ツキノワグマの人身事故と保護管理、そして四国・九州への再導入

熊出没注意
丸山 直樹
I 生態的同位種としてのツキノワグマとヒト

1.ツキノワグマとヒト、競争関係は?
2.ヒントはツキノワグマの食性と社会生態:ツキノワグマは一人暮らしが好き!
3.ツキノワグマの食べ物は点在
4.ツキノワグマの行動圏
5.子育て中の母グマは他のクマと出会うのが嫌い
6.どうしてクマは人を襲うのか:背景には「競争排除則

II ツキノワグマとの共存

1.人馴れグマの増加:クマを甘やかすのは禁物!
2. ドングリ給餌は役に立たない
3.ツキノワグマ出没に対する里山の緩衝機能は本当か?
4.領域区分は
5.ツキノワグマの個体数を調整する自然生態系に備わった機能とは?
6.AIクマ警報装置への期待
7.はみ出しグマの駆除と活用
8.合意形成に向けての普及教育

序文

大型哺乳類は更新世の末期、約11,000年前に集中して、短期間に急激な気候変動あるいは人類の移動・拡散と活発な狩猟によって絶滅したといわれています(国立科学博物館,1995)。それ以前は、私たちが今付き合っている大型哺乳類の一回りも二回りも大きい、マンモス・オオツノジカ・ナウマンゾウ・ヘラジカ・ニホンムカシジカといった本当に大きな哺乳類が跋扈し、ヒトはそうした大型哺乳類を狩猟していたことが考えられるのです。しかし、今のところその詳しい様子はわかっていません。

 これらの大型哺乳類が姿を消した後、本州以南で勢力を広げた大型哺乳類は、ツキノワグマ、ニホンジカ、二ホンイノシシ、これにヒトを加えた4種です。これらの種は、現在大型と称されているものの、100㎏台かそれ以下の体重に過ぎず、最終氷期の動物相からみたら、中型か小型に区分されてしまうことでしょう。後期縄文人はこれらの氷河期の生き残りの哺乳類を狩猟して生活していたことは、縄文遺跡から発掘されるこれらの動物の骨からわかります。その後、数千年に亙る農耕文化社会にあって、最近まで日本人はこれらの種を絶滅させることなく共存共生関係を続けてきたのは人類史にあって稀有なことのように思われます。

 ところで、これらの中・大型哺乳類は、程度の違いはありますが、人との生活要求が重なっています。こうした生活要求が重なる、体の大きさも似通った種は「生態的同位種」と呼ばれています。そして、生態的同位種はそれゆえに、競争関係にあり、互いに排除し合う傾向があること、すなわち「競争排除則」が当てはまるとされています。

 ツキノワグマの農作地荒らしと人身襲撃は今に始まったことではありません。そのため、駆除目的だけでなく、毛皮や肉、それに「熊の胆」目当ての狩猟が各地で行われ、とりわけ明治以降、ツキノワグマの生息頭数は漸減傾向にあったのです。しかし、ツキノワグマの保護を目的にした狩猟規制が厳しくなった1990年代以降、ツキノワグマの生息範囲が本州各地に拡大するとともに、この種による死傷事故は年々漸増し、以前は生息が稀であった中国地方でも漸増傾向にあります。おかしなことは、現在、わが国では絶滅して生息していないオオカミは人食いだと恐れられているのに、各地に生息して日常的に殺傷事故を起こしているツキノワグマは愛護団体が全国的に活動するなど、人々から恐れられながら同時に可愛がられているのは全く不思議です。

 この評論では、ツキノワグマの人身襲撃をその生態、さらに競争排除則に関連付けて解き明かし、オオカミ問題にまでつなげてみたいと思うのです。

 稿を進めるにあたり、野生動物情報を集めている「井上動物配信」からは多くのクマ情報を得ることが出来ました。ほぼ毎日、何年にもわたり情報収集作業を根気よく続けておいでの井上守・千代子夫妻(JWA千葉県支部)に感謝いたします。

I 生態的同位種としてのツキノワグマとヒト
1.ツキノワグマとヒト、競争関係は?

 競争排除的な関係は、ツキノワグマとヒトとの間では見られないのでしょうか。とりわけ、山菜やキノコ狩りが盛んな山里の住民との関係です。両者は生態的同位種的関係にあるのではないでしょうか。

 ツキノワグマは、本州では最近増加傾向にあると見られています。九州では、戦中から戦後にかけて絶滅し、四国では二十頭前後まで減少したままで、顕著な増加は認められず、絶滅寸前にあると見られています。ツキノワグマは、北海道に生息するヒグマに比べると一回り小型ですが、成獣に達すると体重100㎏から200㎏近くになるものもいます。肉体的にはツキノワグマは圧倒的にヒトよりも勝っています。他の哺乳類と異なり、ヒトを恐れるどころか、積極的に攻撃し、死傷事故の発生も稀ではありません。今やクマ事件の発生は本州各地で普通になりました。ですから、ツキノワグマとの関係は深刻です。

 ツキノワグマと人との衝突が多いのは、春から初夏、そして秋から初冬にかけての二つの時期です。冬眠から覚めたツキノワグマは、冬の断食を埋めるために食欲全開。山村での山菜採りも同様、雪融けとともに多数の入山者で山の藪は賑やかになります。クマが冬眠中の冬は、トラブルはありません。春から初夏は山菜取りの最盛期です。ワラビやゼンマイ、ギボウシ、ウド、ギョウジャニンニク、そしてササを含むタケノコなどを目的に、多くの山菜採りの人たちが連日山に分け入ります。これらの山菜はツキノワグマの好物です。当然のことながら、山菜をめぐって、クマと人との接触事件が全国各地で多発します。秋は、キノコ狩りの人たちや、果実を求めて里に下りてきて里人との遭遇事故が発生します。

