狩猟の維持が欠かせないのです。これこそ、私たちがオオカミ復活を実現させなければいけない第一の理由です。これだけではありません。二つ目の理由は、私たちが誤って滅ぼした野生生物の復活は私たちの倫理的な責務だからです。

しかし、間違ったオオカミ観がその実現を妨げています。このQ&A集は、オオカミに関する偏見と誤解を払拭し、正しいオオカミ観を持って、オオカミ復活を一刻も早く実現し、私たちの自然と生活、産業を守ることを願って作成しました。この小冊子が多くの人の目に触れ、オオカミの再導入が理解されることを期待しています。

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1.  日本の生態系がオオカミ復活を必要としているのはなぜ?

<生物多様性とは自然保護の程度を示す指標>

土壌、空気、水などの無機的な物質の上に、無数ともいえるさまざまな生物が共存し、相互に関係しあって生物群集や生態系を構築し、環境を安定化する働きをしています。地球誕生以来の40億年以上という気の遠くなるような時間の経過の中で、生物たちはそれぞれ生き抜くために無機的な環境に作用し、それと一体となって新たな環境を作り出し、そしてまた、新たな環境は生物に新たな進化を促してきました。この気の遠くなるような相互作用の連続を通じて、さまざまな生物と環境から成る生態系が出現したのです。そして、現在の生物多様性は、未来のより高度な生物多様性を生み出す母体になるはずなのです。地球の生物圏は生物生存のための快適な環境の創出のために生物の種を増やす方向に変化し続けてきたとも言うことができます。まさしく私たちの世界は「関係の総体」なのです。

そうした高度な生物多様性をもった生態系は、そのなかで進化してきた生物のひとつの種にすぎない私たち人間にとってかけがえのないものだということは改めて言うまでもないことです。多くの人たちが繰り返し指摘しているように、こうした生態系抜きでは、私たち人間は生存できないのです。生物多様性とは、こうした生態系の健康度をあらわす指標のひとつです。

<生物多様性の再生は私たちの至上の責務>

人類の歴史は自然破壊の連続でした。だから、その指標としての生物多様性は、私たちの欲望を満たすための際限ない開発によって多くの生物を失い、限りなく低下し続けています。種が絶滅するごとに私たちの生存条件もその分悪化しているわけです。だから、私たちが絶滅に追い込んだ種とその生息環境の再生、すなわち生物多様性の再生は、絶滅に追い込まれた生物種と生態系にとってと同じように、人類が生存し続けるために欠かせないものであり、私たちの目先の益害を超えた至上の責務なのです。

日本も近代になって、加速度的に多くの生物種を絶滅させ、大切な生態系を消滅させてきました。1世紀前のオオカミ、最近のカワウソ、トキ、コウノトリの絶滅は多くの人が知っています。幸いなことに、トキとコウノトリは復活しつつあります。しかし、カワウソは忘れられたままです。オオカミは偏見と誤解に邪魔されて復活が阻まれています。オオカミについての偏見誤解とは、人畜の害獣、外来種、生態系の害獣などと考えられていることです。こうした“誤った思い込み”で絶滅種の運命が左右されることが許されるわけがありません。

<頂点捕食者・オオカミの絶滅とその放置が招く生物多様性低下と生態系崩壊>

絶滅種、とりわけ生態系のネットワークの要に位置する頂点捕食者の復活は、生態系の存続にとって欠かせません。日本で1世紀前に絶滅したオオカミ(正しい呼称はハイイロオオカミ)はそうしたかけがえのない頂点捕食者だったのです。

シカやイノシシの異常な増加による、植生破壊、自然生態系の荒廃、生物多様性の低下や農林水産業被害の増加は、北は知床から南は屋久島まで、全国各地で有効な対策を欠いたまま際限なく日々深刻化しています。この原因は、シカやイノシシの天敵だった頂点捕食者オオカミの絶滅にあることは明らかです。

しかし、その対策は、侵入柵の建設と捕殺(狩猟、駆除)の二つしか行われていません。今や、これらだけでは、効果がないことは明らかです。害獣の移動を妨げる侵入防止柵の建設だけでは、農地やごくわずかな植生の保護はできても、増えすぎたシカやイノシシの数そのものを生態系が許容する密度にまで減らすことには役立ちません。そのためには、どうしても狩猟や駆除、それにオオカミ復活は欠かせません。しかし、1970年代以降、狩猟者の減少が止まらず、ごく近いうちに消滅すら心配されています。困ったことには、オオカミ復活を口にするのはタブーのようにはばかられています。このような現状では、生態系とつり合う適正なレベルにまでシカやイノシシを減らすことなど、いつまでたってもできない相談です。

<国土と自然の回復にはオオカミの復活は不可欠>

獣害問題を解決できない最大の原因は、日本の生態系の唯一の頂点捕食者であるオオカミの再導入をとりあげようとしないからです。シカやイノシシの異常な増加を抑え、彼らから日本の生態系と農林水産業を守るためには、オオカミの復活以外に方法はありません。食物連鎖の頂点に立つ捕食者オオカミの再導入による均衡のとれた生態系の復元が不可欠なのです。これは、前述の責務を果たすことでもあります。

私たちが理性的、論理的、そして実証的な思考に忠実であるならば、オオカミ復活はすぐにでもできるのです。オオカミの保護は、今や北米だけでなく、ヨーロッパ、中国、インドなど、国際的な常識です。しかし、日本では、なぜかこれを口にするのをはばかる風潮が強いのは、私たちの文化的アレルギー、すなわちオオカミに関する偏見と理解の不足があるからなのです。

「オオカミアレルギー」は日本列島に数千年以上も住み続けてきた民族の心の奥底に深く染み付いたものではありません。日本人が西洋文明に日常的に接し、無批判に取り込み始めた明治以来のせいぜい1世紀半前からのことなのです。今、オオカミとその復活について正しい知識を持ち、オオカミ復活を実現するならば、間違った開発によって破壊され続けてきた国土と自然を回復し、豊かで安全で、かつ美しい環境と生活を取り戻すことができるでしょう。

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2.日本でオオカミが絶滅したというのは本当?   絶滅したのはいつ?

日本でオオカミが絶滅したのは明治時代末との説が有力です。明治時代には、北海道、東北だけでなく、中部、関西などの各地でオオカミが生息していました。最後の確認は、北海道では1896年(明治29年)函館の毛皮商が取り扱ったもの、本州では奈良県で1905年に捕獲されたものといわれています。しかし、大正時代になっても、姿を目撃したり、声を聞いたりしたなどという情報がないわけではありません。四国、九州にも生息していましたが、絶滅がいつだったのかはっきりしません。静岡県の伊豆半島の西天城山系では、明治初頭まで生息していたという記録が残っています*1。 各地での絶滅年代はまちまちで、多くは不明です。

[*1 丸山・安井・高橋「伊豆半島南部における中・大型哺乳類の地理的分布の変遷」野生生物保護11(1):1-30(2007)]

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3.日本でオオカミが絶滅した原因は?

オオカミが絶滅した理由は次の5つです。
①  明治時代のシカやイノシシなどの乱獲で、オオカミの食物が少なくなり、数が減った。
②  乱獲により餌動物が少なくなり、馬など放牧家畜に被害を出して駆除された。
③  文明開化にそぐわない野獣という政策的な理由で駆除された。
④  オオカミの毛皮や骨肉は価値(骨は民間薬)が高かったので、換金目当てに乱獲された。
⑤  イヌからの伝染病に罹った。

日本でオオカミが絶滅した原因として、ジステンパーや狂犬病などのイヌからの伝染病に感染したためといわれていたことがありました。しかし、オオカミが全国各地に広く分布し、個体数が多かったのに、伝染病によって一斉に死に絶えることは通常は考えられません。いろいろな理由でオオカミの数が減少し、餌を探して人里近くに出てきたオオカミの小集団が、イヌの伝染病に感染して絶滅するという可能性はあります。イエローストーン国立公園(米国)のオオカミは、1995・1996年再導入後、順調に増加してきたものの、最近数年ジステンパーと疥癬が原因で減少していることが知られています。オオカミの影響でエルクジカなどのオオカミの獲物が減少し、食物不足による栄養水準の低下が体力低下をもたらし、伝染病に罹りやすくなったことが考えられます。しかし、ユーラシア大陸および新大陸に生息するオオカミが、伝染病で広域的に絶滅したという例は知られていません。

オオカミが全国各地からまさに潮が引くように姿を消した理由は、明治時代の野生動物の乱獲と当時の行政による強力なオオカミ駆除政策が主因だったと考えられます。明治政府は、それ以前のオオカミを崇拝する神道的価値観を否定し、近代化にそぐわない猛獣と位置づけ(中沢2008)、学校教育、社会教育を通じて反オオカミの啓発政策を展開し続けたのです。

今日でも、「オオカミは悪い害獣だったので駆除されたのだから、そんな動物を復活させるなんて、とんでもないことだ」という人がいます。野生生物を含む自然を、人間にとって有益なもの、害になるものに分けて考える「益害論」は伝統的なものですが、正しい考え方ではありません。この思想は、人間中心主義のエゴ的な自然観によるもので、自然あっての人間、自然に抱かれ生かされている人間という生態学的自然観(生物多様性を重視する自然観)と相容れません。人間は自然の上位にあり、自然を支配し管理する権利を神から授かったと信じる「神権論的自然観」という偏見に凝り固まった考え方(赤頭巾の説話の思想的背景)もあります。オオカミを害獣とみる考え方は、この古い信仰に根ざしているのです。こうした益害論的自然観にもとづく素朴なオオカミ復活反対論は、自然と人類の共生を説く生物多様性保護の自然観と対立する考え方ともいえるでしょう。

[中沢智恵子「明治時代東北地方におけるニホンオオカミの駆除」フォレスト・コールNo.13:18-21(2008)]

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4.日本の生態系はオオカミがいなくても問題ないのでは?

いいえ、オオカミのいない生態系では、シカのような強力な食植動物が自然を破壊し、その結果、いろいろな野生生物が減ったり、絶滅したり、少数の特殊な種がはびこったり、土壌が流れたり、斜面が崩壊したりと、次々と異常現象が連鎖的に発生して、最終的には生態系は不毛な砂漠や岩山に向かって文字通り崩れ落ちてしまう可能性が大きいのです。オオカミ不在は生態系にとって致命的な問題なのです。これをもう少し詳しく説明すると、次のようになります。

シカのような強力な消化能力を持った植食動物は、毒性のある少数の植物以外、多くの植物を食べつくすまで増え続けます。これが森林生態系の破壊の始まりです。森林植生が破壊されると、そこを住処にし、食べ物を得ていた多くの動物たちが次々に絶滅に追い込まれます。たとえば、南アルプス*1では西暦2000年頃から、夏季、高山地帯にまで出現するようになったシカによる植生の破壊が原因でライチョウが急減したことが報告されています。高山植生とライチョウを保護するためにネットを張っていますが、せいぜい大きな部屋程度のもので、実効性はありません。ライチョウを捕獲してケージで育てて、絶滅対策にしようなどとも提案されていますが、専門家のアイディアとしてはまったく馬鹿げています。これでは、高山植生もライチョウも守ることができません。

他の多くの野生生物にも同様の悪い影響が及んでいます。増えすぎたシカによる過度の摂食で花をつける植物が減ったのでミツバチが減少して、蜂蜜が取れなくなったという養蜂家の嘆きを聞きます。各地でカモシカやイノシシがいなくなっているのはシカの増えすぎが原因です。シカによって食物となる葉や木の実がなくなることにより、ツキノワグマやヒグマも影響を免れません。これ以外でも、生息環境を破壊されて、多種類の昆虫や鳥類などの野生動物が姿を消してしまいます。こうして、伊豆半島の天城山系のように、野生鳥類が減少し、鳥の声が聞かれなくなったりしている地域も稀ではないのです。

これらだけではありません。シカによる過度の採食で植生が無くなり、裸地になった山の斜面からは土砂が流れ出し、崩壊が始まります。栄養成分が減少して、微生物などの土壌生物も激減します。土砂は谷を埋め、イワナなどの渓流性の魚類から住処を奪います*2。土石流の恐れも出てきます。土砂が海に流れ出すと沿岸生態系すら壊れ、漁獲も減少してしまいます。こうして遠く離れた生態系にも、シカによる破壊は影響するのです(この生態系の連鎖的な崩壊を、次々と流れ落ちる滝に例えてカスケード現象と呼ぶことがあります)。

米国のイエローストーン国立公園は、こうした意味で貴重な実験場であるといっても良いでしょう。ここでエルクやバイスンなどの保護とは裏腹に、オオカミが駆除され絶滅したのは1920年代のことです。その後、もちろんエルクやバイスンなどの植食動物は爆発的に増加し、草原や森林を食害し、ビーバーや野鳥をはじめとした多くの野生生物は減少したり絶滅に追い込まれたりしました。結果として、生態系の生物多様性が低下したことはもちろんです。しかし、1995年と1996年、合計31頭のカナダ産のオオカミが再導入されてからは、エルクなどの植食動物の数が大幅に減り、いろいろな生物が復活し、オオカミ効果による生態系の回復がはっきりと認められるようになりました*3。シカのような強力な植食動物が生息する生態系には、オオカミのような強力な頂点捕食者が必要なのです。

もちろん、シカは農林業にも甚大な被害をもたらし、その被害額は年々増え続けています*4。生態系被害や交通事故による被害を加算したら膨大な金額になるはずです。最近では増えすぎたイノシシやサルによる人身害すら頻発しています。山口県ではイノシシに襲われて死者が出ています。神戸では高齢女性が指を食いちぎられる事件も起きています(原因は、イノシシが急増していることに加えて、不用意な給餌であろうと考えられます)。これらすべては、捕食者オオカミを絶滅に追いやったことから始まったのです。今や、シカやイノシシの増加を狩猟だけでは抑制できません。

「国敗れて山河あり」と言いますが、「山河を失くした国」の将来はどうなるのでしょうか。問題を解決し、美しく豊かな山河を子孫に残そうとするならば、オオカミ復活を忘れることはできません。

[*1 増沢武弘編著「南アルプスの自然」静岡県(平成19)
同様に、長谷川順一「栃木県の自然の変貌 自然の保全はこれでよいのか」(自刊)(2008).
ほかにも、シカが生態系に及ぼす影響に関する出版物、研究報告は多数。]

[*2 紀伊半島では、シカの増えすぎが原因で流出した土砂で、渓流魚のキリクチの産卵床が埋まり、繁殖を困難に。]

[*3 ウイリアム・ソウルゼンバーグ(野中香方子訳)「捕食者なき世界」文芸春秋(2010)]

[*4 平成21(2010)年度農林水産省とりまとめ「全国の野生鳥獣類による農作物被害状況について」:
①鳥獣による平成21年度の農作物被害については、被害金額が213億円で前年度に比べ14億円(対前年比7%)増、被害面積が10万5千ha(対前年比5%)増、被害量が62万tで前年度に比べ12万9千t(対前年比26%)増。
②主要な獣種別の被害金額については、シカが71億円で前年度に比べ12億円(対前年比21%)増、イノシシが56億円で前年度に比べ2億円(対前年比4%)増、サルが16億円で前年度に比べ1億円(対前年比7%)増。]

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5.オオカミが絶滅した百年前と現在では日本の自然環境がある程度異なるのではと思われますが、オオカミの復活で野生生物が絶滅に向かったり大繁殖したりすることはない?

