山岳写真の会「白い峰」主催 パネルディスカッション「オオカミ復活 是か非か」:賛成満場一致!!

未曾有の大震災の直後の2011年3月19日、開催が心配されたシンポジウム「オオカミ復活是か非か」が予定通り開催された。参加者は例年よりも少なめとのことだったが、それでも130人と大勢が集まった。主催は、山岳写真の会「白い峰」(主宰山岳写真家 白旗史郎氏)である。会場は、同会による写真展が開催されている静岡県立美術館。参観者で会場は賑やかだった。午後1時半から約2時間、白旗氏のリードによる、静岡大学理学部教授増沢武弘氏、JWA会長丸山直樹氏の3者によるパネルディスカッションであった。白旗氏も増沢教授(高山植生研究の権威)も、南アルプスなど高山帯でのシカによるお花畑をはじめとした植生破壊と山地崩壊に深く心を痛めている。シカ被害はこれ以上放置できない。対策は緊急を要す。これが3人のパネラーの一致した意見。論点は「対策としてのオオカミ復活」であった。JWAの丸山会長が答えるQ&Aスタイルでディスカッションが進んだ。 

○高山帯の植生を守るためにネット柵の効果は?

白旗氏も増沢教授も再三、環境省に対策を求めてきたが、放置されたまま、被害は時々刻々酷いものになっている。シカ害を放置し続けるわけにはいかない。増沢教授によると、高山のシンボルであるコマクサまでシカに食害され始めている。土砂の流亡が始まり、裸地の表面には流水によって溝が刻まれ始めた。対策を急がないと。最近、議論の末にようやく、お花畑の一部にネットが張られたが本当に僅かなものに過ぎない。シカの過剰はそのままだ。これでは高山帯の植生をはじめとした広大な生態系は守れない。ネット柵は将来の回復のための埋土種子などの最小限の緊急避難である。

○赤頭巾症候群:オオカミは人を襲わないか?

どこでもそうだが、人々の関心は「オオカミは人に危害を加えないか」ということ。今回も、ハイカーや林業作業者が襲われないか。増えたオオカミが人里に出てきて住民を噛まないかなどといった不安があげられた。こうしたオオカミ恐れ感は、「赤頭巾」「三匹の子豚」などのヨーロッパの説話に根があり、事実でないことを理解している人は少なくないのだが、それでも確かめないと気がすまないようである。心のどこかに染み付いて通念化しているのだろうか。一種の社会的病徴である。「赤頭巾症候群」とでも名づけたらよいか。これらの寓話は、中世以来のキリスト教社会の人間中心主義の自然観に根ざしたもので、日本には明治期に紹介され児童教育を通じて普及し未だに廃れていない。辞書に「人畜を襲う猛獣」とあるくらいである。中国では「前門の虎、後門の狼」とも言うから、怖いオオカミ観は洋の東西を問わずかもしれない。

イエローストーン国立公園の年間訪問者数が300万人に及び、その中にはバックパッカーが多数含まれているが、そうした事故は起きていない。赤頭巾の説話の故郷であるドイツをはじめとしたヨーロッパ諸国、ロシアや中国などユーラシア大陸の広い地域にオオカミが生息しているが、オオカミによる咬傷害の報告は殆ど無い。オオカミに対して餌付けや不用意に馴れ馴れしい態度をとらなければ、すなわち、互いに距離を保つならば何も問題は起きない。これが「赤頭巾症候群」対策である。最近、やたらに人を襲うイノシシやクマと比べたら、リスクは殆どないと言ってよい。これが結論だ。

どうも日本人はちょっとしたことでもリスクを恐れる。だが、その間にも、もっと深刻で重大なリスクを呼び寄せていることに気がつかない。物事を論理的に考え、大所高所から決断する能力に欠ける傾向があるようだ。今回の大震災の根底にもそうした様子が見て取れる。 

○オオカミはシカを減らせるか?

次の話題は、オオカミのシカ個体群に対するコントロール効果についてである。答えは「イエス」。もちろんイエスである。これについては、イエローストーンの事例がよい回答になる。オオカミを再導入後、15年にしてエルクは1/4に減少した。これには、直接の捕食だけでなく、オオカミが存在することによる心理的効果があるのだ。この結果、エルクによって破壊され続けてきた自然生態系が回復している様子がはっきり認められている。オオカミの復活が進んでいるドイツでも同様だ。

関連して、明治時代にオオカミが絶滅した後、最近までシカやイノシシによる今日のような被害問題が無かった理由はなぜかという問題であった。オオカミはもともと役に立っていなかったのではないかという指摘である。これについては「きわめてデリケートでよく研究しなければならない問題だ」などと、保全生態学者を名乗る研究者の勿体ぶったコメントを見たことがあるが、その理由は簡単だ。シカやイノシシなどの獣類の増加を抑制してきたのは、江戸時代にあっては「オオカミ+弱い狩猟圧」、狩猟規制がゆるくなった明治時代以降1970年代までは「強い狩猟圧」。しかし、それ以降は、農山村の衰退によって狩猟者が急減してしまった。したがって、今後は、かつてのような強い山村の狩猟圧は望むべくも無いから、オオカミ復活を急ぐと同時に狩猟者の絶滅防止が必要なのである。

○オオカミの主要な餌動物は何か? それ以外の絶滅危惧種や希少種を絶滅に追いやることはないか?