 今年も例年のように、死者を含む人身被害が発生しています(ここ数年のツキノワグマ遭遇事故発生は、33都府県、死者数名を含む百数十件)。ツキノワグマとの遭遇は、山菜が豊富な山中ばかりではありません。平野部の農耕地帯や住宅地、市街地でも遭遇事件が発生しています。魚釣り中に釣り人が襲われたり、早朝、野良帰りの高齢女性が背後から襲われるといった例も報告されています。これらは一部に過ぎません。これまで言われていた、クマと人との意図せぬ出会い頭の偶然の遭遇事故とはかなり違っています。そうではなくて、ツキノワグマが意図して人を襲っているように見えるからです。

 従来提唱されてきたツキノワグマとの遭遇を避ける方法としては、熊鈴や携帯ラジオを携行し、大きな音を出して、ツキノワグマにいち早く自分たちの存在を気づかせて、不慮の遭遇事故を避けることでした。しかし、このような事例から見えてくることは、実際にはこのような用心をしていてもツキノワグマ事故は避けられないということです。

 JWAの井上守さん、千代子さんは、毎日根気強く、全国の野生動物情報を収集しています。この井上動物配信を見ると、「クマが倉庫に侵入、精米機壊す 県内で今年初の被害/岩手・宮古市」〈2020/4/18 BBC岩手放送配信〉とあります。「警察のまとめによりますと、県内でのクマによる被害は今年に入り初めてです」と記されています。同じく陸奥新報(2020/4/19)には「19年クマ出没件数 前年上回る443件」とあります。別の記事には、「中部地方では岐阜県、愛知県でもクマ注意が報道され、春山もクマに注意。ベテラン猟師によれば対抗は銃しかない」などと物騒なコメントがついていたりします。

 クマ被害が多い秋田県では、自然保護団体の集会でさえ、クマと人との領域区分が必要かもしれないなどといった声も聞かれます。このままだとツキノワグマ危険獣視が一般化して、各地でクマ駆除が当たり前になり、保護を求める声はかき消されて、ツキノワグマが姿を消しかねません。とはいえ、線引きは不可避とも考えられます。しかし、歴史的に開発が進み、人間領域が精一杯拡大した今日の現状を基本にした線引きはどちらかと言えばツキノワグマにとって有利とはいえないかもしれません。両者に公平な線引きを考える必要があります。いずれにせよ、私たちはツキノワグマのことを知っているようで知らないことの方が多いように思われます。ツキノワグマを滅ぼすことは許されることではないし、もちろん共存しなければなりません。そのためには、両者の生態的関係について少しでも多くのことを知っておかないといけないでしょう。

2.ヒントはツキノワグマの食性と社会生態:ツキノワグマは一人暮らしが好き!

 ツキノワグマの社会制と食性が、その攻撃性のベースにあることをお話しします。

 ツキノワグマはシカのように群れをつくりません。家族群を作るオオカミやカモシカとも違っていて、一人暮らしが好きな独身主義者なのです。群れといったら、1,2頭の子熊を連れた雌の母子と、夏に見られる交尾のためのごく一時的な雄と雌の2頭くらいです。この単独性社会の秘密は彼らの食性を考えればわかるでしょう。

 その食性は、一言でいえば動植物両方を食べる雑食性で、普段は植物食に偏っています。しかし、それもケースバイケースで、手に入りやすい食べ物を多く食べるだけのことなのです。いつも手に入るわけではありませんが、シカやカモシカなどの死体は好物です。安定して手に入るのは、植物です。ただし、植物の存在量が多いからといって、シカのように何でも食べるというわけではなく、利用の中心は人の食べ物と同じ、消化できない繊維分が少なく、糖分やでんぷん質、タンパク質などの消化性の良いものが中心となります。シカは微生物が生息する胃を含めて4つの胃から成る複胃動物です。消化しやすい糖分やたんぱく質、デンプンはもとより、ヘミセルロース、セルロースなど長分子の消化しにくい物質から出来ている、硬くなった葉、枝、茎、根すらも消化することが出来ます。微生物が消化を助けてくれるからなのです。一方、クマは、人やサルと同様、胃が一つしかない単胃動物なので、強酸と酵素で溶かす加水分解作用で消化することになります。ですから、繊維分の少ない、消化が容易な食べ物しか消化することができません。シカのように消化を助ける微生物が胃の中に生息していないために、食べられるものが限られているのです。そのため、春、冬眠明けのクマは、消化しやすい芽吹きの柔らかい山菜を探します。これらは山菜採りの収穫の対象ですから、当然ながら山菜採りの人と競合して衝突の原因になります。ツキノワグマの体重は通常数十㎏ですが雄の成獣では100kgを超えるものも稀ではありませんから、彼らに襲われたら、人は鉄砲などの強力な武器無しでは敵いっこありません。

 ブナやドングリ、クリ、ヤマグルミの実は夏から秋の大好物として知られています。しかし、クマにとってはデンプン粒の消化率はそれほど高くはありません。秋の山では未消化のまま排泄されたドングリの殻が混じった黄褐色のデンプン粒から成る糞の山を見かけます。クマの好物は、我々人間と同じで、キイチゴ、カキ、ヤマブドウなど糖分の多い、甘くて柔らかく消化しやすい、いろいろな種類の果実です。梅雨時には、シカと同じように、針葉樹の樹皮を剥いで甘皮を齧ります。好物の動物は、ハチやアリ、芋虫などの昆虫、ネズミ、魚類、それに運よく捕まえられればノネズミやシカやカモシカなど、なんでも食べます。しかし、ツキノワグマは、捕食者でもあるのですが、シカなどの成獣のハンティング(捕食)は得意ではないようです。生後間もない仔ジカだったら簡単に捕食できるかもしれませんが、ツキノワグマも俊足とはいえ時速50㎞以上で逃げるシカの成獣は簡単には捕まえられないでしょう。そこで、運よく見つかったシカなどの死体は、狩猟の手間が要らないので彼らにとっては御馳走なのです。