オオカミの復活が原因で、現在生息している特定の野生生物が絶滅したり、大繁殖したりする可能性は考えられません。

明治維新以降の百年余、日本の国土は、これまでになく開発が進み、自然環境は各地で、姿を変えたり、破壊されたりしました。第二次世界大戦後の産業構造の大きな変化で農林水産業が衰退し、山間地社会は人口の減少だけでなく、高齢化が急激に進みました。このため、各地で耕作地の放棄が進み、地域の狩猟者は急減し、若者が減り、大部分が高齢者となりました。このため、狩猟圧は低下する一方で、シカやイノシシの頭数の増加を止め減少させる力がすでになくなりました。シカの増加による生態系破壊は激化する一方です。このため、生息地を奪われた多くの野生動植物が絶滅の危機に追い込まれています。

しかし、オオカミの生息にはなんら支障はありません。なぜかといえば、オオカミの主要な餌はシカ、イノシシ、サルなどの中大型哺乳類だからです。これらの餌動物は現在増えすぎ状態にありますから、オオカミは食べ物には困りません。それに、日本の国土は依然としてその面積の65%以上は森林におおわれていて、1世紀前の明治時代と比べて大きな変化はありません。それゆえ、面積的にもオオカミの生息にまったく問題はありません。

生態系の頂点捕食者であるオオカミが復活し、シカの増加が抑制され適正密度(1平方kmあたり2~3頭)に抑えられるならば、シカの増えすぎによって、生息地を破壊されて絶滅に向かっている多くの野生生物種は絶滅から救われることは明らかです。オオカミの復活で、大発生する、あるいは反対に絶滅に追い込まれる野生生物種の存在は、今のところ想定することはできません。オオカミのような頂点捕食者が生息することで、生態系の生物多様性が向上し、その結果、系が安定し、特定の種の大発生や激減が防止されることは生態学の基本的な原理です。オオカミ復活が生態系に悪い影響を及ぼすと主張する研究者、行政関係者などの人たちは、具体的、論理的にその影響を指摘すべきです。ただ単に漠然と悪い影響が出る恐れがあると唱えるだけでは、論理性のない感情論(思い込み)にとどまるもので、議論になりません。

[丸山直樹・須田知樹・小金澤正昭編著「オオカミを放つ」白水社(2007) ]

[ウイリアム・ソウルゼンバーグ著(野中香方子訳)「捕食者なき世界」文藝春秋(2010) ]など

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6.駆除や狩猟、柵でシカやイノシシ、サルなどによる被害の防除はできないの?

これまで実施されてきた駆除を含む狩猟の結果を見る限り、全国どこを探してもシカ、イノシシ、サルによる被害を防ぐのに成功した例はありません。たとえば、莫大な財政を使い、「順応的管理」と称する管理計画を大々的に実施してきた北海道の計画的管理は、これといった成果もないままに、完全に失敗しています。2000年に10万頭台と推定されていたエゾシカは、10年経った2010年には、全道的に分布を拡大し、60万頭以上に増加してしまいました。本州以南の各地でも同様です。対策会議などを開いて、あれこれ議論しているうちにシカはどんどん増えて、数年のうちに手がつけられなくなるほどになってしまうのです。たとえば、ユニークな自然生態系である大台ケ原(シカ害によってトウヒなどの貴重な原生林が消滅している)*1が位置する三重県の場合、2008年のシカの生息頭数は約5万頭と推定され、2010年までに半減させる管理計画を策定したのですが、実際にはさらに増えて7万頭以上となったと報告されています。残念ながら、これまでシカの個体数コントロールに成功した事例は皆無です。

その大きな理由は、ハンターが激減し(狩猟登録者数:1970年代50万人以上、現在10万人を割ろうとしている)、高齢化(平均年齢60代後半、大部分は50代以上、40代以下は稀)しているからです。農山村社会自体が縮小し、住民の高齢化が進んでいるので後継ハンターの補充は望みがないのです。狩猟規制を緩和し、駆除を強化しようにも、ハンターの補充にはつながらず、ハンターが絶滅しそうな現状ではどうしようもありません。銃砲刀剣所持規制が厳しくなり、銃を所有すること自体が難しくなっています。このため、銃の所有者が激減し、銃猟者がいなくなりつつあります。そのため、銃を使わない、罠猟を推奨する自治体が増えつつあります。しかし、罠の設置地域は里山に限られるし、罠をかける農山村住民が減っているので、その効果はあったとしても一時的でいつまでも期待できそうにありません。

侵入防止柵の建設も全国的に行われていますが、まだまだ不十分です。今後増え続ける莫大な柵の建設費(1mあたり数千円から1万円)と建設した柵の維持管理の捻出は、それでなくとも巨大な赤字を抱える国、地方自治体のきわめて深刻な財政問題になるでしょう。山村では建設維持管理に当たる労働力の確保も大変です(戦後間もない頃、1200万戸あった農家は2010年兼業農家も含めて260万戸に減りました)。樹幹を守るネット巻は、限られた地域、限られた本数しかできないので、抜本的・本格的な防除策にはなりません。それに、柵やネット巻だけでは、シカやイノシシの頭数は減らせません。ジビエ料理が推奨され、野生獣の加工場が各地で建設されていますが、シカやイノシシの個体数コントロールに有効かどうかわかっていません。食肉利用も軌道に乗らず、期待外れに終わっているというのが現状です*1。獣肉の価格が高いのも問題です(100gあたり300~600円:国産高級牛肉と同じ価格かそれ以上)。ジビエ利用が個体数の抑制に効果があるとしたら、その効果が上がるほどに、捕獲効率は低下し、捕獲コストは増えるでしょうから、獣肉の価格はますます高いものになります。価格が上がるほどに需要は下がるはずですから、需要低下に比例して捕獲数も下がることになり、ジビエ利用と個体数コントロールは結局両立しないことになります。今のところ、これといった被害防除に関する有効策はないのです*2

ハンターの活動域は、里山とその周辺の浅い山地が中心です。ハンターは、南アルプスのような高山帯、亜高山帯地域、尾瀬、奥只見、北アルプス、北海道などの奥地には簡単に到達できないため、こうした奥山に生息するシカは完全に野放し状態にあります。また、このような奥地に広大な柵を作ることはできません。奥地に生息するシカは、狩猟や駆除、柵では被害を防除しきれないのです。

遅まきながら2011年になって、南アルプスの高山帯の増えすぎたシカ対策について、環境省は地元関係、行政、学識経験者を含む対策会議を開催後、計画書を発表しました。これは官僚による作文の典型で、総花的ですが、まず成果は期待できません。その理由はすでに述べたように、駆除しようにも標高3000m以上の高山帯にまでハンターは到達できません。それに南アルプス周辺部のハンターは往時の4分の1以下に減少し、高齢者ばかりです。シカの季節移動の経路を調べて途中で待ち受けて駆除するといいますが、調査ルートの解明に何年もかかります。その間にもシカも被害も増加し続け、ハンターは減る一方です。高山植物を守るネットを敷設するとしても予算と労力、アクセスが悪いので、わずか一部地域に限定され、大部分の地域は放置され、山は崩れ続けます。何の効果も得られないまま数年後に再び対策会議が開かれ、実態を無視した同様な官僚の手になる作文の対策計画書が発表され、南アルプスの生態系は崩壊し続けることになります。それでも、最終的にはオオカミ復活が検討されることになるでしょう。自然生態系を守るには、生態系の修復(頂点捕食者オオカミの復活による食物連鎖の修復)以外に方法は無いからです。

[*1 大台ケ原の自然生態系がシカによって悲劇的に破壊されている実態は、多くの研究者によって詳しく調査されています。たとえば、柴田・日野編著「大台ケ原の自然誌-森の中のシカをめぐる生物間相互作用」東海大学出版会(2009)。同時に、学識経験者による対策会議が何度も開催されてきたと聞いています。しかし、研究者たちはかつて大台ケ原にオオカミが生息していたことを知っていながら、それを頂点とする食物連鎖の復活を議論していないのは実に奇妙なことです。研究者たちは、オオカミの役割にまるで気がついていなかったか、気がついていてもオオカミの復活に触れるのは具合が悪いと考えてあえて口にしなかったのか、どちらかでしょう。こうした態度は、真実に忠実であるべき誠実な研究者としては恥ずかしいことです。研究者たちのこうした学問に背を向けた行動は、将来の日本の自然保護史研究の中で、科学者として責任ある正しい態度であったと評価されるのでしょうか。]

[*2 シカなどの野生動物の食肉利用が商業的に軌道に乗るためには、保健衛生上の条件に加えて安定供給が条件になります。安定供給の条件としては、ハンターと獲物の数が安定的に存在することが必要です。ハンターは減少し続けていて、絶滅すら懸念されています。シカは今のところ多すぎるほどですが、生態系内での適正生息密度は1平方km当たり2~3頭です。この生息密度では、食肉の安定供給には少なすぎます。安定供給のためには、シカの生息密度は1平方km当たり10頭以上が必要でしょう。もちろん、多ければ多いほど良いということになります。しかし、それでは、シカの被害は今までどおりということになり、何のためにシカをコントロールしようとするのか、わけがわかりません。商業ベースの食肉利用によって(生態系、農林水産業などの)被害防除を達成させることはできないのです。]

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7.オオカミが絶滅してから最近までシカやイノシシなどが増えなかったのはなぜ?

明治時代にオオカミが絶滅した後、シカやイノシシが増えるどころか地域的に絶滅するなど、全国的に減少し続けました。これは不思議なことではありません。明治期以降、第二次世界大戦後の高度経済成長期まで、全国的に強い狩猟圧が存在し続けたことが大きな原因です。明治期、狩猟は野放し状態でした。大正7年になってようやく狩猟法の大幅な改定(現在の「鳥獣保護および狩猟の適正化に関する法律」の前身)が行われましたが、依然として狩猟は衰えることなく全国的に活発でした*1。現在とは違って、活気があった山村社会には、若くて元気の良い狩猟者が大勢いました。また、当時は道路の未発達や冷蔵・冷凍設備がなかったので、今日のように牛や豚などの家畜の肉の供給も不十分でした。そのため、シカやイノシシ、カモシカ、クマ類などは、貴重な動物蛋白源として捕獲され続けたのです。同時に、これらの野生獣類の毛皮は高い価格で取引されていたので、収入源としても高い価値を持っていたのです。このように日常的に強い捕獲圧が働いていたために、これらの獣類は増えることができなかったのです。イノシシの地域的絶滅は豚コレラの伝染によるという指摘もあります*2。いずれにせよ、今日のように野生動物保護思想は普及していませんでしたし、密猟も横行していました。その取り締まりも厳しくありませんでした。これが、オオカミ絶滅後もシカやイノシシの数を全国的に抑え込んできた理由なのです。

ところが、高度経済成長期以後の農山村社会の衰退によって、地域から若者の姿が減ったり消えたりして、ハンターは急減し後継者もいなくなりました。自然保護思想や野生動物保護思想が普及し、法律の遵守が普及しました。そして、農山村だけでなく都会も含めて全国的にハンターの高齢化だけが進み、増加するシカやイノシシを抑え込むことができなくなったのです。山村社会の再興が難しい今、山村でのハンターの絶滅を食い止める方法は見当たりません。都市出身のハンターも同じように減り続けています。こうして、ハンターは、あと10数年(早ければ数年)でほとんどいなくなるとも言われています。ハンターがいなくなったら、シカやイノシシは、今まで以上に野放しになり、生態系や農林業を徹底的に破壊し続けるでしょう。狩猟者の力が弱り、頂点捕食者であるオオカミもいない今、だれもこの勢いを止めることはできません。

