「ウルフはうる」
会員大杉聖佳さん(鳥取市三萩野在住)から
1.【人間の生命の源は、何ですか・・・?】
人間の生命の源は、何ですか・・・?
今までどうやって生きてきたかを。
そしてこの地球に対して何をしてきた事を、よく思い出してと、
私には聞こえる・・・地球がそう言っている気がします。
「私の生命はこの地球のこれからのために」
これは人間のためだけの明日だけでなく、人間を含む
この地球のすべての生命のためにということだと思います。
この地球への、この地球を守るための心からの償いが、
この地球のこれからを左右する・・・と、私は思っています。
動物たちの事を「たかが畜生」と思う人間がいますが
食料となる生物がいなければ人間は生きてはいけないでしょう。
今は「ペット」、「コンパニオンアニマル」などと呼ばれる
動物がいなければ生きていくのに苦労する人間もいます。
地球は人間に非がないことはわかっていると思います。
でも人間の行動は地球の予想を大きく超えてしまいました。
人間は今「自分が生きるため」それ以外の目的でも
動物たちの命を奪っています。
無駄に「無意味な死」を増やし続けています。
これは、もはやただの虐殺です。
今の人間の言う「環境問題」という言葉。
それが意味しているのは、ほとんどの場合、人間の生活環境であり、
動物たちの生活環境、また自然環境ではありません。
動物たちが生きていくことが出来ない所に
人間が生きていく事はできないでしょう。
仮にそれができても、そのような事を続けていく事は難しいでしょう。
人間は自分の道を阻むものは生命も物扱いにしました。
今の動物たちの攻撃や異常気象は
人間が生命というものの、その扱いを間違えてしまった結果だと
思います。
2.【肉食動物は、狩りをします。狙われた草食動物は逃げます】
肉食動物は、狩りをします。狙われた草食動物は逃げます。
そんな事は当たり前という人はいるでしょう。
では、それはなぜか?などと考えた事はありますか?
それは「生きるため」「自分の血を途絶えさせないため」。
今の人間は「共生」という言葉の意味を誤解しています。
「共生」とは仲良く生きる事ではありません。
異質なものたちが同じ場所にいようとすれば必ず対立が生まれます。
「考える」という事ができる人間なら、なおさらでしょう。
動物たちは様々な種がいます。
支えあい、認め合い
生きています。
人間のように自らの意思を相手に示すこと以外でも
殺されようと思って生きているのではないにしても。
相手に命をささげることでそれを支え、自分が生きる事によって
獲物として存在することで相手が生きることを認めています。
花などの植物は虫や鳥、あるいは風の力を借りて
自分の生命を次につなげようとします。
木の中には毒で他の木を腐らせても自分が生き残ろうとするものもあります。
なのに人間はいったい何をしているのでしょう。
人間は世界を分断しこの地球を支配し始めました。
ある者は己の力に溺れて腐敗し、ある者たちは弱いことを恐れて
力と強さを求めて争い、殺りくを始め、涙を忘れ、森や海、そして動物たちをも
巻き添えにしました。自分たち人間以外の生命の存在を忘れ
飼い主としての、そして人間としての務めすら忘れてしまいました。
またある者たちは立ち止まっていく道を見直し始め、
もうどんな生命も戦争にはくれてやらぬと、数は少ないけれど
自分たちの生命をかけても人間より弱い生命を守るために
いろいろな手を打つために
生きていこうとしています。
3.【地球もひとつの生命です】
地球もひとつの生命です。
この地球の死は、そこに生きる生命すべての死を意味します。
人間たちはいつの間にか涙を忘れてしまったのでしょう?
自分の親族が死んでもそれが流れ落ちる音はどこからも聞こえてきません。
人間は皆泣きながら生まれるのに・・・。
人間は気付いている、いや知っているはずです。
自分が生きるため手をかけようとしている相手がこの地球という生命であることを。
人間は自然を破壊しなければ生きていけないという事を、
その罪深さも。
「動物を殺した事なんかない」と思っていませんか?
「獣医師の世話になった事などない」と思いませんか?それはカン違いです。
「動物を殺す事すべてが悪だとは思わない、でも
無意味な死を増やす事は絶対に認めない」当然です。
空、海、森・・・人間に住処を奪われた動物たちは、
生きるために、自分の血を次につなぐために自らの命を賭して
人間の街に住みつき、人間に危害を加えるようになり、
人間は自分たちだけは何の苦しみも引き受けずに済むよう、また自然を支配しようと
あらゆる手を使ってきました、自然の力に打ち勝とうとしたのです。
結果、地球の死という危機に瀕することとなってしまいました。
しかし、動物たちは訴えています。
人間が憎くて、危害を加えているのではないと。
自分も生き残らなければならないからだと。
生きるために、殺さなければならない、殺されてはならないと。
そして自分の血を次につなげなくてはならない。
人間が自然に勝った時、それは人間の存在が終わる時です。
よく思い出してください。人間が今までどうやって生きてきたかを。
もう気付いている、いや知っているのでしょう?