3.ツキノワグマの食べ物は点在

 問題はそうしたツキノワグマの好物が、どこに、どんな具合に存在するのかということです。そうした食べ物が、何頭もが群れを作って仲良く採食できるような広い面積に群生しているわけではありません。多くは点々と僅かずつ散在しているものばかりです。そんな散在している食べ物を探して食べるには、群れよりも単独で別々で探し回る方が互いに争わなくてすみます。シカでさえ、食草が大きな群落を為しているような草原では、数十頭から百頭以上の大きな群れを作りますが、食草の群落としての発達が悪く点在している場合には、数頭の小さな群れしか作れません。だから、ツキノワグマは、仲間同士の競争を避けるために単独で行動し、互いに出会わないように社会的な間隔をたっぷりとって離れ離れで暮らすように進化してきたのです。

4.ツキノワグマの行動圏

 互いに出会わないように避け合って、たっぷりと個体間の間隔を保つためには、日常の生活範囲である行動圏(ホームレンジ)は広い方が好いに決まっています。ツキノワグマの行動圏は、雌で数千ヘクタール、雄で数千から1万ヘクタール以上が普通です。シカの行動圏の面積が数十ヘクタールと狭いのと対照的です。シカは植物だったら殆どの種を食べることが出来るので行動圏が小さくてすむのです。ツキノワグマの食べ物は広い地域に僅かずつ点在しており、お腹を満たすためには広い地域を探し回らなくてはなりません。だから、ツキノワグマの行動圏はとても広いのです。

 ツキノワグマの行動圏は、ナワバリ(テリトリー)であるという人もいますが、本当にそうなのかどうか分かりません。何頭かの行動圏が重なっていることも稀ではありません。ナワバリは、行動圏でも、他の個体の侵入を許さない、防衛されている行動圏なのです。ですから、他の個体が自分のテリトリーの中に入ってくるのを許しません。テリトリーの占有者と侵入者との間で激しい戦いが起きます。時には、片方が死ぬこともあります。ナワバリを主張するためには、なにか目立つ目印や匂い付けが必要です。クマが木の幹に残した爪痕は、ナワバリの印しであって、他のクマに見せつけるマークに違いないと言う人もいますがはたして本当かどうかわかっていません。お互いに出会わないように避け合っているだけで、いろいろなクマが自由に動き回っている行動圏は、今のところ、ナワバリかどうかはっきりしないのです。

 こうして、ナワバリとはいえない、クマの行動圏にはいろいろなクマが出入りしている可能性があります。そうした場合でも、彼らは、互いに出あわないよう、近づきすぎないように、用心深く行動しているのです。繰り返しますが、このように彼らの行動圏は他のクマに対して防衛されている証拠がないので、ナワバリとはいえません。クマはナワバリ動物だと誤解している人が多いのですがそうではなさそうです。そうした行動圏は自分のものだと他の個体に主張するための吠え声や尿などを使ったマーキングはしないようなのです。木の幹に刻まれた爪痕は、ナワバリを示すマーキングであると解釈されてきましたが、誰がつけた爪痕かわからないのが普通ですから、ナワバリの証拠にはなりません。それでも、クマは仲間のクマを見かけたら互いに反発し合い、時には実力を行使して争うことが起きる可能性があります。残念ながら、私はそうした現場を見たことはありません。しかし、互いに傷つけあうのは賢明ではないので、彼らは聴覚、嗅覚を研ぎ澄まして、仲間のクマの存在をいち早く認知し、避け合うのでしょう。これは、間置き(スペーシングアウト)とも呼ばれます。だから、行動圏の中で彼らが互いに出会って争うのを見る機会は滅多にないのです。食べ物を探す時も、休む時も、昼寝をするときも、長い冬の穴籠りの時も、彼らはいつも一人ぼっちです。彼らは寂しくないのかどうか分かりませんが、のんびりしているように見えても、いつもピリピリ警戒しているのかもしれません。少なくともボヤっとしていることはなさそうです。

5.子育て中の母グマは他のクマと出会うのが嫌い

 子育て中の雌グマは、雄グマに出会うことを恐れています。雄と出会ったら子グマは殺され食べられてしまう可能性があるからです。雄グマは、他人の子供を大切にしようなどという気持ちはなく、邪魔者か獲物としか見ていないのです。学者の世界の解釈では、雄グマは自分の遺伝子を残そうとするきわめて自己中心的な性癖の持ち主だからだということなのです。利己的遺伝子論から説明されるというわけです。これはツキノワグマだけでなく、ヒグマもそうだし、ラッコや霊長類など、いろいろな種に広く認められていると聞きます。これらオスたちの残酷な行動は現代人の心情からすると納得がいかないことでしょう。ツガイで協力して大切に子供を育てる動物はいくらでもいるのに、これは変な社会行動の進化です。進化には変な道筋があるのかもしれません。とにかく、オオカミの家族群とは違うことは確かです。オオカミファンが大好きな「狼王ロボ」の世界とは大違いですね。野生動物界の現象を擬人化して人間的価値から解釈しようとするのは真実を見誤る危険が大きいので慎まなければいけなのですが。

 一方、母グマが、仲間のクマだろうが人間だろうが、攻撃的であるのは素直にうなずけます。母が子供を守ろうとするのは、種を保存する基本的な本能だからです。子連れの母グマに出会わないように細心の注意が必要です。熊鈴や携帯ラジオなどの鳴り物は、遠くから母グマなどのクマに危険な人間の存在を知らせるために欠かせない山行きの携行品です(せっかく持参したのに、腰につけるのを忘れたり、スイッチを入れ忘れたりしていたのでは無意味ですね)。しかし、運悪く近間で出会ったら、攻撃的な母グマを追い払う効果はなさそうです。古くから言われていた「寝たふり」は効果がないと言われています。それよりも、大声を上げて手足を振り回し、自分を大きく見せて、相手を脅かし、いよいよとなったら果敢にクマと戦うことを覚悟しないといけないようです。そのために、強烈な唐辛子成分であるカプサイシンを噴霧するクマスプレーが市販されています。これもザックの中にしまい込んでいたり、突進してくるクマにひるんで使えなかったりすることがあるようです。日頃の心構えが大切なのですね。