これに対して、野生動物関係行政は、狩猟許可にかかる経費の行政による負担、駆除に当たる狩猟者の市町村による非常勤職員化、銃猟に比べて技術的にも経費的にも手軽な罠猟の推奨、新しい捕獲方法の開発実施などによって捕獲圧を高める方策を進めようとしています。しかし、いずれの方策もハンターの減少を食い止めたり、その穴を埋めたりすることはできそうにありません。罠猟の場合、銃猟に比べて手軽だとされていますが、罠にかかった個体の最終的な致死処分(トメ)には多くの場合、狩猟免許を持ったハンターが必要です。ハンターが減少したら、この致死処分にも困ることになります。また、人が行けないような奥地での罠猟の実施は不可能です。こうした状況が改善されない限り、シカやイノシシは増え続け、国土の荒廃、農林水産業被害、交通事故、人身事故などがこれまで以上に増え続けるでしょう。こうした事態の解決には、頂点捕食者オオカミの復活、ハンターの常勤公務員化、恒久的侵入防止柵の建設といった3点の同時的な実現が不可欠です(JWA提言3点セット⇒No.17, 33参照)。

[*1 林野庁刊「鳥獣行政のあゆみ」(1969)参照: (明治になって、)江戸時代の鳥獣に関する法制は撤廃され、廃仏思想の高まりとともに殺生禁断の戒律が緩み、江戸時代の禁猟政策に対する反動の現れとして、鳥獣の乱獲がいたるところで始まり、なんらの規制もないままに明治6年の「鳥獣猟規則」公布まで放任されてきた。明治28年「狩猟法」が公布されたが、鳥獣保護の観点はきわめて弱いもので、違反の取り締まりも不十分であった。狩猟人口も増加した。そのため、鳥獣の減少が顕著となり、大正7年に狩猟法を改正したが、保護に関する規定は依然として不十分であり、法の執行も相変わらずルーズであった。]

[*2 いいだもも「猪・鉄砲・安藤昌益」人間選書192、農山漁村文化協会(1996)]

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8.日本に生息していたオオカミは日本だけの固有種なのでは? だから、再導入オオカミはマングースやアライグマと同じように外来種なのでは?

いいえ、日本に生息していたオオカミは日本だけに生息していた固有種ではありません。北海道に生息していたエゾオオカミも本州以南に生息していたニホンオオカミも、北半球の広い地域に分布するハイイロオオカミ(Canis lupus)なのです。ニホンオオカミを固有種としたのは、伝統的な形態分類学によるものでした。しかし、この分類は研究者の恣意的要素が強く、信頼性が低いことがわかっています*1。日本産オオカミについては、適当な検体が存在しないなどの理由から信頼に足るDNA分析が行われていませんが、もし行われるならば、これまでの分類は見直される可能性があります。最近のDNA分析例によると、北海道のオオカミは、地理的に極めて近い沿海州など極東のハイイロオオカミではなく、はるかに遠方の北米のものと似ているという結果が報告されています。分析例が増えるならば、異なる結果になる可能性があります。

ハイイロオオカミの移動能力の大きさからすると、日本に固有種が生息していたとは考えられません。ハイイロオオカミの群れのテリトリーの面積は最小でも約6000ha、大きなものになると10万ha以上(丹沢山地や知床半島の2倍以上)と広大になります(テリトリー面積は、群れの構成頭数、獲物の頭数などで変化します)。彼らは、毎日、この広大なテリトリーを歩き回っているわけです。一日あたりの移動距離は数十キロメートルにもなります。また、群れから離れて自分の連れ合いとテリトリーを探す旅(分散またはデスパーザル)に出た若者は、通常数百kmにも及ぶ旅をします。800kmにも及ぶ距離を移動したオオカミも知られています。このように大きな移動能力を持っているので、ハイイロオオカミは北米からユーラシア大陸、アフリカ大陸の地中海沿岸地域といった広大な地域に広がったのです。こうした移動能力に優れた中大型哺乳類が、日本列島と大陸がつながっていた氷河期に互いに孤立して固有な種のままでいられることはありそうもないことなのです。昔の学者が分類の手がかりにしてきた些細な形態変異は、単なる個体の特徴としてよくあることです。種としての決め手にはなりません。北米に生息するハイイロオオカミは、以前は26亜種に区分されていたのですが、最近では5亜種に分類しなおされました*2。これでもまだ多すぎるという意見があるくらいです。伝統的な形態に基づく分類学は確実性が低いため、それ自体ではあまり信頼されなくなっています。それに、ニホンオオカミは固有種説の根拠となった剥製標本はわずか数体にすぎません。区分の根拠となった形態的な差異が、個体レベルのものなのか、集団レベルのものなのか、にわかに判断がつかないのです。検体はいずれも絶滅期のものですから、貧栄養個体だった可能性もありますし、成長途中のものだったかもしれません。動物は栄養状態によって、骨格すら大きく変異することが知られています。実はニホンオオカミではなくイヌだという疑いも出ています。

以上から、日本に生息していたオオカミは、日本独自の固有種として認める研究者は稀なのです。真相は、固有種ではなく、北半球の広い地域に生息しているハイイロオオカミと同じ種であると考えられます。北米のシンリンオオカミ、アジア北部の大型のシベリアオオカミ、白い毛をしたホッキョクオオカミ、小型のモンゴル草原や中国、インドのオオカミなど、形態や体色の変異は小さくありませんが、どれもハイイロオオカミの亜種なのです。日本のオオカミに地理的に一番近い仲間は、ヨーロッパから中国と極東ロシアにまで分布する亜種のタイリクオオカミです。

トキもコウノトリの復活も大陸に生息する個体群からの再導入によって行われています。オオカミの再導入も、外来種ということでは、トキやコウノトリとまったく同じことなのです。こうした理由から、オオカミの再導入を、もともと日本に生息していなかったマングースやアライグマ、ブラックバスの持込と同じだと考えるのは完全に誤りなのです。したがって、もともと日本に生息していたオオカミと同じ種である、再導入オオカミが日本の生態系に悪い影響を及ぼすという心配は杞憂といえるでしょう。

「亜種が違っても外来種であるから、生態系に好ましからざる影響を及ぼすに違いない。だから、日本へのオオカミ復活はいっさい認められない」という意見を頑なに主張する人が、ごく稀ではありますが、います。実は1995年および1996年に再導入が行われた米国のイエローストーン国立公園を含む北部ロッキー山地にもともと生息していたハイイロオオカミは、亜種でいうとシンリンオオカミということになります。しかし、実際にカナダから導入された亜種はアラスカオオカミであり、異なる亜種です。しかし、導入されたアラスカオオカミは、イエローストーンの生態系の再生に大きく貢献こそしていますが、悪い影響を及ぼしていないことが実証されています。多少の分類学的差異はあっても、生態には違いは認められなかったということなのです。それゆえに、日本列島の隣接地域に生息する亜種であるタイリクオオカミの導入は日本の生態系の再生に貢献こそすれ、好ましくない影響を及ぼすという根拠は見出されないのです。少なくとも、私たちが実際に行ってきたモンゴル、内モンゴルにおけるタイリクオオカミの食性研究は、北米、欧州のオオカミの食性と、その構成要素において異なるものではありません*3。オオカミ復活は、沖縄のハブ対策としてのマングース導入*4や外来種アライグマの侵略的繁殖と同一視できるものではなく、完全に区別して考えるべきものということができます。

[*1 <種と亜種> 種が違うと、生殖によって子孫を残し続けることはできません。一方、種の地域的な個体群である亜種は、生殖によって子孫を残し続けることができます。亜種は、身体の大きさ、形態や体色のわずかな違い、現在の地理的な隔離を基準にして区分されてきましたが、その基準は分類学者によって異なることが普通にあります。隣り合って分布する亜種は境界地帯では生殖によって混じり合っているため、一本の線によってきっちり地理的に区分することはできません。そのため、最近はDNAの比較による再分類が行われています。]

[*2 角田浩志オオカミの進化と世界分布」フォレストコールNo.14:22-27 (2009)]

[*3 丸山直樹・須田和樹・小金澤正昭編著「オオカミを放つ」白水社(2007)]

[*4 Wikipedea ウイキペデイア参照]

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9.オオカミを復活させるとしたら、どこから連れてくるの?

再導入されるオオカミは、中国と極東ロシアの2地域からのものが最有力候補です。

日本の現世の中大型哺乳類(オオカミも含めてシカ、イノシシ、ツキノワグマ、ヒグマ、カモシカなど)は、更新性の間の何回かの氷河期に、北回りと南回りの二つのルート、あるいはどちらか一方をたどって大陸から移住してきたと考えられます。北回りルートは、沿海州(プリモリエ)からサハリン経由で北海道、択捉、国後までつながっていました。南回りは、朝鮮半島から九州へつながるものです。北と南から移住してきた種は分布を拡大するうちに互いに出合ったことが考えられます。こうして出合った地域は、ニホンジカの場合、兵庫県であったことが最近になってわかりました。オオカミも同様にどこかで出合ったことが考えられます。それゆえに、日本へ再導入するオオカミは、ユーラシア大陸の東西に広く分布するタイリクオオカミ(ハイイロオオカミの亜種のひとつ)のうち、日本に一番近い地域に生息するものが第一候補となります。北海道にはロシアの沿海州(プリモリエ地方)に生息する比較的身体の大きなもの(体重30kg台)が、本州・四国・九州へは比較的小型の中国のもの(体重20kg前後)が候補です。これらの地域、中国や極東には、現在も数多くのオオカミが生息し、地域住民と共存しています。

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10.外国から連れてくるオオカミは日本の生態系に悪い影響を及ぼすのでは?

ハイイロオオカミは、わずか100年前まで日本に生息し、日本の生態系の大切な一員(=仲間)だったのですから、生態系に悪い影響を及ぼすことはありません。オオカミは、シカなどの増えすぎによる生物多様性の低下や生態系の崩壊を防ぎ、多くの生物を絶滅から救い、昔どおりの自然を再生する、かけがえのない大切な頂点捕食者なのです。たとえば、シカによって食べつくされたササやいろいろな種類の潅木など植生が回復してくれば、姿を消していたウグイスなどの鳥類も復活し、以前と同じように美しい囀りが聞かれるようになるでしょう。アカネズミのようなノネズミも戻ってきて、これを食べるフクロウやテン、イタチなどの小型捕食者も姿を現します。昆虫たちも戻ってきて、多様性の大きい生物群集が復活します。植生が回復し、土壌が流失することもなくなり、渓流も荒れなくなります*1。沿岸生態系も豊かさを回復します。日本の自然生態系は、わずか1世紀前まで、ハイイロオオカミと共生し守られてきたのだということを思い出してください。

オオカミの再導入を、マングースやアライグマといった外来種と同じように考えて、日本の生態系に限りなく害を及ぼすからと反対する人がいますが、これは完全に誤解です。マングースやアライグマは、もとから日本に生息していた種ではないし、頂点捕食者でもないのです。マングースはハブの天敵でもなかったし、原産地でも、ハブのような蛇の天敵ではなく、猛禽類などの高次捕食者に捕食される動物であったのです。沖縄ではリュウキュウイノシシとともにハブが頂点捕食者だったと考えられます。

頂点捕食者を欠き、荒れ放題になっている日本の生態系は、オオカミの復活でしか守れないのです。日本にもともと生息していたオオカミの再導入は、トキやコウノトリの再導入と違いはありません。

[*1 紀伊半島では、シカの増えすぎが原因で流出した土砂で、渓流魚のキリクチの産卵床が埋まり、繁殖が妨げられている。]

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11.オオカミは何を食べるのでしょうか? 希少種を食べて絶滅させる危険性があるのでは?

オオカミの主な食べ物は、体が大きく、数が多くて、獲りやすい動物、たとえば、日本ではシカやイノシシなどです。ノウサギ、タヌキ、アナグマ、キツネ、ノイヌ、ハクビシン、アライグマなども増えて、目立つようになれば、捕食の対象になるでしょう。希少なカモシカを食べて絶滅させるのではないかと心配する人がいますが、カモシカは数が少ないので主要な獲物にはなりません。しかし、カモシカが増えすぎてシカやイノシシよりも数が多くなった場合には、カモシカも捕食の対象になるでしょう。しかし、これは滅多に起きそうにありません。むしろ、シカが増えると、カモシカは減ってしまいます*1。体が小さいノネズミやリスなどを食べないわけではありませんが、主要な食べ物にはなりません。小さすぎてオオカミが必要とする栄養やカロリーを簡単に満たせないからです*2。こうした小動物の捕食者としては、体がずっと小さいテン、イタチ、イイズナ、フクロウなどの猛禽類がいます。希少種は、数が少ないゆえに捕食の対象にはなりにくいし、捕食が原因で絶滅に追い込まれることはありません。もしオオカミが現在生息している希少種などを絶滅させるのだったら、オオカミが絶滅する前に、こうした希少種も絶滅していたはずです。どうしてこうした種は今日も生息しているのかということを考えてみましょう。

[*1 Koganezawa M. Biosphere Conservation 2(1)35-44 (1999)]

[*2 オオカミは、自分の体重1kgあたり一日約140gの肉を食べるといわれている。仮に体重20kgのオオカミの場合、1日約2800gの肉を必要とする。森林に生息するアカネズミの体重を約20gとすると、オオカミは1日に約140匹のアカネズミを捕食しなければならない。アカネズミの捕食に1日16時間を消費するとして、6分おきにネズミを捕食しなければならないという計算になる。オオカミは数頭の家族群で行動するのが普通だから、6頭の群れがネズミだけで生きていくためには、群れとしては1分ごとにネズミを捕食しなければならないことになる。ネズミが異常発生して地面がネズミだらけにでもなっていない限りできそうもないから、オオカミは小動物を捕食によって絶滅させることはありそうもない。]

[*2 丸山直樹・須田和樹・小金澤正昭編著「オオカミを放つ」白水社 (2007) ]

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12.オオカミは人を襲うのでは?

