家畜被害の懸念はオオカミ復活反対の理由になるのか?
毎日新聞長野版にシリーズ記事(8回)「急増・シカ害:共存への課題」(武田博仁、渡辺諒)(2011年11月16~30日)が掲載された。シカ捕獲対策に関する部分を要約すると次のようになる。
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「長野県内のシカは、2001年約3万頭だったが2011年には10万5千頭に増加した。2010年度の捕獲総数は2万頭を超えた。シカは4,5年で倍増する。県の計画では、今後毎年2万5千~3万5千頭を捕獲し、最終的には生息頭数5千~1万頭に抑える。ところが、捕獲に当たる猟友会会員は、35年前、1976年2万6千人だったのが、2010年には5分の1の5千人以下に減少。平均年齢は62歳。これでは、後継者を確保したいが減少に歯止めがかからない。県はワナ猟の普及を試みているが、ワナにシカを追い込む作業は高齢者には厳しく、普及が課題となっている。捕獲されたシカはジビエなどの食肉としての有効活用が推奨されているが、シカ肉の品質維持上、できるだけ迅速に処理する必要がある。だが、従事者が高齢者ばかりで後継者がいないという課題を抱えている。ハンター不足の現状打開策として検討されているのが、『公務で捕獲に従事する専門家である公務員ハンター制度』と『天敵オオカミ』の導入である。天敵オオカミの復活は、研究者らでつくる日本オオカミ協会によって主張されているが、オオカミが家畜を襲う危険などの懸念から抵抗感を示す人も多く、今のところ、国なども導入に否定的な見解だ。だが、現状ではシカの勢いを止める決め手はない。」(記事の要約はここまで)
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オオカミ再導入に関する報道には、必ずといってもよいように「人への危害」「生態系への悪影響」「感染症の危険」などの根拠のない否定的な見解が紹介されるのが通例であったが、これらは今回の記事には見当たらず、「家畜被害に関する懸念」だけが挙げられていた。これは、たまたまのことだったのか、ジャーナリストをはじめ世間のオオカミに関する理解が深化したことによるのかは直ちに判断できないが、どちらにしても喜びたい。
ところで、ウシ、ヒツジ、ブタなどの家畜を捕食しないオオカミなど世界中探してもどこにもいない。オオカミは、植物だったら殆どのものを食べることができる反芻胃という強力な消化器官と、多数の子供を産む能力を持った有蹄類を捕食し、生態系の中で均衡をとる役割を担うように進化してきたのである。これらの野生種から作り出された家畜をオオカミが捕食するからといって非難するに当たらない。オオカミと共生しつつ、それから家畜を守るのは、人間に課せられた義務であり知恵でなければならない。
きわめて広大な土地で人手をかけない粗放な米国の北部ロッキーの放牧地帯でさえ、放牧羊のオオカミによる捕食害が、病死、事故死、寒波や旱魃による天災死などを含めた死亡総数に占める割合はわずかに1%に過ぎない。一方。わが国の集約的な牧畜形態はそのような粗放な放牧は行われていない。採草地でもせいぜい100ha前後の狭さで、数千、数万ha規模の米国の放牧場とは比べられない。酪農牛、肉牛、豚ともに大部分は畜舎内で飼育されているので、オオカミによる捕食の機会はまずないと言ってよい。シカによる採草地の被害に悲鳴を上げている北海道の牧畜業者は、一日も早いオオカミの再導入を望んでいる。それほどまでにシカによる被害は激しいのである。
ヨーロッパでは、通常、護衛犬(ガーデングドッグ)や電気柵でオオカミから家畜を守っている。護衛犬の代わりにロバを使っている地域もある。ロバはオオカミと犬に対してきわめて攻撃的なのだという。こうした対策はわが国でも簡単に導入できるはずである。電気柵はシカやイノシシ除けのもので十分であり、全国的に普及している。家畜被害の可能性があるからといって、オオカミ復活に反対するのは筋違いである。起きるかどうかわからない、起きたとしてもわずかな家畜被害と、もうすぐ年間200億円を超えようとしているシカとイノシシによる農業被害、それに人身被害、交通被害、生態系および生物多様性の破壊を天秤にかけるのはまったく愚かなことである。この道の専門家である大学の教授の中にも、発生するかどうか不確かな家畜被害を口実にしてオオカミ復活に反対する者がいると聞くが、まったく情けないことだ。大所高所からの判断を求めたい。
流言に惑わされ、食わず嫌いを決め込んで、いつまでもオオカミの再導入に反対し、無為無策を続ける環境および農林水産行政は、不勉強の一語に尽きる。情報収集など地道な調査研究に積極的に取り組むべきである。怠惰で無能な行政には獣害放置の責任はきっちり取ってもらわなければならない。
(井上 守)