 ところが、困ったことには、最近は熊鈴や携帯ラジオの効果が疑われています。かえってクマに弱くて邪魔な人間がいることを知らせているのではないかと考えられているからなのです。そうかもしれません。とはいえ、やはり熊鈴や携帯ラジオは携行しなければならないというのは、何とも割り切れない気持ちです。今まで、他にクマの攻撃を避ける方法がなかったからではないでしょうか。無いよりはましでしょうから、携行をお勧めします。クマによっては効き目があるかもしれません。銃を持っていない普通の人が、万が一、クマに出会った時、クマを撃退する方法は、唐辛子成分が入った「クマスプレー」を携行し、クマに向かって噴射することくらいでしょうか。クマスプレーを腰につけて、西部劇のガンマンよろしく、咄嗟に速射できるように日頃から練習しておくことをお勧めします。

6.どうしてクマは人を襲うのか:背景には「競争排除則」

 いよいよ本題です。どうしてクマは人を襲うのか、一緒に考えてください。

 昨年も不幸なことに、秋田県の山奥で何人かの山菜採りがクマに襲われて命を落としました。今年ももう何人もの山菜採りが襲われて大けがをしています。秋田県だけでなく、こうした事件は中国地方まで各地で数多く起きていて、今はもう珍しくなくなりました。

 早朝、家近くの野良の田畑からの帰り路、追いかけてきたクマに背後から襲われた高齢婦人の気の毒としか言いようのない事件がありました。磯釣り中にふと気づいたらクマに背後から肩に前足をかけられていた釣り人もいます。川の中瀬でクマに襲われたという釣り人の事件もありました。こうした人たちは本当にお気の毒です。さぞ度肝を抜かれたことでしょう。

 三重県大台町では大杉谷登山道で下山中の三十代女性がクマに襲われ、両足三カ所をかまれたり引っかかれたりして負傷した。さらに河原でバーベキュー中に男女二人が襲われた(中日新聞20/08/19)。長野市の山あいの地域で2020年8月18日夕方、犬の散歩をしていた女性がクマに襲われて、顔などに軽いけがをしました(NHK 2020年8月19日)。

 これらの事件は、クマと突然出会ったわけではない。人間側に落ち度があったわけではありません。まさにクマの方が意図して、人間を襲ったとしか考えられません。どうしてクマはわざわざ人を見つけて襲いに来るのでしょうか。そうだとしたら、これもオオカミとは違っています。オオカミは臆病で人間を恐れて人前には姿を見せようとしないと言われてきました。実際、私たちもオオカミの有名な生息地にオオカミウオッチングに出かけるのですが、空振りが多いのです。相手は注意深く私たちを避けているようなのです。

 クマは山菜採りや釣り人をライバルと見ているのかもしれません。山菜取りの人たちの服装の色は、たいていはダークです。黒っぽいウインドブレーカーに地味なズボン。釣り人の服装も地味なのではありませんか。背中を屈めて藪の中を夢中になっている山菜採りの格好はツキノワグマに似ていないでしょうか。仲間の山菜採りが見てもクマと間違えないでしょうか。問題は、本物のツキノワグマが山菜採りを仲間のクマと見間違いはしないかということなのです。しかも、山菜採りが採っているのはクマの好物の貴重な山菜。クマにとっては気が気ではありません。クマには山菜採りがライバルに見えてしまったとしても不思議ではありません。

 山菜採りは、自動車などで仲間とともに採集場所の入口までは一緒にやって来ますが、いざ山菜を探すとなると、仲間と別れて離れ離れになり、自分だけの採集場所を独り占めしようと、単独行動をすることが普通です。このような行動もツキノワグマと似ていませんか。クマはますます競争相手と勘違いしないでしょうか。とすると、クマは、競争相手を追い払おうと、山菜採りを見つけ次第攻撃をしてくることが考えられるのです。生態学的に言えば、山菜採りとクマの間には『競争排除則』が働いていると言えないでしょうか。

 このように考えれば、ツキノワグマの攻撃行動とその動機について得心できるのではないでしょうか。ツキノワグマは聴覚も嗅覚も優れてはいるが、視力はさほどでもないと聞きます。梅雨時の栃木県日光の山中、カラマツの造林地を囲むシカ柵の金網が大きくへこんでいるのを見つけたことがあります。夜中、クマが網の存在に気が付かずに衝突したのでしょう。

 クマの管理に従事する専門家が、「クマは鈴の音が嫌いなのではなく、鈴を持つ人間を恐れるのだ。誰か一人でも山のクマにエサをやれば、そのクマはエサを求めて鈴の音に近づいてしまう」と言っているのを聞いたことがあります。クマは利口でたいへん学習能力が高いので、状況の変化を自分の都合の好いように飲み込んでしまうのでしょう。鈴や呼子笛、携帯ラジオなどは、初めはクマを追い払う効果があったのでしょうが、いつの間にかそれらの警報音はかえってライバルである山菜採りや餌をくれる人間の存在をクマに気付かせることになってしまっているのかもしれません。しかも、山菜採りはライバルであるけれども、本物のライバル、同族のクマと比べたら弱虫で危険な相手ではないとクマが学習してしまった可能性があります。これは山菜取りだけでなく、田畑で作業している農耕者、その行き帰りの野良人、登山者、河原のバーベキュー客、渓流や中瀬の釣り人にもあてはまるのではないでしょうか。ツキノワグマが、怖って警戒しているのは銃を持ったハンターだけなのかもしれません。

II ツキノワグマとの共存
クマの生息状況の変化
1.人馴れグマの増加:クマを甘やかすのは禁物!