人がオオカミに正しく接しているならば、襲われることはありません。もしもオオカミが人を日常的に襲う習性を持っているならば、北米やヨーロッパ、アジアなどオオカミが生息する広大な地域で、毎日多くの人が襲われ、大きな社会問題になっていることでしょう(ちょうど、現在の日本でクマやイノシシが日常的に人を襲っているように)。しかし、オオカミによる襲撃情報を滅多に耳にすることはありません。きわめて稀な例外は、狂犬病にかかったオオカミ、餌付けなどで人を恐れなくなったオオカミ、それに子育て中に突如餌動物を失ったオオカミ*1による人身攻撃例が知られています。日本では狂犬病は撲滅されていますから、狂犬病オオカミの発生はありません。イエローストーン国立公園では、キャンプサイトやピクニックサイトに出てきて人馴れが進んだオオカミは、事故防止のために駆除することになっています(過去16年間で1頭駆除)。しかし、こうしたことは、本当に稀にしか起きないことなのです。だから、自然の中にあって、健全なオオカミは人を襲わないと言っても過言ではないのです。

西ヨーロッパでは、以前からオオカミが生息していたスペイン、イタリア、ポルトガルなどの国々に加えて、1990年代以降、フランス、スイス、ドイツなどヨーロッパ各地でオオカミが復活し、生息地を拡大しています。このため、ヒツジやヤギなどの放牧家畜に被害が出ていますが、人身害は発生していません。ヨーロッパでは、オオカミの人馴れ防止のために、オオカミも狩猟の対象とすることが推奨されています。とりわけ、猟犬を使った追跡猟はオオカミに人の恐ろしさを学習させるのでよいとされています*2

日本では、最近、狩猟者が急減していますが、オオカミと人との関係にとっては良いことではありません。野生のオオカミやイノシシ、クマのいわば教育係としても、公務員ハンターのような職業狩猟者の確保が各自治体で必要なのです。

ヨーロッパでの「人食いオオカミ」への恐れの起源は、牧畜が始まった時代にまで遡るものなのかもしれません。自然や動物を人間よりも下位に位置づけて差別化した中世のキリスト教的自然観が、オオカミを邪悪な自然の象徴として日常的に説教したことの影響はとりわけ大きかったのです。グリム兄弟が収集し、何度も改作した「赤頭巾」などの説話はこうしたキリスト教的自然観に根ざしたものなのです。こうした説話は、事実に基づくものでなく、作り話であることが繰り返し指摘されています。グリム兄弟が「グリム童話」を書いたドイツをはじめとして東西ヨーロッパでは現在でも多くのオオカミが生息し、一度絶滅した地域でも復活していますが、「赤頭巾」のような事件は起きていません。自然の大切さを認識した現代のヨーロッパ社会では一転、オオカミの保護が進められています。ECは1979年に「野生動物とその自然環境の保護に関するベルン協定」を締結しました。一方、日本では、神道や仏教などの自然信仰を通じて自然との共生観を培ってきたと称しながら、古いヨーロッパの非科学的で偏見に満ちたオオカミ観をぬぐえないでいるのに、オオカミを害獣視する自然支配文明を発展させてきたヨーロッパでいち早くオオカミとの共存時代に入ったのは皮肉なことです。

わが国のオオカミ史を振り返ると、江戸時代1732年になって狂犬病が日本に侵入して以来、それまで各地の神社で眷属(けんぞく:神仏に付き従うもの)として崇拝されてきたオオカミは、一転、恐るべき猛獣と見られるようになります。オオカミによる咬傷事件が発生し、危険動物としての認識が広まったことも関係があったと考えられます(現在、日本では狂犬病は抑えられています)。狂犬病伝来以前にも、オオカミの咬傷害が記録されています。しかし、江戸時代以前にオオカミとして描かれた絵を見ると、体に斑模様があったりしますから、犬とオオカミが混同されていたようです。何しろ、江戸時代の動物分類学的知識はかなり怪しいものだったのです。中国大陸に生息するドール(犲:オオカミとアカギツネの中間の大きさを持ち、オオカミに似た社会生態を持つ)が日本にも生息すると信じられていたくらいです。どうやら、オオカミは冤罪をこうむっていた可能性が大きいと考えられます。

「赤頭巾」など、これらの説話が紹介された明治時代は、ちょうどオオカミが絶滅し、その生態(=実像)を知るすべがなくなった時代と重なります。明治期以降、実像に代わって、説話によるオオカミの虚像だけが日本人の心の中に染み付いたといってよいでしょう。今でもオペレッタに脚色された「赤頭巾」が各地の幼稚園で児童によって楽しげに演じられています。また、子供向けのクラシックコンサートでは「ピーターとオオカミ」が演奏されるたびに、一度に千人前後の子供たちが頬を紅潮させてホールから出てくるといった現実があります。オオカミが人を襲うのではないかと恐れる気持ちは、オオカミに関する「虚像」の社会的な流布に原因があるようです。

[*1 1996年のインドの事件:  インドの寒村で数十人の児童が1頭のオオカミによって襲われた。原因は、村人によるガゼルなどの過剰な狩猟により子育て中のオオカミが自然餌を失ったことにある。自然餌を失ったオオカミは通常はヒツジやヤギなどの家畜を襲って生き延びようとするが、貧しい村にはそれもいない。そこで村の中でとりわけ貧しい母子家庭の児童が犠牲になった。インドでは猛暑をしのぐために戸外で就寝する習慣があり、日の出前に親たちが畑に出た後、戸外の地面に寝ていた子供たちが襲われたのだ。スペインのピレネー山地では、豊富な家畜に依存してオオカミ個体群は増加しているが人身害は発生していない。山地にシカ類などの自然餌が多いルーマニアやポーランド、ブルガリア、クロアチアでは、多数のオオカミが生息するがやはり人身害は発生していない。インドの事例は、過剰人口下での貧困なるがゆえの悲劇であり、そうした意味ではあくまで特殊である。(丸山直樹.フォレスト・コール No. 5:56-58)]

[*2 A Large  Carnivore Initiative for Europe (2002) Fear of Wolves: A Review of Wolf Attacks on Human. NINA,Norway.(抄訳:フォレスト・コール No.16:46-49)]

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13.送りオオカミが人を襲うというのは本当?

オオカミは家族群でテリトリー(ナワバリ)を形成します。その中に入ってきた動物(人も含めて)が何者であるのか確認しようとして後をつけてくることが考えられます。ただ単に好奇心を持っただけの、そうしたオオカミが人を襲うということはありそうもないことです。だから、送りオオカミに実際に襲われたという話が伝わっていないのはこのためなのです。このような好奇心はオオカミだけでなく、哺乳類、鳥類など多くの野生動物が持っている行動です。しかし、人についてくるオオカミの行動を実際に観察して調べることは大変困難です。滅多に起きない稀なことがらだからです。奈良県の市井の民俗学研究家の岸田日出男氏は、昭和10年、11年、奈良県居住の古老や猟師32名から絶滅前のオオカミに関する106件の聞き取り情報を得ています(吉野風土記21、2-41)*1。その中で「山道で出会ったオオカミのうちの何例かは、人間についてくるが、村に着いたりするといつの間にかどこかに行ってしまう。手を出さない限り危害を加えられることはない」と記しています。同様な話は栗栖(2004)*2にも記述されています。「送り狼」という語は、このような好奇心旺盛なオオカミの行動が起源になり、人間の勝手な悪いイメージが付け加わって出来上がったのではないかと考えられます。これも「赤頭巾症候群」の一種であり、オオカミにとっては迷惑千万な冤罪なのです。送りオオカミが人に危害を及ぼすということはないと思われます。

[*1 丸山直樹「明治時代末から昭和時代初期にかけての奈良県でのオオカミの分布と生態-岸田日出男氏の郵送アンケートによる考察」フォレスト・コール No.2:11-12 (1995)]

[*2 栗栖 健「日本人とオオカミ」雄山閣 (2004)]

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14.オオカミによる人身事故を防止することはできる?

現在、オオカミは北米、ユーラシア大陸など北半球の広大な地域に生息しています。その数は20万頭以上であろうと推定されています。にもかかわらず、オオカミによる人身事故の発生はきわめて稀です。

オオカミによる人身咬傷害の発生を防ぐためには、①狂犬病の発生を抑えてオオカミへの伝染を防ぐ、②オオカミの人馴れを防ぐ(そのためには、人とオオカミの距離を隔てておく。餌付けなどもってのほか)、③万が一、オオカミが人馴れしたら、すぐに除去する、④人が上位に位置することをオオカミに日常的に教えるためには、猟犬を使う追跡猟を日常的に行う、⑤オオカミの生態を正しく理解し、オオカミのための餌動物(シカやイノシシなど)を乱獲したりせず、生態系とつりあった生息密度(個体数)をキープする、ことが必要である。

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[Q&A No.12 参照]

15.オオカミは増えすぎたシカやイノシシを減らせないのでは?

オオカミはシカやイノシシの増え過ぎを抑制します。米国のイエローストーン国立公園に1995年および1996年にカナダから連れてこられて放されたオオカミ31頭は、14年後の2009年には200頭近くまで増え、約16000頭生息していたエルクジカを約7000頭まで減らしました。2010年には、エルクジカはさらに減って4000頭台になったと報告されています。この結果、ヤマナラシ林やヤナギ群落が復活し、姿を消していたビーバーが戻ってくるなど、多くの点で生態系の回復が明らかになってきました*1

オオカミのエルクジカ抑制効果は、①捕食、②「オオカミストレス」による妊娠率の低下、③オオカミを避けて高い栄養価をもった植物が少ない森の中に移動したことによる低栄養化、の三つによることが証明されています*2。近年、ポーランドでは、オオカミの捕食がイノシシの数を減らしたことが知られています。日本では、オオカミによってニホンザル、タヌキ、アナグマ、ハクビシン、アライグマなどの中型の哺乳類の増加も抑制されることでしょう。オオカミは食物連鎖を通して、日本の生態系の正常化に貢献します。

日本と同じようにハンターが急減し、アカシカやイノシシの増えすぎに困っているヨーロッパ諸国でも、ハンターに代わってこうした獣類の個体数調節を担うオオカミを保護しています。ECは1979年のベルン会議で「野生動物とその自然環境の保全」に関する協定(Bern Convention for Conservation of Wildlife and Natural Habitat)を結び、オオカミを保護することを取り決めています。

[*1 ナショナルジオグラフィック日本版 No.3:58-77(2010)]

[*2 Scott Creel, Knowing Yellowstone, Taylor Trade P. 68-79(2010)]

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16.米国でオオカミの再導入が行われたのはイエローストーン国立公園だけ?

オオカミ再導入地域はイエローストーン国立公園だけでなく、同じ年の1995、1996年に35頭がアイダホ州の自然保護区に放されました。イエローストーン国立公園を含む北部ロッキーの合計66頭の再導入オオカミは2008年には、ワイオミング、モンタナ、アイダホ3州に分布を広げ、217群1645頭に増えました。このうちの約200頭はグレイター・イエローストーン・エコシステム地域に生息しています。

再導入ではありませんが、ミネソタ州には、国境を越えてカナダからオオカミが移住し、1973年の絶滅危惧種保護法(ESA)の成立によって保護されるようになりました。同州の北半分の地域に増えたオオカミは、さらに東に向かって移住を繰り返し、今ではウイスコンシン州、ミシガン州へと分布を広げています。これらの分布拡大地域には、森林のほかに農場、牧場、集落、市街地などが含まれています。そのため、オオカミによるウシ、ヒツジ、イヌなどの捕食被害が発生していますが、人身害は発生していません。

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17.自然を守り、農林業を救う方法は?

頂点捕食者オオカミの復活による生態系の食物連鎖の修復が不可欠です。同時に、開発を抑え、自然再生を進め、生物多様性を高め、合理的な農林業を行うことが基本です。そして、①オオカミの復活とともに②ハンターの確保が必要です。オオカミは奥山を中心に、ハンターは里山、農耕地、集落や町など私たちの居住地域の守りにつきます。同時に、③集落や農耕地をシカやイノシシから守る侵入防止柵の建設も必要です。柵によって、人間領域と自然領域を区分し、開発など人間領域の際限ない拡大を抑制し、人間領域に自然の要素を可能な限り導入する努力が必要です(ビオトープ化)。しかし、人間とは異なる生活原理に従って生きる野生動物と人間とが同じ場所で共生するのは、特定の種や特殊なケースを除いて、現実的には不可能です。たとえば、シカやイノシシ、クマなどと同じ場所で住むことはできません。侵入防止柵は、このような人間と自然の領域区分なのです。自然を守り、農林業を救うためには、この3点セットが不可欠です(日本オオカミ協会の提言)。この実現によって、獣害防止と自然生態系の再生保護に要する莫大な財政支出を抑制し、財政の健全化に大きく貢献することでしょう。

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18.再導入オオカミはカモシカなどを絶滅させるのでは?