人間の生命の源は、お金などでは
決してないことを・・・。
4.【今の人間は「自分さえ無事でいられるなら」何だってするでしょう】
今の人間は「自分さえ無事でいられるなら」何だってするでしょう。
人間の方にさえシワ寄せが来なければ
自分さえよければと思っている人間の数の、なんと多いことでしょう。
そのためなら自分以外のなんでも犠牲にします。
しかも自分がどれほど大切にしているものも自分の命が危うくなると
それすらそっちのけにする身勝手さ。
何をどれほど誇っても人間は人間以上にはなれないとは
人間以上の存在はないとでも言いたいのでしょうか。
人間にとって悪い事が起こらなければ
人間以外の生命はどうなろうと、人間には関係ないと、
「今が良ければそれでいい」という人間の思考回路のもと、これまでに
いったいどれだけ多くの生物たちがこの地球から姿を消してしまったのか。
誰だって自分にとって不都合な真実は知りたくないでしょう。
「犬は人を襲い、オオカミは人を避ける」
これが真実です。
いい加減やめませんか?オオカミから、逃げる事を。
人間が逃げなくても、オオカミの方が人間と物理的に
距離をとってくれるんですから。
人間は、自分が生きるためにも自然を知らなくてはなりません。
そしてそれを守るのも人間の役割であると思います。
今この国、日本にはオオカミはいません。
他の国から無理に連れてこられる動物は可哀相だという人がいます。
でも現在日本の動物園にいるオオカミ等野生動物を
見て喜ぶ人間は果たしてそんなことを考えたことがあるでしょうか?
自然が死んでしまえば、人間も死んでしまいます。
犬や猫という「ペット」と呼ばれる動物たちが、
人間の助けなしでは3日足らずで死んでしまうように、
それこそその昔、寒さでシカが大量に死んだ事によって
オオカミが死んでしまったように。
5.【人に飼われるということ】
・・・もっとも、人間が一度現れ、それが消えてしまった後
シカのように再びこの地球上に姿を現すことができるかどうかは
わかりませんが。
オオカミ再導入の道は険しい。何を言われても、
どんな目にあっても、死ぬまであがく、
そのために私はいるのです。
消えゆく運命にあってなお、それに逆い自分が生きるために、
生き続けるためにあがく、それが生きている者の
生命力というもの。
そこに動物たちに人間と同じように「死にたくない」という気持ち、
死を恐れる心があるかどうかは難しいところですが、
私は少なくとも「生きなければならない」という
意思はあると思っています。
人間に飼われる事で野生動物たちは自然な姿で生きる事が難しくなってしまいました。
ある者は動物園や水族館へ
ある者はサーカスへ
ある者は学校へ・・・と、捕えられてしまいました。
また、群れを成して暮らしていた野生動物の中には一匹だけで
引き取られ、人間の気まぐれな扱いのせいで
さびしい思いをし、精神的な事が原因で衰弱死するものもいます。
野生動物を飼うという事は、人間の勝手な都合で人間の手で
その野生動物の自然な姿を無理矢理ねじ曲げているという事、
人間の手によって捕らえられた野生動物の不幸を癒し、
少しでも幸せにしてやる義務がある、なのに
お金さえあれば人間はほとんどの事は何でもできるようになり、以前にも増して
自分たちの、動物たちの命を奪ったり、危険に晒したりしています。
「共同責任は無責任」とは、よく言ったものですね。
権力お金の力にあっさり敗れ、守るべきものを守れなかった自分の弱さを
棚上げにし、自分がした失敗の責任をオオカミになすりつけるとは。
6.【人間はどこまで残酷になれるのでしょう】
人間はどこまで残酷になれるのでしょう。
そんな事ができる力があるなら、どうしてそれを
自分が、動物が、自然が生き続けるために使わないのかと思ってしまいます。
この地球を守るために・・・。
金銭は諸悪の根源であると考える人間がいる一方で
世の中は金銭が全てであると考える人間もいます。
いつの間にお金は全ての幸福の源であるなどという事になってしまったのか、
人間にとってはそれで良くても、果たして
他の、人間以外の生物たちは?と、動物としての人間にとっては?と。
でもこんな事を言えば、死ぬのが怖くないなら自分が助かるために
動物や人を殺したり騙したりして生きていようとは思わないという
声が聞こえてきそうです。
今の動物たちの不幸の元凶はほぼ100%人間なのに・・・。
今はオオカミが日本にいないためシカやイノシシが増え過ぎ
困りものになっているという話はどこに行っても
聞こえる話です。でも今の地球にとっての困りものは
おそらく人間でしょう。
人間の明日のために使うことになるお金の金額と
自然、動物を含めた全てを守るために使うことになるそれとでは、
どちらが高くつくのかという議論も今日もどこかの
国で行われているのでしょうか?