 ツキノワグマが人を恐れなくなった理由として、多くの専門家によって指摘されているのは、以前のように、冬眠明けのクマを狩猟する春の熊狩りが行われなくなったということです。猟期以外の季節に人里に出てきたクマを捕獲した場合、致死的な扱いではなく、『学習捕獲』と称して、唐辛子スプレーを吹きかけるお仕置きをしてから人里離れた場所に運んで放獣するという非致死的に扱っています。『お仕置き放獣』とでも言いましょうか。これは本当にお仕置きになっているのかどうかわかりません。鼻や目を強烈に刺激するスプレー噴射は、クマにとって一瞬の出来事ですから、なんてことはありません。すぐに忘れてしまっていることも考えられます。お腹が空いたらそんなお仕置きのことなどケロッと頭から吹き飛んでいることも考えられます。私たちが勝手にそう思い込んでいるだけではないでしょうか。クマの保護が普及して人々のクマに対する態度がとても優しくなったのです。こうしたこともあって、ツキノワグマは人に怯えなくなったのでないかと考えられます。

 さらに、最近ではクマ猟師が激減し、見つかってもすぐに駆除されなくなったこともあって、人を恐れないツキノワグマは『新世代グマ』などと呼ばれて増加し続けているとみられています。クマ猟師の減少と甘やかしは、クマの愛護運動が社会的に浸透したためであろうと考えられます。これもクマの人馴れを進めている原因になっている可能性があります。クマは人を恐れなくなり、『お仕置き放獣』の狙いとはまるで反対の『甘やかし』になっているのではないでしょうか。

2.ドングリ給餌は役に立たない

 少なからぬクマ愛好家や行政は、彼らは山中の食べ物が不足しているので里に出てくるのだと考え、大量に拾い集めたドングリを山中に運んでクマに食べさせようとします。残念ながら、ドングリ給餌は見当違いなのです。折角運んだドングリをクマが食べている可能性は殆どないからです。

 昔、母樹から落下したミズナラの堅果の動向を調べていた研究者がいました。ドングリに釣り糸を接着剤で貼り付け、100本を束にして、それを何十束も作って、森の中のあちこちに立てた小杭に縛り付けて、残されたドングリを数え続けました。その結果、大部分のドングリ、約99%はアカネズミなどの齧歯類に持ち去られていたのです。齧歯類の仕業であることは、噛み切られた釣り糸が小杭に結ばれたままで残っているのでそれとわかるのです。もちろん、その森にはツキノワグマも数多くのシカも生息していたのですが、糸のかみ切られた様子からみて、彼らの仕業ではなさそうだったのです。ということで、地上に落下したドングリは、クマの口に入ることはなさそうだと判断されます。通常、クマは樹上で枝を手繰り寄せ、地上に落下する前のドングリを食べるのです。普通は地上に落下したドングリを食べることはなさそうです。

 というわけで、折角のドングリは、ツキノワグマが食べる前にノネズミたちが大部分食べてしまっている可能性の方が大きいのです。それに、僅かばかりのドングリ給餌は、クマには意味があるとは思えません。むしろ、こうした活動をしている市民運動は、行政や研究者などの専門家、狩猟者、自然保護団体、メディア、文化人など広範囲にわたる社会的な雰囲気の形成に影響しているように考えられます。このような雰囲気はツキノワグマに対する狩猟圧の低下にもつながっているのです。狩猟圧の低下はツキノワグマの増加に関係していることでしょう。例えば、東北のクマ猟師の数は最盛期の4分の一以下にまで減っていると聞きます。それだけではありません。高齢化が進んで、猟師の主力は70歳近いかそれ以上になっているのです。高齢化は体力に影響します。体力の低下は猟師の捕獲能力を落としていることでしょう。これではツキノワグマが増えるのは当たり前です。かつては強い狩猟圧に晒されて、人里から奥山に追い上げられていたツキノワグマは、増えるにつれて再び人里に向かって住処を拡大してきていると考えられるからです。ツキノワグマにとっては往時の生息域の回復といってよいでしょう。彼らは生息域を回復しているのです。

 神奈川県の丹沢山地にツキノワグマが戻って数十年が経ちます。この南西に隣接する山地、『金太郎さん』の童謡でお馴染みの箱根の足柄山にも最近、ツキノワグマが戻っているようです。箱根山地の南に伊豆半島が位置します。昭和初期にツキノワグマが絶滅した伊豆半島の南端に戻るのも時間の問題かもしれません。これはツキノワグマにも自然生態系にも悪いことではありません。地元の住民は怖がったり迷惑がったりするかもしれませんが。この原稿がまだ印刷準備中だというのに、2020年9月12日午後5時45分頃、伊豆半島の付け根に当たる、熱海市伊豆山の山中を散歩していた観光客の夫婦がクマのような動物1頭を目撃したと、地元の静岡新聞(9月13日朝刊)に掲載されていました。予想通りの展開です。

 山地の森林地帯からはみ出してきたツキノワグマは、とうとう、農耕地だけでなく、集落や市街地を徘徊するようになりました。今年2020年5月中旬、山地から20㎞も離れた富山市の平野部の農業地帯で日中、相次いで二人の女性がクマに襲われる事件がありました。ツキノワグマが隠れる森もない開けた農耕地帯に、どのような経路をたどって、どうしてクマが現れたのでしょうか、本当に驚きです。昨年2019年、糸魚川市の市街地のお寺の前で、早朝、自転車に乗った新聞配達員が襲撃されたという事件がありました。糸魚川市の市街地は山林に接していますから、クマが出てきても不思議ではありませんが、この市街地での襲撃は衝撃的な事件です。秋田市の郊外住宅地では夕方、自転車に乗って務め先から帰宅した住民が自宅の玄関先でクマに襲われました。この新興住宅地は山林に隣接し、ツキノワグマが出てこない方が不思議なような環境です。でもこの襲撃には驚かされます。

 ツキノワグマは狩猟本能を持っているので、目の前を走る対象は追いかけて攻撃しようとするのでしょう。しかもツキノワグマは、人間を彼らのライバルだと認識している可能性が大きいのですから。ツキノワグマに出会ったら走って逃げるのは禁物といわれるのはこのためです。踏ん張ってクマの目を見て睨みつけ(クマと目を合わしてはいけないとも言われていますが)、大声を上げながら手足を大きく振り回して威嚇するのが良いと言われています。こんな時、クマスプレーを使えればさらに効果的であるのはもちろんです。ライバルと認識している相手には、こちらが優位にあることを示すことが欠かせません。