カモシカがオオカミによって絶滅に追い込まれるのなら、オオカミが生息していたずっとずっと前に、カモシカはオオカミに捕食されつくして、姿を消していたことでしょう。現在、多くの野生動物が生息しているのは、オオカミと共生してきた結果なのです。それゆえに、現在生息している野生動物が再導入されたオオカミによって絶滅に追い込まれることはありません。明治期以降にカモシカが絶滅寸前に追い込まれたのは、オオカミが絶滅した後の、密猟を含む過度の狩猟が原因です。むしろ、カモシカやシカ、イノシシなどを激減させるような過度の狩猟圧が働いた時、オオカミは絶滅に追い込まれるのです。こちらのほうが心配です。

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→[Q&A No.11参照]

19.再導入オオカミはツキノワグマに悪い影響を及ぼすのでは?

再導入オオカミがツキノワグマに悪い影響を及ぼすことはありません。現在、増えすぎたシカがツキノワグマの木の実(ドングリ、サルナシ、マタタビ、ヤマブドウ、キイチゴ類など多数)や草などの食物資源となる植生を食い荒らしています。シカの過剰摂食によって花をつける植物が減るとミツバチも姿を消してしまい、クマの好物の蜂の巣も減ってしまいます。植生の荒廃に伴ってクマの春の好物であるアリ類も減る可能性があります。食物資源の減少はクマを農耕地へ出没させ、害獣化させる原因になります。オオカミは、捕食などの効果によってシカの増え過ぎを抑制するため、ツキノワグマの食物資源の減少を防ぎ、その生息に貢献することが考えられます。また、オオカミによって捕食され、食べ残されたシカの死体はツキノワグマにとっても貴重な食物になります。ツキノワグマとオオカミが遭遇し、ツキノワグマが殺される可能性はありますがごく稀な出来事で、ツキノワグマの個体群を減少させるようなことはないでしょう。オオカミ復活はむしろ、ツキノワグマの生息条件を改善し貢献します。

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20.オオカミは大きな群れを作るのでは? そのナワバリは?

オオカミは群れで生活します。その群れはパックと呼ばれ、つがいとその子供たちの家族の群れが基本です。パックには、つがいを頂点にした厳格な順位が存在します。パックの子供たちは、数年して成熟すると、自分のパックを作るために放浪の旅(デイスパーザル)に出ます。だから、パックの頭数は限りなく大きくなるわけではありません。パックはナワバリ(テリトリー)を持ちます。パックのナワバリの面積は広大ですが、パックの頭数と獲物の数によって影響されます。シカのような中・小型の獲物を主食にしているパックの頭数は数頭から10頭で、獲物が十分にいれば、ナワバリの面積は数百平方km(数万ha)が普通です。アメリカバイスンのような大きな獲物を狩るパックの頭数は10数頭、時には20頭以上にもなります。ナワバリ面積も大きく、千平方km(10万ha)以上になることがあります。これまで記録された最小のナワバリは60平方km(6千ha)です。異なるパックのメンバーが出会ったり、ナワバリを侵害したりするオオカミがいると、相手が死ぬまで攻撃します。オオカミの死亡原因のうちの50%がこうしたオオカミ同士の戦いによるという報告があります。この危険を最小限度に抑えるために、ナワバリの間には、どの群れのナワバリにも属さない、広い緩衝地帯ができます。

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21.人口密度が高い日本でオオカミの居場所はあるの? 開発が進んだ狭い日本ではオオカミはもう住むことができないのでは?

日本にはオオカミの居場所は全国各地に十分にあります。日本の人口密度は高いのですが、人口の大部分(約80%)は、国土面積のわずか10数%に過ぎない平野部の都市域に集中しています。国土の70%近くを占める山地の人口密度と集落密度はきわめて低いのです。それゆえ、オオカミ生息可能域は各地に広大な面積で存在しているということができます*1。だから、シカやイノシシ、サルなどが全国的に増えすぎたのは、こうした大型獣類の生息可能地域(=オオカミ生息可能地域)が全国的に存在しているからという見方もできるのです。

日本と比べてはるかに森林率が低く、日本と同じか、あるいはそれ以上に集約的な土地利用が行われているイタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、スイスなど西ヨーロッパ諸国、それにポーランドなど東ヨーロッパ諸国でも、オオカミは生息し、手厚く保護されています。オオカミが人を襲う人身事故もありません。日本の国土で人とオオカミの共存は十分に可能です。それに、オオカミは、シカやイノシシに比べてはるかに個体数が少なく、そのうえ、人を避ける習性が強いので、イノシシやシカのように日常的に遭遇したり、姿をみかけたりすることはまずないでしょう。

ドイツのザクセン州とブランデンブルグ州にまたがるラウジッツ(Lausitz)地方(ベルリンの南約200km)の事例は参考になるでしょう*2。ここでは1990年代後半に出現したオオカミは2000年に群れでテリトリーを形成し、10年後の2010年には50×50kmの地域(神奈川県とほぼ同じ面積)で8群にまで増えています。この地方は、町や村や耕作地(57%)、森林や荒地(43%)が、モザイク状に分布し、その土地利用の有様は日本の山間地以上に集約的です*3。この有様は“WOLFSREGION LAUSITZ”あるいは“グーグルアース”のネット上で見ることができます。このように、ドイツ、イタリアなどでもオオカミは生息しているのですから、日本では北海道はもちろんのこと、九州、四国、本州など各地にオオカミの生息地が十分にあります。日本の国土は決して狭いわけではありません。オオカミの生息にとって十分な面積が存在しています。

[*1 米国のイエローストーン国立公園(面積90万ha)は1995,1996年に31頭のハイイロオオカミを再導入しました。2008年現在、公園内では、オオカミは14パック、96頭にまで増えました。(公園外まで含めると190頭以上になります。)しかし、オオカミの大部分はエルクジカの密度が高い公園の北半分に集中しています。これを基準にした概算では、北海道には少なくとも約500万haのオオカミ生息適地が存在し、500~1000頭を収容することが可能とみられます。四国は約110万haの適地があり、110~220頭、九州では約100万ha、100~200頭と推定されます。本州では中国地方、中部地方、関東地方などにさらに広大な生息適地が存在し、数千頭の生息が可能です。たとえば、中部地方の南アルプスの場合(高山帯までシカが出現し、ライチョウが絶滅に向かって減少しつつある)、適地は50万ha、50~100頭の生息が可能です。もっともこの生息推定数は、獲物であるシカやイノシシの頭数によって大きく変動しますし、地形や土地利用など他の条件によっても変動しますから、簡単な目安にすぎません。]

[*2 インターネット: Wolfsregion Lausitz]

[*3 Lausitz地方の土地利用図(EU版)を167個のセルに区分した測定結果(宇都宮大学農学部 小金澤正昭教授による)を見ると、森林20.4%、開放的な半自然または自然景観23.4%、集約的な農耕地12.0%、農村景観・放牧地によるモザイク状地域7.8%、緑の多い住宅地8.4%、都市3.6%、複合的土地利用24.6%。一方、日本では獣害を抱える市町村は1000以上存在するものと推定され、多くの自治体の森林面積率は70~90%と推定されます。]

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22.オオカミを再導入する地域の条件は?

日本の国土の大部分(面積割合約65%)は森林です。オオカミの再導入は、シカ、イノシシなどの餌動物が生息する大面積の森林地帯ならば、どこでも可能です。そのような森林地帯に、町や集落、耕地が点在していても問題はありません。オオカミが生息するヨーロッパをみれば明らかです(ドイツのラウジッツの例はQ&A前項21で見たとおりです)。国立公園や国定公園、世界自然遺産地域は有力な地域ですが、これらに限定されるものではありません。残念ながら、これらの自然公園の大部分は、保健レクリエーションなど観光利用を目的にして設定され、一部地域を除いて自然生態系保護地域の条件を満たしていないのです。それでも、これらの自然公園や自然保護区では、そうでない地域と比べて、多少の開発規制が布かれていますし、地域内の森林は周囲の広大な森林に連なっているのが普通です。そして、自然公園や自然保護区にかかわらず、シカやイノシシが数多く生息する広大な森林地域は全国的に分布しています。しかし、オオカミの生息は、島のように孤立した面積の小さな森林(150平方ha以下)では難しいでしょう。最低でも、オオカミの群れ2群を収容できる面積が必要です。群れのナワバリは最小でも60平方km。ナワバリの間には広い緩衝地帯(地域面積の20~40%を占める)が存在します。最初の再導入地域は、地域の地形や地質、土壌、植生、動物など、生態系について多くの調査研究が蓄積されていて、オオカミ復活の効果をモニタリングしやすい地域、たとえば、日光から尾瀬・奥只見へと続く一帯、南アルプスや霧が峰、八ヶ岳を含む一帯、紀伊半島、九州山地、四国山地、知床を擁する道東の山地、日高や大雪などが有力候補になるでしょう。しかし、オオカミの復活はこれらの地域に限られることはありません。当面、餌となる野生動物がたくさん生息していることが必要条件です。

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23.オオカミ再導入よりも荒廃した人工林や里山の再生を優先したほうがよいのでは?

現在、人工林の面積は森林の41%、10万平方km(1000万ha)もあります。その大部分は、林業の低迷によって手入れをされずに放置され荒廃しています。スギやヒノキなどの人工林は毎年春先に大量の花粉を飛散させ、公害(花粉症)の原因になっています。針葉樹人工林の林床は、陽光が弱かったり、針葉樹自体が他の植物の生育を抑える物質を散布したりしているため、裸地化し、土壌が流れ出しやすい状態になっているのが普通です。また、針葉は分解しにくく、土壌を酸性にし、肥沃度を低下させます。こうした森林では、イノシシやサル、シカ、クマ類などの食物となるものはほとんどないために、彼らは生息できないか、ごくわずかしか生息できません。食物がわずかであるため、わずかな個体数でも、樹皮の下の栄養分に富む甘皮を舐めようとして皮を剥ぐ被害が発生しますし、わずかに生えてくる草や潅木もたちまち摂食されて成長することができません。こうした針葉樹人工林では、地上も地中も生物の種類も量も極度に減少し、生物多様度の極めて低い環境になっています。

したがって、オオカミの再導入と平行して、こうした荒廃林の復旧事業が急がれるのは当然です。しかし、注意をしなければいけないのは、人工林の手入れや針葉樹人工林の天然林化は、下生えなど、シカの食料を増やし、結局、シカを増やすことになります。こうして増えたシカは、せっかく手入れをした森林を含めて、さらに別の森林にも被害を発生させます。また、増えたシカは周辺地域に移動して、農耕地や居住地にも出てきて、新たな被害を発生させます。それゆえに、荒廃人工林の復旧には、シカ被害対策を合わせて実施することを忘れることはできません。ハンターが簡単には行けない里から離れた人工林地帯でのシカの個体数調整は、オオカミ復活による食物連鎖の回復に頼る以外に恒久的な方法がありません。コストからみてもオオカミ復活がベストです。だから、荒廃人工林の復旧には、平行してオオカミを復活させることが必要なのです。

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24.再導入したオオカミは家畜を襲うのでは? その防除方法は?

私たちが正しくオオカミに対処していれば、オオカミが人を襲うことはほとんど考えられません。しかし、ヒツジ、ウシ、ウマなどの家畜を襲う可能性はあります。現在、実際に被害が出ているのは、広大な牧場で家畜の群れの所在もわからないような米国西部の牧畜地帯や、夜間も家畜の群れを牧野に放置しているような粗放な放牧に限られます。このような地域でも、伝染病や事故などによる損失と比べたら、オオカミの捕食による損失(米国西部の場合、1%以下*1)はごく限られています。

日本のように、舎飼が中心の集約的経営が行われている地域では捕食による家畜の被害は起きそうもありません。最近、放棄耕作地を利用した肉牛飼育が流行しています。そうした地域では、シカやイノシシの侵入防止用電気柵を併用すれば、オオカミの侵入防止には十分に対応が可能です。スイスやドイツでは、昔からロバの雄を使ってオオカミからヒツジを守る方法が普及しています。ロバはオオカミとイヌに対してきわめて敵対的かつ攻撃的だといわれています。日本では、ヒツジの飼育頭数は現在1万頭に過ぎないし、大部分は舎飼ですから、電気柵などの敷設によって捕食害を防除することは可能ですから、深刻な問題にはならないでしょう。ヒツジと一緒にロバを飼うことも一策です。スイスでは、ラジオテレメトリを使った自動探知、自動追い払い装置を開発中です。技術大国日本にあってこうした防除装置の開発はお手のものでしょう。イヌはオオカミの捕食の対象です。しかし、日本ではイヌの放し飼いが禁止されているので、普通の飼い犬はオオカミに殺されることはないでしょう。EUは、オオカミによる家畜被害を補償の対象にしています。日本では獣害は行政による補償の対象にはされていません。しかし、家畜の被害は、家畜共済保険の対象になります。しかし、ヒツジは対象外となっていますが、これも保険の対象にすればよいのです。

[*1 ナショナルジオグラフィック日本版 No.3:58-77(2010)]

[インターネット:Wolfsregion Lausitz]

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25.餌となる動物を食べきったらオオカミは人を襲うのでは?