これもよくある質問である。オオカミの主要な餌動物は、日本では①個体数が多く、②適度の大きさをもったシカやイノシシ、それにニホンザルといった中・大型哺乳類である。地域によっては、個体数が多ければカモシカも食べられるであろう。オオカミの体の大きさに見合った大きさの動物でなければならない。小さすぎてもいけないし、大きすぎてもいけないのである。それは、探し出して捕獲するのに消費するエネルギーよりも、捕食して得られるエネルギーが大きくなければならないからである。個体数が少ない動物を探し出すのは大変である。ましてや、体の小さい動物の場合には特にそうである。ようやく探せたとしても、たとえばノネズミのように体重が20g程度だと、オオカミは数分ごとにネズミを捕まえないと腹を満たせない。仮にオオカミの体重が20kg程度だとして1日に2800g肉を食べなければならない。とすると、ノネズミを1日140匹も食べなければならない。このためには休む間もなく1日中数分ごとに食べ続けなければならないことになる。オオカミにとってこれは大変な仕事で実際にはできない。これほど多数が集中して生息している小動物は、これはもう絶滅危惧種だとか希少種だとか言うことはできない。よって、オオカミは絶滅危惧種や希少種を絶滅させることはないのである。

○南アルプスには何頭のオオカミを放したらよいのか? 何頭住めるのか?

 日本でオオカミが住める地域を知ろうとしたら、携帯電話の受信不能地域をみたらよい。この地域は利用者=居住者が殆どいない地域である。そういった点からすれば、自然領域=オオカミ生息可能地域とみてよい。南アルプスの受信不能エリアは控えめにみても50万ヘクタールはある。その東は富士川の狭い渓谷を挟んで天子山地に向かい合っている。この山地は富士山、さらに御坂山地、丹沢山地、そして関東平野をぐるりと囲む関東山地に連なり、足尾山地、日光山地に接続する。南アルプスの北には八ヶ岳連峰が隣接する。南アルプスの西は、伊那山地、木曽山脈と向かい合っている。オオカミにとって伊那谷は一跨ぎだ。木曽山脈は飛騨山脈から飛騨高地を経て白山を頂く両白山地、そして琵琶湖を望む伊吹山地へと連なる。オオカミ再導入を果たしたイエローストーン国立公園の面積は90万ヘクタール。南アルプスはじめ、その周辺一帯の山地の広がりは、オオカミの生息地として十分に広大である。イエローストーン国立公園では1995、96年に31頭のオオカミを放した。10数年で公園周辺部に移住したものも含めて約190頭に増加した。公園内は90頭ほどにまで増えた。これを参考にすれば、南アルプスでは50頭くらいは生息が可能であろう。再導入する頭数は多いほど良いが、複数パック、10数頭でよいだろう。狭い日本にオオカミが住める場所がないと言う人がいるが、そうした発想の根拠は不明である。 

○送りオオカミは別に害をするわけではないというが?

 悪い意味での「送りオオカミ」。これも「赤頭巾症候群」の症状の一つであり、フィルターのかかった解釈である。人間だけでなく動物はみな好奇心がある。ニュージーランドのクック海峡の小さな無人島は野生動物保護区になっていて、そこにテリトリーを張って生息するロビンも同様だ。テリトリーの主人が訪問者を見つけると早速やってきてぴょんぴょん跳ねながら後をつけてくる。テリトリーの外れまで来ると姿を消すが、すぐに次のテリトリーの主人が姿を現して同じような行動をとる。市井の民俗研究者である岸田日出男氏が、昭和初頭、絶滅した奈良県のオオカミについて郵送アンケート調査をしている。その中に「山道で出会ったオオカミの何例かは人間についてくるが、村に着いたりするといつの間にかどこかに行ってしまう。手を出さない限り危害を加えることはない」とある(フォレスト・コール2, 1995)。これが、「送りオオカミ」の実態である。

●参加者全員がオオカミ復活に賛成!

あっという間に2時間余が過ぎた。時間があったら、さらに突っ込んだ議論ができたであろう。パネラーも聴衆もオオカミ復活への期待が盛り上がった。でも、シカの駆除は果たして可能か、オオカミ復活はいつになるのか。そんな不安が頭をよぎる。これを感じてか、「国民の合意形成にはどのくらいの時間がかかるのだろうか。このままではシカによる被害は加速度的に拡大する一方だ。果たして間に合うのだろうか」とは増沢教授の締めくくりであった。司会者が最後に会場の聴衆にオオカミ復活に関する賛否を問う。全員が挙手。オオカミ復活に賛成。

 後日談。この結果を聞いた友人から妙なメールが入った。古代ユダヤのサンヘドリン(国会兼最高裁判所:70人で構成)では「全員一致の議決は無効」と記されていたとある。調べてみると確かにそうだ。人の世ではいつも異端はいるもの。それが無いのは異常だと考えたバイアスを恐れての逆説的な発想なのである(イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」角川文庫)。面白い。今回のパネルディスカッションは、もちろん、サンヘドリンではない。だが、結果の評価は大切だ。日本オオカミ協会の一昨年の定期的なアンケート調査では、オオカミ復活賛成が反対を上回っているが、過半数ではない。今回の結果はもちろん世論を代表するものではないのは明らかだ。友人のメールは、有頂天になるなという警鐘といったところであろう。しかし、今回のシンポジウムが無意味というわけではなく、成果があったというものである。どのような運動でも、こうした地道な説明の積み重ねは欠かせない。1億2千万人余の総人口と比べたら、聴衆はいつも小集団だ。

後で聞いた話だが、白旗氏が、一昨年、オオカミ復活を提案したときは、メンバーの賛同は多くなかったという。翌年も、賛同者は増えたものの反論は依然としてあったという。そして、今回の「満場一致の賛成」。理解が進んだのである。だから、今回の結果は「サンヘドリン」に当たらない。小集団相手の辻説法によって、いつか、きっと、母集団を構成する大多数の賛同を得る。これが運動だ。といっても、「シカの増えすぎを抑制して高山帯の生態系を守るのに間に合うのだろうか」という不安と焦燥感は痛く心に突き刺さるのだが。 (2011年3月30日記)

                       

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