 最近、山道を走り回るトレッキングが流行していますが、同様な事情から、これも危険です。山中でのジョギングやマラソンは、追いかけてくれとクマを誘っているようなものですから。山行きに愛犬を同伴したがる人も少なくありません。犬がツキノワグマに吠え掛かり、クマの攻撃行動を誘発するので危険です。犬同伴の山歩きは、犬とともに病原菌を自然の中に持ち込み、野生動物に感染症を移す可能性があるので、山行きのマナーとしても慎むべきでしょう。イエローストーン国立公園ではビジターが連れてきたイヌからイヌジステンパーと疥癬がオオカミやコヨーテに感染し、多くの個体が死亡した事件がありました。愛犬家の当人たちは自分の行為の間違いに気が付かずに、無邪気に当然の個人の権利だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。登山団体は、山行きを推奨し、登山道や山小屋などを整備するだけでなく、野生動物や自然との接し方についてのマナーも、ハイカーや登山者に普及して頂きたいものです。山行きは、自然や野生生物に敬意を払い、謙虚に、静かに楽しんでいただきたいと思います。ツキノワグマに対しても細心の注意を払うのはもちろんです。とはいえ、マナーの良い、多くのハイカーや登山者に問題があるわけではないにも関わらず、クマに襲われる事故も稀ではありません。人間の怖さを忘れさせないようにクマの教育は欠かせませんが、人間に対する教育も欠かせません。

 米国のイエローストーン国立公園にはグリズリーとアメリカクロクマの二種類のクマが生息し、最近では増加傾向にあるので、ビジターに頻繁に目撃されています。クマはその愛嬌のある丸っこい体形のせいか、昔からビジターに人気で、人とクマとの距離はどうしても接近し過ぎてしまいます。公園当局の指導の内容は、「クマは攻撃的なので100ヤード(約90メートル)以上の距離を空けること」というものです。一方、日本人が怖がっているオオカミに関しては「オオカミが怯えるから100ヤード以内に近寄らないように」というものです。一般の日本人の感覚とは真逆ですね。イエローストーン公園はこの内容を小さなカード(75㎜×115㎜)にしてビジターに配布しています(図〇写真掲載)。1990年代後半に同公園の土産物として購入したマグネット(50㎜×75㎜)のマンガは「クマに追いかけられている人」でした。「イエローストーのファーストフード」と人々を啓発する文言が記されています。「ファーストフード」とは人間のことです。それでもクマは人気があるのです(図〇写真)。

 クマとの遭遇事故は、今や、ツキノワグマが生息している地域ならどこでも起きることでしょう。この背景には、クマの増加と人馴れがあることは間違いないでしょう。今後どのようにクマと共存したらよいのか難問です。

3.ツキノワグマ出没に対する里山の緩衝機能は本当か? 

 ツキノワグマの人里への頻繁な出没の理由として、里山が手入れ不足で緩衝地帯としての働きが消失したことが指摘されてもいます。これまで、集落や農耕地に隣接した里山は、シカやイノシシ、サル、クマなどの野生動物の接近を阻む、天然の障壁としての働きがあると信じられてきました。里山を放置しておくと藪が茂って、クマだけでなく、シカやイノシシの隠れ場所になるので、普段から藪を刈り取ってきれいにしておくべきだなどといわれています。その結果、野生動物は出て来なくなったなどという報道を見ます。本当でしょうか。急に様子が変わったので、警戒して出没を一時的に控えていることも考えられます。あるいは、ちょうど別の場所へ移動するタイミングにあたっていたのかもしれません。ツキノワグマの場合、行動圏の中には何カ所かのお気に入りの場所があって、何日か置きに移り歩く傾向があります。これはシカにもイノシシにもあてはまります。オオカミも例外ではありません。人間側の手前勝手な解釈は禁物です。

 ツキノワグマの行動圏は広大です。それに1日で十キロメートル以上も移動するクマの能力からみたら、せいぜい数キロメートルといった僅かな幅しかない里山が緩衝地帯としての効果を持つとは信じられません。クマが人の気配を感じて里山に近づかないなどといったことは考えられません。秋になるときれいに下生えを刈り取り、きれいに管理された栗や柿の畑にクマはしっかりと現れます。里山クマ緩衝帯説は里山論者の願望(または思い込み)に過ぎないように思われます。

 ツキノワグマの出没の真相は、里山一帯で昔のように銃猟が行われなくなり、警戒すべき自分よりも強くて嫌な人間の姿が消えたからではないかと思われます。里山の機能を維持するためには、クマよりも(少なくともクマがそう信じる)強い人間が必要なのです。

 反対に、里山にクマが食べる草木を茂らせれば、クマは里山にとどまって里に出てこないだろうと考える人も少なくありませんが、これも見当違いといわざるを得ません。里山に居ついたクマは里山を拠点にしてすぐに里に出てくるようになるでしょう。今後ますます山村から人が消え、耕作地が原野に戻っていくでしょうから、クマの領域は拡大し続けること間違いなしです。クマ猟師が姿を消した里山は、クマの里への出現を止める効果はないと考えるべきなのです。

4.領域区分は

 本州各地でツキノワグマの領域が人の居住地にまで拡大し、重なってしまっているのが現実です。反対に、市街地の拡大で人の居住地が本来のクマの領域にまで拡大している地域も珍しくありません。こうした状況から、地域によっては人とクマの領域の見直しをしなければという声が上がっているのは無理からぬことだと思われます。既に、自然公園や野生生物はじめ自然の保護を目的にしていろいろな保護区が設定されています。自然公園、自然環境保全地域、文化財保護地域、生物圏保存地域、世界遺産地域、鳥獣保護区などいろいろありますが、これらの領域区分の趣旨は人間の干渉を排除し、自然を保護することが中心的な狙いです。ところが、ここで取り上げるクマ/人領域区分の狙いは、従来の制度設計思想とは正反対で、クマの攻撃から人を保護することが主眼になります。

 しかし、それでクマとの遭遇事故が解決するとは考えられません。というのは、今でも領域区分は地域住民によって慣行的に行われていて、人間領域に侵入したクマは、その迷惑度に応じて、追い廻され、駆除されています。新たに領域を区分したとしても、結局、現行の慣行的な区分を再確認するだけのことにならないでしょうか。この領域区分の運用が難しいのは、一方の当事者であるクマと意志の疎通ができないので、もっぱら人の都合を優先させることになってしまうことでしょう。そこで、クマにも生存権があると認識するならば、クマの立場に立って申し立てをする弁護人の存在が不可欠だということにはならないでしょうか。既に議論されている『自然の権利』の一環を為すものと考えられます。これは議論自体が難解なのですが、先ずは領域区分に関係すると考えられる参考事例を見てみましょう。