自然状態で、オオカミが餌となるシカやイノシシなどの餌動物を食べきることはありません。そのようなことが起きるとしたら、食べ物を失ってオオカミは生存できません。あるいは、オオカミに捕食されて、シカやイノシシはずっと昔に絶滅していたかもしれません。オオカミが、獲物を突然食べつくすなどということは実際には起きないことなのです(野生動物を獲り尽して絶滅させてきたのはもっぱら人間の仕業です)。オオカミの捕食によって獲物が少しずつ減っていくにつれて、オオカミも徐々に減少していきます。食物が少なくなる分、オオカミの健康状態が悪化するからです。健康状態が悪化すると、寄生虫や病気にかかりやすくなります。こうして死亡率が上がり、出生率が下がり、個体数が減っていきます。イエローストーン国立公園の90頭以上生息していたオオカミは、2010年になって40頭台まで減りました。イヌの伝染病であるジステンパー(観光客が連れ込んだイヌが原因)に罹ったことと疥癬の寄生が原因でした。この背景には、彼らの主要な餌動物であるエルクジカの減少(15年間で4分の1になった)による食べ物の減少があるものと推定されています。しかし、オオカミが減りすぎるとシカやイノシシなどの被食動物が増え始めます。これにつれてオオカミも増え始めます。捕食者と被食者は互いに増えたり減ったりしながら、最終的には生態系が許容する範囲で平衡を保つようになります。これが自然調節の実態であり、この関係を崩すのはいつも人間だったのです。明治時代にシカやイノシシ、カモシカ、カワウソなどを乱獲して絶滅させたり、絶滅寸前まで追い込んだりしたのは私たち日本人でした。しかし、これが原因で、オオカミは日本人を襲うこともなく、絶滅に追い込まれてしまいました。これが遠因になって今日、シカやイノシシなどの増えすぎで私たちが困っているのです。ですから、餌動物を食べきったオオカミが人を襲うなどという心配はありそうもないことで、取り越し苦労というべきでしょう。

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26.オオカミの管理はシカやイノシシ以上に面倒なのでは?

このようなことを新聞のコメントで述べる研究者がいます。問題なのは、こうした研究者は「面倒な管理」とはどういったものか、具体的にはなにも指摘していないので回答に困ります。

オオカミは、自然生態系の摂理に従って、シカやイノシシなどの餌となる野生動物の生息頭数の調節をすると同時に、自分たちの増えすぎや減りすぎも自分たちで調節します。オオカミが奥山を中心にした自然領域にいる限り、管理は必要としません。彼らが私たちの生活領域(都市や村落、農耕地などの)に侵入したり、狂犬病にかかったり、人馴れが進んだりした場合にだけ、追い払ったり駆除したりするなどの管理が必要になります。しかし、これは、滅多に起きないでしょうし、たとえ起きたとしても、現在、増えすぎて困っているイノシシやシカの管理と比べたら、技術的にもコスト的にもほとんど問題にならないことでしょう。大掛かりの調査をし、苦労して管理計画を策定し、多数のハンターを動員し、莫大なお金を毎年使い続けても一向に減らずに、生態系を破壊し続けているシカやイノシシの管理こそ、このうえなく面倒なのです。これらと比べたら、オオカミの管理など大した問題ではないのです。また、管理が面倒だと屁理屈を言う野生動物の管理研究者や専門家がいるとしたら、彼らは情熱を欠いた職務怠慢者として厳しく批判されるべきなのです。

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27.オオカミがいたらハンターは要らない?

オオカミが復活してもハンターは必要です。なぜなら、人を自分たちよりも弱い存在だと判断する動物は、オオカミに限らず、危険な存在だからです。ハンターに追われる動物は人を恐れ、敬遠して人に近づこうとはしません。ハンターはいわば野生動物に対して人間優位を教える役割を担っているのです。ハンターは、人間とオオカミなどの野生動物との良い関係を築き、キープするために必要なのです。また、野生動物は、いろいろな理由によって、自然領域から人間領域に侵入してきます。人間はそうした野生動物と共生や共存のための工夫や努力をしなければいけないのですが、原理的にそれが不可能な場合が少なくありません。そうした場合には、人口密度が高く、集約的な土地利用が行われている人間領域から野生動物を排除しなければなりません。そうした役割を担うのは、オオカミではなく、ハンターです。ハンターは人間社会にとって必要な存在です。

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28.オオカミ再導入は島のような囲われた場所で実験したらよいのでは?

こうした意見は、オオカミ不信感から出てくるのでしょう。とりわけ、オオカミの危険動物視がその中心です。生態系への悪い影響の発生を危惧することもあるでしょう。だから、隔離された島だったら、もし不都合があったら、島に閉じ込めて他の地域へ影響するのを防ぐことができて安心だというわけなのでしょう。しかし、オオカミの自然餌であるシカやイノシシが十分に生息し、オオカミの群れを複数収容可能で、しかも無人島などという条件の島は、日本ではどこを探してもありません。それに、このQ&A集を読んでいただければおわかりになるのですが、オオカミ復活に関する、ほとんどすべての心配は誤解にもとづく杞憂ですから、「まず島に放して様子をみたら」といった類の提案は無意味といってよいでしょう。案ずるよりも産むがやすしなのです。人に対する影響を見るのだったら、この種の実験は、人のいない地域=無人島で行うのですから、いつまでたってもその目的は達成できません。動物園のオオカミ園に収容したオオカミを観察しているようなものです。北半球の国々で20万頭以上のオオカミが生息しています。人畜被害に関しては、むしろ、欧米やアジアの広大なオオカミ生息地域での実態を精査すれば事足りるのです。生態系への影響についても同様です。シカによる農林業や生態系被害発生地では、シカが減ればその分、被害が減少することは明白なのですから、わざわざ手間とお金をかけて実験する必要はありません。この手の実験は無意味であり、お金の無駄使いです。

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29.「赤頭巾」や「三匹の子豚」などの説話が作られたのはなぜ? オオカミが実際に悪いことをするからでは?

最近まで欧米社会ではオオカミは人畜を害する悪い動物という通念が定着していました。欧米追随を掛け声にしてきた明治以降の日本の社会も同様です。「赤頭巾」(グリム兄弟、19世紀)や「三匹の子豚」(ジェイコブス編、イギリス民話)といった説話は、こうしたオオカミ観に従うものです。こうした説話は、古くはオオカミが実際に家畜を捕食したりすることと関係があって創られたと考えられます。そして、ロマネスク時代のキリスト教の動物蔑視の道徳観や自然を人間の下位に位置づける宗教的自然観に強い影響を受けた結果と考えられています。ところが、興味あることに、「赤頭巾」を収めている、同じグリム童話集(初版第2巻62話)には、「オオカミは神様がおつくりになったもの、山羊は悪魔がつくったもの」という説話も収められています(ハンス・ザックスの詩「悪魔がヤギをつくった」(1556)に基づく)。この説話では、植生を荒らす悪魔が作った山羊を神様がおつくりになったオオカミが駆除するというストーリーになっています。グリム兄弟が集めたさまざまな民話には、当時のゲルマンの大衆社会のいろいろな価値観が混沌のままに反映されているのでしょう。それらは、事実に基づくものから、まったくの作り話や卑俗なエログロ、ほら話の類まで含んでいたのです。グリム童話が日本の社会に紹介されたのは、日本でオオカミが絶滅する明治時代です。紹介者は、欧米追随を目指す明治期の権力者の価値観や道徳観に従って数ある説話の中から取捨選択され、都合の良いものだけが紹介されたのです。その時「赤頭巾」ではなく、「オオカミは神様の動物」という説話が紹介されていたら、私たちのオオカミ観はずいぶん変わっていたに違いありません。残念ながら、神様がおつくりなったオオカミの話は紹介からもれてしまったようです。説話とは、事実と離れて、時代の風潮に強く影響されることがしばしばあるということに注意したいものです。

歴史は不思議です。そうしたグリム童話の故郷とも言えるドイツを中心とした西欧では現在、オオカミの復権(名誉回復)と復活が進んでいます。一方、オオカミを長い間、信仰の対象として神格を与えて神社に祀ってきた日本では、古い欧州発の偏見と誤解、それに教条的で生半可な生態学的知識(復活オオカミは外来種、だからオオカミは生態系に悪いのだという思い込み)による不信感と難癖に邪魔されて、オオカミ復活はいまだに実現していません。この馬鹿げた落差はいったいどこに原因があるのでしょうか。教条的で生半可な生態学的知識を振り回しているのは、れっきとした研究者だったり、名の通った自然保護団体の役員だったり、あるいは高級役人だったりします。こうした人たちは、さらに日本の山野の悲惨な現状を知り、実態から離れた観念的に凝り固まった思考を解きほぐすことが必要です。

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30.西ヨーロッパではオオカミは保護されているの?

はい、EUではオオカミの保護が進められています。西ヨーロッパでも18、19世紀、オオカミの絶滅が相次ぎました。その原因は、ヒツジなどの家畜被害を理由に駆除されたことによります。間違ったオオカミ観も大きく影響しました。封建時代から資本主義社会への移行期のヨーロッパは、社会的混乱が原因してどこでも野生動物の乱獲が横行し、オオカミの主要な餌動物であるシカ類やヨーロッパバイスンなどが絶滅寸前まで追い詰められました。野生餌を失ったオオカミはヒツジなどの家畜を襲うようになりました。これが駆除の理由になったのです。しかし、幸いにも、スペイン、ポルトガル、イタリア、東ヨーロッパの多くの国では絶滅を免れました。第二次世界大戦後、経済が復興し、社会にゆとりが生まれてくると、生態学を背景にした環境保護文化が発展し、野生動物も保護されるようになりました。1979年、ECでは“Bern
Convention for Conservation of Wildlife and Natural Habitat”(野生生物と自然環境の保護)と呼ばれる協定が締結され、オオカミは保護の対象となりました。この後、オオカミは増え始めました。たとえば、イタリアではアブルッツォ国立公園に生き残っていた個体群がイタリア各地に生息域を拡大し、国境を越えてフランスのメルカントール国立公園に入りました。そこで増えたオオカミはアルプスに沿って北上し、スイスのジュラ山地にまで分布するようになりました。ヒツジの捕食害が発生していますが、EUはオオカミの安易な駆除は認めていません。ポーランドに国境を接するドイツでも1990年代になって各地でオオカミを見かけるようになり、2000年にはラウジッツLausitz地方に1つがいのオオカミが定着し、2010年現在、50×50kmの範囲(神奈川県とほぼ同面積)に2ペア、6群のオオカミが生息しています。この生息域が含まれるブランデンブルグ州とザクセン州政府は、オオカミの侵入防止用電気柵の建設費の60%を補助して、家畜被害の発生を防ぎつつ、オオカミを保護しています。ヨーロッパには2007年現在推定17000~25000頭のオオカミが生息していますが、多くの国で保護策が採られています。

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31. 人里を離れた奥山にオオカミを放したとしても、里近くに逃れてくるシカやイノシシを追って、結局、里近くに出てくるのでは?

オオカミが増えて人里近くに出てくるのは意外なことではなく、特に驚くことでも怯えることでもありません。奥山にオオカミが生息するようになったとしても、そこに生息するシカやイノシシがオオカミを避けて長距離を移動し、里近くに出てくることはありません。シカやイノシシに限らず、野生動物はいったん住み着いた地域から離れたがらない強い「定住性(定着性)」があるからです。「食べ物がなくなっても、シカは慣れ親しんだ場所から動こうとしないで飢え死にする傾向がある」と、シカの研究者が言うくらいです。しかし、獲物が十分にあればオオカミは増えます。増えたオオカミは、周囲に移動して、シカなどの野生餌が多い地域に次々とナワバリを張りながら、分布を広げていきます。現在、人里付近にまでシカやイノシシが生息しているのは、奥山の環境が悪くて出てきたのではありません。増え続けて、次々と分布を拡大して里に至ったのです。

このような地域にオオカミがナワバリを張り、人里に姿を現すことは当然考えられることです。でも、そうしたオオカミが直ちに人身害を及ぼす心配はありません。住民が、オオカミになれなれしくして餌付けをしたり可愛がったりすることなく、さらに狩猟者が常日頃からオオカミを狩猟の対象として追い掛け回している限り、すなわち、正しい態度でオオカミに接する限り、オオカミが人を襲うことはありません。もしそうでないとしたら、ヨーロッパ、北米、モンゴル、中国など、オオカミと住民が日常的に隣り合わせて暮らす地域で、人身害が頻繁と発生しているはずです。しかし、ヒツジなど家畜の捕食害はありますが、人身害は報告されていません。しかし、人里にオオカミが頻繁に出没し、オオカミの人馴れが進むようであれば、そうした個体は、イエローストーン国立公園で行われているように、万が一の事故に備えて駆除する必要があるのです。

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32.日本オオカミ協会はオオカミの再導入を実際に手がけるの? 国民の支持率は? 行政の役割は?

