丸山直樹著『オオカミ冤罪の日本史―オオカミは人を襲わない』
JWA自然保護教養新書(2019)
多くの人は、オオカミについて大なり小なり、わだかまりをお持ちのようです。「人畜を害する凶獣」といった、かつての国語辞典にあったような「猛獣観」です。オオカミが家畜を捕食することは事実としても、「人を襲い、人を食う」性質があるというのは本当でしょうか。そうだとしたら怖いですよね。これには「赤頭巾ちゃん」のようなヨーロッパの寓話の影響があることは良く知られていますが、日本にもオオカミによる人食いに関する古文書が数多く残っていて、「・・・だから」と口にする人もすくなくありません。日本でのそうした出来事が本当のことなら、今でも数多くのオオカミが生息するヨーロッパや北米、モンゴルをはじめとした国々の人々がいつもオオカミに襲われていないのはむしろ不思議です。
このような素朴な疑問を解き明かすことが本書の主題です。とすると、わが国の書物や古文書に記されているオオカミ事件を検証することが必要だと考えられませんか。そうした記録にある人食い事件は本当のことだったのでしょうか。古文書の信憑性の検証は歴史学にとっては常識なのですが、オオカミに関する歴史民俗学書でもこうした作業が欠かせませんし、これがなければオオカミを間違って理解してしまうことにもなってしまいます。それはオオカミにとっても私たちにとっても不幸なことだと思います。
ここで紹介する新刊、丸山直樹著『オオカミ冤罪の日本史』(JWA自然保護教養新書2019)は、オオカミの真実に迫るために、これまで定説のように扱われてきた「オオカミ人食い」に関する事件を、関係文献を参照しながら根気よく検証した仕事です。その方法は簡単です。文書を鵜呑みにしないで、現代のオオカミに関する科学的な知見と照合しながら検証すること、また事件当時の様々な歴史的な事実と照らし合わせて、その周辺や背景を含めて多方面から総合的に解釈することでした。この作業の結果、驚くべき発見がありました。
なんと、オオカミが人食いの冤罪を着せられたのは江戸時代だったのです。謎解きの結果、“犯人グループ”が浮かび上がりました。
例えれば、“主犯”は、元禄の飢饉に関わる失政の責をオオカミに着せて幕府の追及を逃れた越中、諏訪高島、尾張、津軽、南部といった諸藩、“教唆犯”はそうした条件を準備強制した、あの有名な綱吉の政令群「生類憐みの令」。そしてこの時代に国外から侵入した狂犬病はもうひとつの“共同正犯”といってよいでしょう。オオカミは狂犬病に罹った犬による人身殺傷事件の罪も着せられていたのです。そして、江戸時代に大いに興隆した出版文化はこれを無分別にも社会に拡散したことで“従犯”としての罪を負うべきでしょう。明治以降、「赤頭巾ちゃん」などの新たな外来の“人食い冤罪菌”が侵入しますが、その定着のための土壌は江戸時代に用意されていたのです。明治以降の権力はオオカミに対して偏見の塊でした。ところで、当時の農民や猟師たちは、オオカミを狂暴な蛮獣といったイメージではなく、そのまるで正反対、オオカミは人を恐れて人前に姿を見せない臆病な動物と見ていたようです。オオカミは好んで人を襲うような動物ではなかったのです。これで、ヨーロッパ、北米、モンゴル、中近東、インドやネパールといったオオカミ生息国の人たちのオオカミ観と一致します。
本書の狙いは、オオカミ人食いの冤罪を晴らすこと。濡れ衣の元凶は元禄飢饉に窮した幕藩体制下の「大嘘」。古代シュメールの箴言「嘘をつけ、然る後、真実を言え。それは嘘と思われるだろう」。もうこれは卒業しましょう。虚言を繰り返すコピペ出版はおしまい。いつまでもオオカミを信じないで、その復活を逡巡していると、とんでもない災禍を招きます。シカ荒れによる自然破壊、山地崩壊、大洪水、そして豚コレラ流行も。どれもこれも生態系の有力な捕食者オオカミが絶滅したままになっていることが原因です。オオカミに関する誤解を解いて、オオカミ再導入を一日も早く実現しましょう。オオカミ復活の必要性については良く分かっているのだが、人食いが心配だからとためらっておいでの方は是非とも本書のご一読をお勧めします。
丸山直樹著「オオカミ冤罪の日本史」JWA自然保護文化教養新書167頁
一社)日本オオカミ協会2019年11月発行
定価:550円+送料150円