 昔の話で恐縮ですが、1980年頃、研究室の専攻生と一緒に栃木県表日光でツキノワグマの生態調査をしていた時のことです。ラジオテレメトリを使ったこの調査は、当時としては画期的なものだったのですが、手間暇かけたわりにはあまり世間では注目されませんでした。

 無線発信機付きの首輪を装着した個体の夏のお気に入りの場所は、何と日光市街のはずれにある養鱒場脇のスギ林だったのです。夏の強い日差しを遮ってくれるスギ林は快適な休み場だったのでしょう。それに養鱒場からの廃魚はクマのご馳走だったはずです。町の住民はというと、住宅地のすぐ隣にクマが住み着いていることなど全然気が付いていなかったようです。気が付いていたら大騒動になっていたはずです。クマと住民とのトラブルが起きなかったのは幸いなことでした。クマも食べ物に困っていなかったのかもしれません。この場合、市街地を人間領域、山林をクマ領域とすると、両者の間には緩衝地帯を置けるような土地はありませんでした。これは、人とクマが接近していながら、これといったトラブルが無いままに自然に領域区分が出来ている目出度いケースです。

 クマによる人身事故発生地点を空中写真「グーグルアース」で検索してみると、普通の人里としか思えないような場所が少なくないのに驚かされます。日光の事例は特殊なことではないということがわかります。むしろ人里にはクマは出没しないものという通念は単なる思い込みに過ぎないのではないかと考えてしまいます。現実はクマと人間との生活領域は重なっていることは珍しくないのですが、私たちが気づいていないだけのことなのです。クマは増えているし、人間の生活範囲は年々縮小傾向にあるので、この領域の重複は今後ますます大きくなることでしょう。そして、両者の重複地帯では遭遇事件も多発することでしょう。

 こうした情勢を睨んで、私たちがツキノワグマと共生を目指すならばどんなことを考えたらよいのでしょうか。既に述べたように里山緩衝地帯論は幻想にすぎません。としても、体重100㎏以上にもなり、しかも人を襲撃するクマと同じ場所で生活するなど到底考えられません。とはいうものの、現実には本州の多くの場所で人とクマは同じ場所で共存しているのです。やはり、人間とクマはすみ場所を違える「線引き」より方法はないのでしょう。両者は同じ場所と同じ食べ物を選択する「同位種」の関係にあるので、どうしても競争することになってしまうのです。山菜採りとの遭遇事故はその典型的事例です。釣り人の場合もそうなのかもしれません。自転車で眼前を駆け抜ける配達人も、山道を走り回る「ラントレ」もです。とにかく両者の生息領域を分ける線引きをしたとしても、残念ながら、それをクマたちに認識してもらい、守ってもらうことは、出来ない相談です。クマがそのような高度な学習能力を期待できないので、人間側の判断で、クマの事情も考慮しながら、一方的に線引き(ゾーニング)をすることになります。規制の多くは人間が対象です。例えば、登山道などでのラントレや山菜採りなどは規制される可能性がありますね。新聞配達は、遠くからでも聞こえる、昔ながらのラッパ音を流しながら行うとか、野良作業や行きかえりの高齢者も用心して、爆裂音が鳴り響くロケット花火を発射するとか。

 農耕地、果樹園、集落、集落・商業地域などの市街地はもちろん人間領域です。この領域では、クマは排除されます。その方法は、罠や麻酔銃によるクマを殺さない非致死的方法と、銃を使って殺してしまう致死的方法の二つになります。非致死的方法で生け捕りされたクマは、現在、奥山などクマの生息領域とみられる地域に運ばれて放獣されることが多いのですが、今後は手間暇を要する奥山封獣の必要はありません。クマは減少傾向にあるわけではないからです。むしろ、生け捕りされた迷惑グマは、クマが極度に減少し、絶滅の危険性がある四国のような地域、あるいは既に絶滅していなくなった九州のような地域に運んで、個体群の復活のために放獣したらよいと考えられます。

5.ツキノワグマの個体数を調整する自然生態系に備わった機能とは?

 クマ愛護派の一部の人たちによるオオカミ復活非難の声を聞いたことがあります。その理由は二つ。

 第一は、再導入オオカミは外来種であるから、日本の生態系を破壊するということ。もちろん、これは大間違いです。再導入オオカミは、ニホンオオカミと同種なのですから再導入されたもともとの棲み処の生態系を破壊するわけがありません。それどころか、再導入オオカミは、現在、強力な捕食者を欠いて、破れまくっている食物連鎖網を修復し、自然生態系の保全に大きく貢献することははっきりしています。オオカミは、シカやイノシシの数を減らすので、彼らに横取りされているクマの食物を取り戻してくれるでしょう。食物が戻ってくる分、奥山のクマの収容頭数(生息可能頭数)は大きくなるでしょう。オオカミの復活はクマにとっては良いことなのです。

 第二は、オオカミがツキノワグマを捕食するからというもの。確かに、オオカミは子熊を捕食します。イエローストーン国立公園では、グリズリーやアメリカクロクマの捕食例が記録されていますが、極めて稀な例です。オオカミはツキノワグマの死亡要因として目立った働きをすることは考えられません。オオカミの捕食にツキノワグマの個体数調整を期待することは出来ないでしょう。オオカミがツキノワグマを捕食して減らすことはなさそうです。

 ツキノワグマの増減要因は、食物量、病気、仲間同士の競争、事故、狩猟、気象など様々な要因群の複合的な作用であろうと思われます。オオカミは、むしろシカやイノシシなどツキノワグマの生態的な競合種を減らすので、ツキノワグマにとっては有利な働きをするのではないかと考えられます。