オオカミ復活の手続きはトキとコウノトリの場合と同様です。実際の再導入は、地域住民、国民の合意に基づく民主的な手続きを経て、野生動物の保護管理を主管している環境省が関係官庁の農林水産省、外務省、関係地方自治体、関係民間団体などと協議し、再導入用のオオカミの生息地である中国、ロシア政府と外務省を通じて交渉して行われます。日本オオカミ協会(JWA)が直接オオカミを海外から連れてきて放すわけではありません。民間団体であるJWAの活動は、調査研究、情報収集、国民への普及啓発が中心です。JWAは国民のオオカミ復活に関する理解度を調べるために3年おきにアンケート調査を行っています。2009年の第6回調査では、オオカミ復活支持が27%となり、初めて反対18%を上回りました。コウノトリやトキの再導入による復活が進んできたことと、シカやイノシシの獣害問題が年ごとに激しくなり、深刻化していることを反映していると考えられます。50%以上の回答は「わからない」でしたので、今後も一層の啓発普及活動が必要です。2010年夏からのオオカミ復活を訴える署名活動では、2011年9月、署名人はすでに9万人に迫ろうとしています。署名活動は継続されますので、さらに多くの署名が集まることでしょう。国民の理解は思ったよりも進んでいるようです。

しかし、オオカミをよく理解していない人が少なくありません。一刻も早く、多くの人にオオカミ復活を賛同してもらうにはどうしたらよいかという質問があります。それは日常的な啓発普及以外に方法はありません。署名活動はそうした効果を持っています。学校教育、社会教育などあらゆる機会をとらえることはもちろんです。日本の生態学教育は受験体制のなかで圧迫されているといわれています。生態学教育は幼稚園段階から開始されるべきであると考えられます。JWAだけでは力不足であるのはもちろんです。全国に数多い自然保護団体、狩猟団体、農業や林業の関係団体、一般企業、政治家の方々に協力を求めたいものです。自然保護行政と自然保護団体にはとりわけ強くお願いしたいものです。多くの住民、国民の考えを尊重するのは当然ですが、正しい情報を広く国民に提供する責務が行政にはあるのです(現在、多くの行政はオオカミに関してはタニシのように口を閉ざしています)。欧米を中心にしてオオカミの保護が進められているのですから、環境省、農林省などの責任行政は、いち早く、これらの先進地域の情報を集めて公開し、国民の判断のための材料としなければなりません。オオカミ復活に関する合意形成は、今や、一民間団体による仕事ではなく、環境省などの責任行政こそ取り組まなければならないことだということを繰り返し指摘しておきましょう。

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33.日本オオカミ協会による「シカ・イノシシなどによる獣害対策についての提言:オオカミ再導入と関連策の緊急実現の必要性」とはどのような内容?

全国的に獣害問題が深刻化し、2011年現在、農林業被害だけで年200億円を超え、毎年10億円以上の割合で増加し続けています。そのうち、シカとイノシシによる被害が50%以上を占めています。交通事故も増える一方です。イノシシ、クマによる人身傷害事故も増えています。シカによる被害は特に深刻で、農林業だけでなく、全国各地で、植生破壊、野生動物種の減少絶滅、土砂流失崩壊など、自然生態系の被害が年々激しさを増しており、最近では奥地化が進んでいます。これらのすべての被害を計算したら、莫大な金額になるはずです。

しかし、一向にシカのコントロールは進まず、被害の沈静化はいささかも認められません。地域社会では、後継者不在のままに高齢化、人口減少が進み、国民の狩猟離れなどによる狩猟者の激減・高齢化は止める術もなく、このままでは、遠からぬうちに、狩猟者の消滅が予測され(目の前に迫った銃刀法の切り替え時に激減し、2020年までにほぼ消滅と推測されます)、シカ、イノシシの個体数調整は完全に行き詰まることは目に見えています。

以後は、シカの野放図な食害により森林原野の荒廃は広域的に進み、土砂災害などの多発が予想されます。こうした状況を踏まえて、日本オオカミ協会は次の3つの緊急対策の実現を提案しています(詳しくは「フォレストコール16」参照)。

1)日本で絶滅したオオカミの再導入
現在のシカ、イノシシなどの中大型哺乳類の増えすぎは、明治時代のオオカミの絶滅に第一の原因を求めることができます。それゆえに、絶滅種オオカミの復活の実現が急がれます。昔日本に生息していたオオカミはユーラシア大陸の東西に広く分布するハイイロオオカミと同種です。絶滅種コウノトリやトキの再導入による復活となんら異なるものではありません。本州、四国、九州の場合、中国に生息するオオカミを、北海道には沿海州のオオカミを再導入することによって実現することができます。ちなみに、オオカミのシカやイノシシの生息密度調節効果、生態系の復元、低下した生物多様性の回復効果は、米国や欧州での研究で実証済みです。また、人に危害を及ぼす可能性はほとんどありません。これもヨーロッパの研究者グループの共同研究によって実証されています。奥山の自然地域(たとえば、南アルプスの高山帯や富士山麓の原生林地帯など)での侵入防止柵の建設は、技術的、財政的に難しいばかりでなく、その建設自体が自然破壊です。こうした地域は、オオカミを頂点とする食物連鎖による自然調節に任せるべきです。

2)ハンターの自治体雇用による常勤体制化
獣害激増の第二の原因は、明治以来約100年間、オオカミ絶滅による生態学的な穴を埋めてきたハンターが、今、急激に力を失い、オオカミの後を追うように絶滅の危機に直面していることです。ハンターの存続が必要です。従来の獣類のコントロールはレクリエーションハンターのボランティアに依存してきました。そうしたハンターに代わって、今後は、自治体が雇用する常勤ハンターが必要です。しかし、常勤ハンターの雇用には財政的な限界が予想されるので、耕作地、林業地、居住地域などいわゆる里山地帯が活動地域となります。奥山はオオカミ、里山・人里は常勤ハンターで有害獣のコントロール体制の実現を早急に進めるべきです。

3)広域的侵入防止柵(壁)の建設
オオカミの復活と限られた人数の常勤ハンターだけでは、被害防除は完全ではありません。そこで、人里・里山を囲む広域的な半恒久的な有害獣侵入防止柵の建設が必要です。

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34.鳥獣被害防止特措法ではシカやイノシシの被害を防ぐことはできないの?

従来の「鳥獣保護および狩猟の適正化に関する法律」ではもはや獣害問題に対処しきれなくなったため、2008年(平成20年2月21日)に「鳥獣による農林水産業等に係る被害の防止のための特別措置に関する法律」(鳥獣被害防止特措法)が施行されました。結論を言えば、この特措法をもってしても現在の被害問題は解決できないでしょう。その理由は明瞭です。この法律に記されている内容は、目先の対症療法に追われて、現在の鳥獣害激増の原因が頂点捕食者オオカミの絶滅にあるという認識がないことです。そのため、オオカミの復活の必要性についてはまったく触れられていません。オオカミ復活は日本の獣害問題を解決するためには絶対に忘れてはなりません。同時に、ハンターの減少も問題ですが、これへの対処も場当たり的です。ハンターの激減は、ハンターの供給源である農山村社会の高度経済成長期以降の衰退が原因です。ハンターの減少を食い止め、増加に転じるためには、農山村の再活性化が前提になりますが、これについても触れられていません。法律にあるように、市町村がいくら被害防止事業計画を作成し、鳥獣捕獲許可権限を委譲され、国と都道府県から財政支援を受けたとしてもハンターが減っていくのではどうしようもありません。市町村は鳥獣被害対策実施隊を設置し、民間人の隊員を非常勤市町村職員とすることができるとしていますが、ハンターの減少を食い止める効果はなさそうです。非常勤では身分が不安定で人並みの生計を立てることができないからです。いつまでも、従来の趣味的狩猟の延長から抜け出せないボランティア活動に依存してはいられないという深刻で重大な認識がこの法律には欠けているのです。

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35.里山を整備したらシカやイノシシ、クマ、サルなどは出てこなくなるから、オオカミの復活は必要ないのでは?

里山の手入れをすれば、シカやイノシシ、クマ、サルなどが里に出てこなくなると指摘されることがあります。しかし、里山の手入れとはいったいどのようなことをするのでしょうか。化石エネルギーと化学肥料が普及する以前は、里山は燃料としての薪炭生産を目的にした短期間での伐採や肥料の原料となる落葉落枝の採集が日常的に行われていました。このような伝統的な作業が行われる里山の林床(地面)は、潅木やササが生えていないか、生えていても背丈が短く、すっきりとした見通しが良い公園のような景観となります。里山の手入れの目的は、このような環境に戻すことをいうのでしょうか。

しかし、このような環境はシカやイノシシ、クマ、サルにとっては、隠れ場所や餌となる植物も無くなるので、住処としては具合の悪いものでしょう。落葉・落枝を持ち去られて有機物が乏しくなった土壌はやせ続けて、土壌動物も微生物も棲めなくなってしまいます。森林の地面には、落ち葉や落ち枝が積もった厚い有機物の層ができ、栄養分に富む土壌を形成する材料になっているのですが、そうした有機物を常に持ち出されている里山の土壌は痩せているのが普通です。

奥地で増えた獣たちは、増えた分食べ物が不足し、食べ物を求めて結局里山へはみ出してきます。しかし、そこには食べ物は多くないかわずかなので、素通りして耕作地に出てきて、作物を食害することになります。こうした動物たちの移動能力は、一晩に数km~10数kmを簡単に移動することができるほど大きいのです。したがって、里山の手入れをすれば獣害がなくなるということはありそうもないことです。里山への獣たちのはみ出しを抑えるためには、奥山の獣たちの生息密度を増えすぎないように適正に低く維持することが必要なのです。獣たちの生息密度を低く維持するためには、狩猟と頂点捕食者オオカミが不可欠なのです。

里山にクマ、サル、イノシシ、シカなどの食べ物の木の実をつける樹木を植林したら、獣たちは里山にとどまって、農耕地のある里に出てこないのではないかという人がいます。これもうまくいきそうもありません。というのは、里山の幅はどの程度のものなのでしょうか。そうした動物たちの大きな行動圏が収まりきるような広大な面積があるのでしょうか。動物たちはそうした里山で食料を得て、その分さらに増えることでしょう。増え続ければ、いつか里山におさまりきれなくなり、あぶれた動物は里に出てきて農耕地を荒らすことになるでしょう。これを防ぐためには、奥山から里山に移動してくる動物たちの数を奥山で抑制することが必要です。そのためには、どうしても、狩猟と頂点捕食者オオカミの生息が必要なのです。

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36. 復活オオカミは狂犬病に罹って人を襲うのでは?

オオカミが復活したら、狂犬病に罹ったオオカミが発生し、人を襲うのではないかと心配する人がいます。野生動物の保護管理に当たっている専門の研究者ですらそのような疑問を持ち、やたらに危機感を煽り立てる人たちがいます。狂犬病という語を知らない人はほとんどいないと思われますが、正確にこの伝染病を理解している人たちはどれほどいるのか疑問です。狂犬病が恐れられる理由は、イヌなどに噛まれてから一定期間の潜伏期間の後、いったん症状が現れたら手当ての甲斐なく助かる可能性がないからなのでしょうか。それに、狂犬病が日本に侵入した1732年から1950年代の撲滅までの2世紀余の間、各地でイヌやオオカミに伝染し、人々を怖がらせてきたからなのでしょうか。高齢者のなかには、戦後間もなく、「狂犬が来るぞ」という警告を聞いて子供心に怖がった記憶を持っている人がいることでしょう。また、長い棹の先に針金のリングをつけた野犬捕獲人が巡回しているのを何回も目にしたのではないでしょうか。このような体験をした人は高齢になって、かなり人数が減ってきたように思われます。こうした人たちも記憶が薄れ、日常的に思い出すこともなくなっているのではないでしょうか。現在、狂犬病を怖がる人の大部分は伝聞によるものだと思われます。

狂犬病は怖い病気ですが、イヌやネコ、キツネ、アライグマ、タヌキ、ネズミなど多くの哺乳類が罹病し、オオカミだけが特別というわけではないのです。社会を震撼させた、日本での流行は、イヌを中心にしたものだったことが考えられます。

日本では狂犬病は半世紀前に撲滅され、国内では報告されていません。1950年に狂犬病予防法が施行され、イヌの飼養登録、登録犬の狂犬病予防ワクチンの接種義務、放浪犬の捕獲が徹底して行われているからなのです。

オオカミ復活に関する心配は、導入個体が狂犬病に罹病しているかどうかに絞られるでしょう。オオカミ復活事業が具体化し、アジア大陸の極東地域から導入されるオオカミは、捕獲国で厳重な衛生検査が行われ、国内でも検査が行われるので、狂犬病の心配はありません。狂犬病ウイルスを持っていない健康個体だけが放されるので、導入オオカミが感染源になることはありません。日本国内では、狂犬病が鎮圧されている限り、復活したオオカミの狂犬病罹病は考えられません。したがって、狂犬病の可能性があるからオオカミの導入に反対するという根拠はないといってよいでしょう。

狂犬病ワクチンの飼い犬の接種率が、世界保健機関(WHO)が提唱している70%を大幅に下回っている現状は危険そのものです。この接種率を高めるよう愛犬家に働きかける必要があります。狂犬病などの伝染性の病気は、キツネ、アライグマ、タヌキなど、野生動物の生息密度が高いほど流行しやすいことが考えられますから、感受性の強い種の生息密度を抑制しておくことが必要です。これらの感染種の抑制は、ハンターが激減している昨今の事情ではできない相談です。これらの動物の抑制のためにもオオカミの再導入を急ぐ必要があります。

いったん自然界で狂犬病が流行したら、その鎮圧は大変困難です。罹病個体の駆除では追いつきません。経口ワクチンの散布が唯一の方法だといわれています。経口ワクチンとは、感染力を弱めた狂犬病ウイルスを餌に混ぜたり、餌でくるんだりしたもので、野生動物に食べさせて効力を発揮させようとするものです。戦後、フランスで野生のアカギツネ(日本のキツネと同種)に狂犬病が流行したときに使用され効果があることが証明されました。北米でも使用されています。復活したオオカミの健康を守るためにも、海外からの狂犬病ウイルスの侵入を防止するとともに、経口ワクチンの使用も検討しておく必要があります。

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37. オオカミ再導入はマングース導入みたいに失敗するのでは?

