イノシシとオオカミ

ホームページにイノシシの食害に困っている方から、「オオカミでイノシシを退治できないか」という主旨の質問がありました。これは、その質問に対する回答です。

イノシシの分布拡大は全国的に見られており、ここ10年ぐらい顕著になっています。その要因としては次のようなものが考えられています。ひとつは地球温暖 化による積雪量の減少です。環境省により行われた第2回自然環境保全基礎調査(1978年)ではイノシシは西日本に偏った分布をしていることが明らかにな りました。イノシシは脚が短いため行動が積雪により阻害され、雪の多い地域に進出することができないでいたのです。しかし、積雪は年々減少していますの で、イノシシはどんどん北上を続けています。北陸、中部、東北などへの進出はこのことが一因となっていると考えられます。
また、狩猟者の減少、高 齢化による捕獲圧の低下の影響もあります。1978年に銃刀法が改正されて猟銃の取り締まりが厳しくなりましたが、これは乙種免許(銃猟用の免許)取得者 の減少を促すことになりました。現在日本の狩猟者数は20万人程度でかつての半分以下になっており、被害が出ても駆除隊を編成できなくなっている地域すら あります。ククリワナを使った狩猟が盛んに行われている地域もあるのですが、場所は限られています。ククリワナは猟犬を捕まえてしまうことがあるため、銃 猟が主流の地域では嫌われています。またククリワナが絶滅危惧種を誤捕獲する恐れがあるということから、一人当たりのワナの数は30に制限されるようにな りました。そのため狩猟による捕獲圧の増加はなかなか望めない状況にあります。

しかし、イノシシ分布拡大の最も大きな要因は日本農業、特に中山間地域の弱体化にあると考えています。1970年に始まった減反政策により水田 が大量に放棄され、その他にも農産物の輸入自由化により果樹園などが放棄されてきました。放棄地にはクズやススキが入り込み、イノシシに好適な生息環境と 食物を提供しています。そのような場所には人も入り込まないため、イノシシはそこを起点として隣接する農地に被害を出すようになり、その結果放棄を促進さ せるというような図式になっているように思います。

イノシシの被害を防ぐのは他の大型哺乳類に比べると簡単です。シカ、カモシカと違って基本的に農業にしか被害を出さないので農地を柵で囲えば事 足りますし、サルのように空中から来ないので柵の高さも比較的低いものですみます。しかし、いただいたメールにもありましたように、その費用や労力は農家 の方にとって大変な負担になっています。私たちがこれまで行ってきた調査でも、農業の経営環境の悪化や後継者不足により効率的な被害対策が行えないケース がたくさんでてきました。減反政策が廃止されて競争が強化されれば、さらに厳しい状況になるものと考えられます。

さて、オオカミによりイノシシの密度をコントロールすることは可能かどうかについて今考えていることをご説明いたします。
現在の分 布拡大や個体数増加をオオカミのみで抑えることは難しいと考えています。イノシシの成獣を倒すことができるのはトラやヒョウのクラスの肉食獣からです。オ オカミもイノシシを補食しますがそのほとんどは0才です。またシカとイノシシが同時に分布している場所では、シカの方を選択しているようです。私がポーラ ンドで行っている研究では、オオカミがイノシシの密度をコントロールしていることを示唆している結果を得ましたが、これは寒さが厳しい地域でもともとのイ ノシシの密度が低いこと、人間の狩猟によりアカシカの密度が低くなっていたためだと考えています。日本のようにイノシシの密度がかなり高いと思われる地域 では、オオカミはイノシシを補食するでしょうが、それにより個体数増加をとめたり、完全に農作物被害をなくしたりすることは難しいように思います。
し かし、これは生息密度から見た話であり、オオカミの出現によりイノシシの密度分布は変わってくることが予想されます。例えば、オオカミの密度が高い場所を イノシシが避けるようになることがあるかもしれません。また、今後人間による狩猟圧を強化することができたとしても、狩猟はアクセスのしやすい低標高地域 で主に行われるものと思われます。しかし、オオカミは人間が入っていけないような場所でイノシシの補食を行うことができます。つまり、オオカミとイノシシ の生態学を明らかにしそれを考慮することで、効率的な個体群管理や被害対策を行うことができるようになると思います。今後はそのような視点からの研究が必 要だと考えています。

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神埼伸夫(東京農工大学農学部野生動物保護学研究室助教授)

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