6.AIクマ注意喚起システムへの期待

 会津大学の斎藤寛上級准教授らのチームが開発中の人工知能(AI)を活用したクマ注意喚起システムは、ツキノワグマと共存する上で期待できそうな発明です(福島民友新聞2020/8/20)。中山間地域では、目撃者の通報から警察などの到着まで数十分以上かかることもあり、近隣住民の逃げ遅れを防ごうと18年から研究を進めてきたものということです。

 この装置は、小型カメラとセンサーの一体型で、カメラは草むらなどに設置され、動物を撮影するとAIが学習した数万枚の画像と照らし合わせてクマかどうかを判断。クマと判断したらサイレンを鳴らして地域住民に知らせ、同時に、同大に設置したサーバーを通じ、インターネットの専用ページやメールなどで発見場所や時間などを情報発信するという仕組みなのです。この情報をスマホでキャッチできれば、住民だけでなくハイカーや釣り人もツキノワグマとの不時の遭遇を避けることが可能になります。ゆとりを持ってクマスプレーの発射準備もできるようになります。市街地に侵入しそうなクマは事前に、イヌなどで追い払ったり、捕獲することも可能になります。早く完成し、全国的な普及を期待します。

 しかし、この装置を中山間地の人の出入りのある場所には設置するとしても、普段は人の気配のない全国の山々への設置は到底できない相談です。人里離れた奥山の場合、人が集まる特殊な場所に限られるでしょう。

7.はみ出しグマの管理と再導入への活用

 クマとの不幸な遭遇をうまく避けることが出来たとしても、これで一件落着というわけではありません。このままでは、ツキノワグマは頭数が減るわけではないし、それどころか、さらに増え続けることでしょう。増えれば増えた分、遭遇場所も遭遇頻度も増加します。山林から離れた平野部の真ん中や市街地に出現するクマも増えることでしょう。これらのクマの出没は後背山地でクマが増加した結果であるとしたら、捕獲個体を山に戻したとしても再び人里にはみ出してくる可能性があります。別の個体が押し出されてくるかもしれません。これではいたちごっこになってしまいます。

 こうした個体は致死処分の考えなくてはならないでしょう。これは動物愛護の観点から議論は避けられないと考えられます。もう一つは、現在、漸減傾向が止まらず、絶滅が心配されている四国に移送して放獣することが考えられます。また、戦中に絶滅したと推定される九州のツキノワグマ個体群の復活用に移送することも考えられます。四国では、現在、剣、三嶺山地の山頂稜線地帯に約30頭が残存するにすぎません。この地域はシカの高密度地帯で植生が荒廃し、クマの食べ物が乏しくなっていると考えられ、これがクマの増加を妨げていることが考えられます。クマの環境改善にとってシカの頭数を減らすことが欠かせないのですが、狩猟者の不足と高齢化からシカの駆除は進んでいません。オオカミの再導入が求められます。

 しかし、シカの生息密度を下げるのに成功したとしても、これだけでクマが増加するとは限りません。既に、この地域のツキノワグマ個体群は、最小存続可能個体数(MVP:Minimum Viable Population:個体群が長期間存続するために必要な最低限の個体数)を下回り、集団遺伝学的な劣化が現れ始めている可能性もあるからです。近親交配(インブリーディング)による不妊化や疾患の発症です。この対策としては、本州の個体群から再導入して活性化を図ることがもっとも有力な方法です。雑種強勢(ヘテロシス)(雑種第一代が両親のいずれよりも大きさや病気・環境に対する抵抗性あるいは生産力などの点ですぐれた形質を示す現象)への期待です。果たして良い結果を生むかどうかは試みなければわかりません。戦中から戦後まもなくにかけてツキノワグマが絶滅したとされる九州にも同様に再導入による復活が期待されます。このケースも再導入個体が僅かな個体数では意味がありません。何年にもわたって、様子を見ながら、多くの個体を再導入し続けることが必要でしょう。ツキノワグマに関してMVPを満たす個体数は現段階では不明ですが、本州におけるはみ出し個体の捕獲は将来にわたり絶えることはないと考えられますので、補充は可能と考えられます。

 しかし、四国と九州はスギ、ヒノキの人工林率がきわめて高い地域ですから、クマの生息環境に適した林種林相に改良することが欠かせません。また、クマと食物を競合するシカの生息密度管理も欠かせません。

8.合意形成に向けての普及教育

 ツキノワグマの保全復活に関する大切な課題は合意形成です。ツキノワグマの再導入の実現は、地域住民に受け入れてもらうことが条件になるでしょう。この難問は、オオカミの場合と同様、地域住民のクマを怖がる気持ちの緩和と解消です。地域住民が恐れていては、行政は動けません。一方、種の保全も行政の責務です。当然ながら、行政は、クマ個体群の保全と復活を図りながら、住民の不安を取り除くための正しい科学的情報に基づいた啓発教育活動を進めることが必要です。行政だけでなく、自然保護団体も行政同様にクマ個体群の再導入を含む保全復活に取り組むことが大切です。また、全国的に活動を展開しているクマ保護団体にも、大きく期待したいものです。自然保護運動は、「生物多様性保全」「外来種排除」「遺伝子保護」といったスローガンに凝り固まり、柔軟で現実に即した発想に欠ける傾向が強いように感じられます。再導入による種の復活保全は国際的な野生動物保護活動の潮流になっています。我が国の自然保護運動も遅れをとらないように、新しい知識情報取得に向けて日々研鑚に取り組むことを期待します。野生生物及び自然保護運動の理解と賛同の有無は行政の政策と取り組みに大きく影響します。

 地域住民のクマとの共存に関する理解を得る上で、ツキノワグマの人身害対策はとりわけ重要です。AI技術を使うなどクマの出現接近をいち早く知らせる装置の開発普及、クマスプレーの性能向上・使い勝手の改良、クマ追い払い犬の普及、クマを含む野生動物コントロール専門員の制度化を積極的に進めるとともに、いろいろな保険制度を主体にした傷病事故補償制度の強化整備、

傷病治療にともなう休業期間中の所得補償制度の強化新設が求められます。これらをはじめとした住民の安全福祉のための工夫に柔軟に取り組んでいくことが合意形成の条件になるのは当然です。(完)

Follow me!