「オオカミ再導入」を沖縄の「マングースの導入」と同じだと考えるのは間違いです。その理由はたくさんあります。

第1に、オオカミはもともと日本に昔から生息していた自然生息種(native species)です。一方、マングース(正式にはフイリマングース)は沖縄や奄美大島などの南西諸島には生息していなかった完全に外来種(exotic species)なのです。それゆえに、もともと故郷のような日本の生態系に復活するオオカミが日本の生態系に悪い影響を及ぼすなどとは考えられません。日本の生態系はオオカミが戻ってくるのを待っているといってよいでしょう。マングースにとっては、見知らぬ生態系に連れてこられて大変な迷惑だったことでしょう。マングースが沖縄や奄美大島の生態系をいろいろ混乱させているのは、見知らぬ生態系なのですから当たり前です。

第2に、オオカミとマングースには、生態学的に大きな違いがあります。オオカミは食物連鎖の頂点に位置づけられる「頂点捕食者」です。だから、オオカミの代わりをする頂点捕食種はなかなか見つからないし、オオカミを捕食する捕食者もいないわけなのです。マングースはそうではなくて、食物連鎖の途中に位置づけられる単なる「中間捕食者」に過ぎません。だから、マングースを捕食する動物は、猛禽類やヒョウ、ヤマネコなど中・大型のネコ科、ジャッカル、オオトカゲやニシキヘビなど数多くがいます。実は、ハブこそ、西南諸島の頂点捕食者なのであり、そのハブを中間捕食者に駆除させようなどという発想はとんでもない大間違いなのです。だから、マングースがハブに適わないのは当たり前です。中間捕食者、すなわち、食われる立場にある、イタチほどの小型のマングースは、生き残るためには、食べられるものなら何でも食べて、どんどん増えなければなりません。そのため、食べ物に困らないように雑食性に進化したのです。これが今、困り者になっている原因です。マングースは昆虫類やカニ、ムカデなどの無脊椎動物を中心に爬虫類、両生類、鳥類とその卵、小型哺乳類等を幅広く捕食し、ときに果実などの植物質も採食し、なかでも昆虫類等の無脊椎動物を主要な餌資源としています。島内で採集した糞内容物の分析の結果、マングースは節足動物を中心に哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、植物質等を幅広く採食していることが判明したのですが、ハブは食べていませんでした。

第3に、オオカミの再導入とマングースの導入のベースになる思想とに大きな違いがあります。マングースは、害獣(と思われていた)のハブとクマネズミの退治を目的にした、いわば「生物農薬」だったのです。最初から自然への影響など何も気にかけない、目先の人間の利益だけしか考えないエゴそのものの行為だったのです。人間のエゴはいつも自然を撹乱破壊し、最後には自分たちも困り果ててしまうのです。実際、マングースは、ワタセジネズミ、ホントウアカヒゲ、オキナワキノボリトカゲ、ハイ、ヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イボイモリ、イシカワガエルなどの食べてほしくない生物を捕食し、個体数と生息域を減少させていることが判明し、ますます不評を囲って、もてあましものになっているわけです。マングースの導入が行われた、明治末は生態学的な知識がまるで普及していなかった時代だったのです。

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38.   ハイカーが連れているペットの犬が山でオオカミに襲われたら困るのでは?

最近、山歩きにペットの犬を連れている人が目立ちます。こうしたこともあってか、「こうしたペットが山でオオカミに襲われることはないのか。もし襲われる可能性があるなら、ペットを家族同然に考えている、そうした人たちはオオカミの復活に反対するのではないのか」といった質問に出会います。
オオカミにとって犬は獲物ですから、犬が山中でオオカミに吠え掛かれば(吠え掛からない犬は極めて稀)、オオカミは間違いなく犬を攻撃し、十中八九、犬はオオカミに殺され、連れ去られるでしょう。飼い主がオオカミと戦おうとしない限り、オオカミは飼い主を攻撃することは殆どないでしょう。オオカミは人間を恐れているからです。北欧での最近の出来事です。乳母車に赤ん坊を乗せてペットの犬を連れて散歩中の婦人がオオカミに遭遇しました。婦人は乳母車を押して逃げ、助けを求めました。犬に吠え掛かられた場合、走って逃げるのは禁物です。オオカミの場合も同じです。走って逃げるのは、彼らの攻撃本能を一層刺激し、飛び掛って噛んだりする激しい攻撃を誘発するからです。この場合、オオカミは犬を連れ去っただけで、婦人も赤ん坊も攻撃されることなく無事でした。オオカミは攻撃的な犬に関心が集中していたからではないかと考えられます。(フォレストコール No.17、2011、28p)
北米のイエローストーン国立公園では、ビジターが公園内にペットを連れてくるのを禁止しています。その理由は、ハイカーとペットに不幸な事件が起きないようにという配慮もあるのでしょうが、それよりも、ペットが持ち込む可能性が大きい、感染症の蔓延を防止が目的です。実際に、オオカミがジステンパや疥癬に感染し、多くのオオカミが死亡する事件が起きています。さらに、ペットの犬が野生動物を追いかけまわしたりして危害を及ぼすのも困るからです。それにもかかわらず、ペットを連れ込んで、犬を連れてハイキングを楽しむ人が後を絶ちません。こうした人たちの行為は非難されるべきものです。
自然の中では「みんな仲良く」のユートピアはまずありません。野生動物たちは、攻撃され、攻撃し、生き延びるために始終周囲に気を配って生息しています。油断を欠いたものが犠牲になるのです。ペット連れのハイカーのような、のんきな野生動物はまずいないのです。家族同然のペットと愉快な山歩きは楽しいでしょうが、自然はいつでも人間に好意的ではありません。どちらかといえば、人間の隙をいつも狙っているのだと考えている方が安全なのです。自然の中でハイキングを楽しもうとする人は、そうした自然の厳しさを忘れてはいけないし、自然の厳しさを厭ってはいけないのです。
ハイキングの楽しい道連れにペットを連れて自然の中を歩くのはマナー違反です。気の立ったイノシシやびっくり症のツキノワグマに出会ったらペットだけでなく飼い主だって無事ではすみません。ヒグマは一層危険です。巧みに人間を避けようとするオオカミとの遭遇は滅多には起きませんから、ことさらオオカミを恐れて、その復活に反対するのは取り越し苦労というものですし、本末転倒な発想です。
いずれにせよ、ペット連れのハイキングや山歩きは原則禁止。とりわけ、自然生態系保護区や野生鳥獣保護区では厳禁。これは、言われなくても守らなければいけないルールです。しかし、実際には、多くの人がこれを無視しています。これを含めて、自然に接するマナーを広く国民に周知することが必要です。学校教育だけでなく、いろいろな機会を捉えての社会教育の場面で、理解を求めることが必要です。これが徹底し、犬などのペット同伴のハイキングなどの山歩きがなくなれば、同伴のペットがオオカミに襲われたらどうするのかなどという心配は要らなくなるはずです。それでも、ペット連れで山に入り、事故にあったら、それは自己責任で対処してもらうのが道理と考えられます。ペットを連れて山歩きをしているときにオオカミに襲われたらどうしようなどと心配してオオカミ復活に異を唱えるのは筋違いというものです。

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39.      外国のオオカミは日本の険しい山地に住めないのでは?

外国に生息しているオオカミは日本の険しい山地に住めないのではないかと心配する人がいます。結論を言えば、このような心配は無用です。
こうした心配は、大陸と比べて、日本の山地が特別に険しいのではないかという思い込みが背景にあるのかもしれません。日本の山地といってもさまざまです。険しいところもあればなだらかなところもあります。大陸というと、平らな平原がどこまでも広がっていて、険しい山地はごく僅かしか存在しないというイメージがあるのかもしれません。
実はそうではないのです。西ヨーロッパのアルプス山脈、イベリア半島のピレネー山脈やカンタブリア山脈、東ヨーロッパのカルパチア山脈、バルカン山脈など、日本の山地以上に険しい山地がごく普通に存在し、そんな山地でもオオカミは珍しい存在ではありません。中国でも、最近でもオオカミがたまに目撃される山東省の泰山(1524m)一帯の山地は、雲取山などの奥多摩の山地や神奈川県の丹沢山となんら変わりありません。中国には、大別山脈、泰嶺山脈など急峻な山地が広大な地域に分布し、そうした地域もオオカミは普通に生息しています。モンゴル国のオオカミの生息地であるボグドハン厳正自然保護区やフスタイ国立公園は岩峰の多い急峻な山地です。アメリカ合衆国のオオカミ再導入地域の北部ロッキー、その一部のイエローストーン国立公園は険しい山地が連なっています。
このように、絶壁が連なるような峨峨たる急崖が連なるような山地でなければ、平坦地から急峻な山地までオオカミは普通に生息しています。オオカミが生息できないような本当に急崖地帯では、オオヤマネコ、ウンピョウ、セッピョウ、マウンテンライオンなどの大型ネコ科の捕食者が頑張っています。
日本の山地だけが険しいのではありませんし、日本ならどこでも険しいかというとそういうわけでもありません。インターネットを使えば、いながらにして、世界中の地形を見ることができます。たとえば「グーグルアース」は誰でも使えて手軽です。パソコンでインターネットを開ける人は、早速、外国と日本の地形に違いが有るのか無いのか、自分の目で確かめてみてください。

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40.再導入オオカミはタンチョウを捕食しないのでしょうか。もし捕食してマスコミがこれを取り上げたらどうするのですか?

仮定に仮定を積み上げた問答は答えにくいものです。こうした問いかけは回答者を困らせる効果はあっても決して信頼度の高い答えを引き出すのは難しいものです。回答も、仮定に仮定を積み重ねて答えざるを得ないからなのです。
これは2011年10月北海道の釧路でのオオカミシンポジウムで出された質問です。水禽にとって、卵や雛が巣にいる状態はもっとも天敵の攻撃を受けやすい危険な時期です。しかし、水禽は、水湿地が、天敵の目を逃れ、攻撃されない、最も安全な環境だということを知っていて、そうした環境を営巣場所として選択するようになったと考えられます。実際、オオカミは滅多に湿原に入ることはありません。こんな質問もありました。冬季、タンチョウは群れを成して収穫後の農耕地で落穂を採食するので、そうしたタンチョウはオオカミに攻撃されて捕食されるのではないか。これもまったくの杞憂というものです。収穫後の農耕地のような見通しのよい環境で、たとえオオカミが捕食しようとしても、タンチョウはすぐに気づいて飛び去ることでしょう。もしもオオカミに捕食される個体がいたとしたら、それは怪我をしたり病気で衰弱した個体だろうと考えられます。健康なタンチョウが開放的な環境で陸上の捕食者に捕まるようなことはないでしょう。野生のオオカミの食性に鳥類が占める割合はごく僅かですから、オオカミの捕食が野生鳥類に及ぼす影響は殆ど無いものと考えられます。
オオカミの再導入を行い、今や多くのオオカミが生息しているイエローストーン国立公園でも、トランペットスワン、サンドヒルクレーン、アメリカハクショクペリカンが生息していますが、オオカミが彼らの脅威になっているという報告はありません。トランペットスワンの繁殖を妨げているのは、浮き巣を押し流してしまう洪水とコヨーテによる捕食が知られています。北海道の場合には、むしろキツネの捕食の方が心配です。オオカミが生息する中国北部の黒龍江省には広大な湿地帯が各所に分布し、数種類のツルが繁殖していますが、オオカミがツル類を捕食し、彼らの繁殖を妨げているという報告は聞きません。北米でも中国でも、そうした大型水禽類の繁殖を妨げ、激減させてきたのは、人間による捕殺であり、繁殖環境である湿地の干拓などによる生息環境の破壊が原因です。ですから、オオカミによる捕食を心配するよりも、捕殺と生息環境の破壊を防止することが大切です。オオカミが広い湿地で営巣しているタンチョウを捕食することはまずないでしょう。北海道では、明治時代にオオカミが絶滅するまでは、タンチョウもオオカミも長い長い歴史の過程で共存し続けてきたことを思い起こせば、オオカミによるタンチョウの捕食を心配する必要はないといえます。もしもオオカミがタンチョウを捕食し、それを知ったマスコミとそれを読んだ人々の反応がどのようなものか、そしたらどうするのかという質問には、仮定が多すぎて答えることができません。(Nos. 10, 11参照)

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41.オオカミ復活を理解するために店頭で簡単に手に入る書籍はある?

一般向きの専門的なものとしては、次のようなものがあります。

エリック・ツィーメン著 今泉みね子訳 「オオカミ」 白水社(1995)
丸山直樹・須田知樹・小金澤正昭編著 「オオカミを放つ」 白水社(2007)
ウイリアム・ソウルゼンバーグ著 野中香方子訳 「捕食者なき世界」 文藝春秋(2010)
平岩米吉著 「狼-その生態と歴史」築地書館(1992)
「フォレスト・コール」 1巻から17巻、日本オオカミ協会
栗栖健著「日本人とオオカミ」雄山閣(2004)
ベルナール・D著 高橋正男訳「狼と人間」平凡社(1991) など

児童向けのものは、次のとおりです。

あべ弘士著 「エゾオオカミ物語」 講談社(2008)
志茂田景樹著 「まぼろしのエゾオオカミ」 KIBA BOOK(2003)
ビッキー・イーガン文/ダニエラ・デ・ルカ絵 秋篠宮紀子構成・訳 「オオカミのエリック」 新樹社(2007) など

(2011年9月16日記)ハイカーが連れているペットの犬が山でオオカミに襲われたら困るのでは?

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