そんな事にこだわっている場合ではないと、
いつになったら理解してくれるのでしょうか。
私は自然が好きです。
暗号などのように規則正しく何らかのルールが
あるわけではなく、人間のように不自由な自由に
縛られる事なく、皆が本当にありのままに
自由に生きているからです。
私はこれからも、自然を、オオカミを助け、その力になりたい。
7.【動物のために、自然のために、死ねますか?】
私は自然が大好きです。
一番好きな色は緑色「自然がすきだから」です。
自然がなくなれば人間は生きていくことはできなくなるでしょう。
しかし自然を破壊しなければ人間は生きていけない。それを突きつめた先にある
この深刻な矛盾に私たちはどう向き合うのか。
この問いにこたえはあるのでしょうか。
「オオカミでなく柴犬を放してはどうか」という声が聞こえました。
いかにしてオオカミ再導入を回避しようかという
そんな動機は丸見えですが、この言葉を発した人間も
それを隠すつもりはないようだと、私は受け取り、思いました。
柴犬がWOLFLIKEという遺伝子を持っていて
オオカミに近い種類の犬だからという事でしょう。
このようなことばかり言って、人間はいつまで現実から
逃げ続けるつもりなのでしょう。
地球はもう怒りを通り越し、人間の愚かさを嘆いています。
私の心もまた、怒りと悲しみに満ちています。
あなたは動物のために、自然のために、死ねますか?」と。
「死など怖いものか、人間を追い払うためなら、生命などいらぬ」というもののけ姫のように。
こんな悲しい話はお伽話でありますようになどと
イヤでも祈りたくなってしまいます。
私のこの話を、真剣に受け止めてくれる人にも、バカにする人にも
私は何もしてあげられませんが、
せめて悪夢(しんじつ)に食い殺されることがないよう、祈っています。
この現実から人間が逃げ続ける限り、何度でも同じ事が起こります。
豪雨、山林火災、地震・・・
これらに対して人間は役に立たない即席の、その場しのぎ、
気休めにしかならない対策ばかり発案し、失敗し、
そのためにまたおなじ事をして、そしてまた・・・
ということをくり返し、今もそれを続けています。
8.【人間て、学習能力ないんですね】
人間て、学習能力ないんですね。
こんなイタチごっこを、いまの人間は永遠に続けるつもりなのでしょうか。
全く、愚かな事をしたものですね。
この事態となってしまった事を、人間は誰のせいにすることもできません。
地球を保護したいと思うことが「エゴ」だというのなら、地球を破壊する
私利私欲の塊となった今の人間は、「傲慢にして口だけ」という
『偽りノ「エ」』を声高に叫んでいるように思えるのは私だけなのでしょうか・
かなしいです。本当に、哀しすぎます。
人間は今この地球がこんなになってしまった責任を誰になすりつけようかと
今もその相手を探し続けています。
自分のせいだと認めたくないのでしょう。このような事態を招いておいて
なおこの現実を見ようとしない「人間」にこそ、
その責任はあるはずです。
こんなイタチごっこをする理由はといえば「諦めないことは大切だから」
などと続くのです。思い出してください。
人間は自然の一部です。
「私の生命は、この地球のこれからのために」
過去を振り返っても時間が後戻りすることはありません。でも
立ち止まって行く道を選ぶことはできます。
自然に「ごめんなさい」と言っても中に空洞ができてしまった木の空洞が
ふさがることはありません。今考えるべきは
「日本にオオカミを放して大丈夫か」ではなく
「この地球のためにそこに生きるすべての生命を救うために何はできるか」
だと思います。日本の森にオオカミを放すことでたとえ
この地球の状態を改善できなくても
せめてこれ以上ひどいことにならないように。
柴犬はオオカミに近く「忠犬」だからと野に放ち、それが人間の管理の
怠慢によって野生化し人間に危害を及ぼせばたちまちこれまで
絶滅危惧種だった柴犬は本当に人間に滅ぼされることになるでしょう。
9.【私たちは、道を見つけ、オオカミと共に歩いています】
私たちは、道を見つけ、オオカミと共に歩いています。
私はこれからも、オオカミを受け入れてくれる
日本人が増えることを願っています。
動物園の外にいる、野生のオオカミを。
これまで人間に飼い馴らされた犬を野に放ち野生化させたものが
人間の知識レベルの低さなどからひどい目にあうこととなったら
その責任を誰になすりつけようかなどという議論が始まるのでしょうか。
柴犬は野の「番犬」とでもいうつもりなのでしょうか。
「殺さなければ殺される」と言って人間に害のあるものを
分け隔てなく全て滅ぼす。
これが今の人間のやり方。私の中の
「オオカミの力を借りて、この地球を守るためにできることは何でもする」
という気持ちは、消えることはないと思います。
私はオオカミと、自然と、生きていく。
地球を守ることをしようとしない理由として、それを
お金の問題のせいにするのはやめてください。
人間は今お互いに「なぜ実行しないの?」「あなたも何かしないと」と
事態が改善しない責任を押しつけ合っています。
人間自身が何をしているのですか?
目を覚ましてください。
世界の自然たちの、地球の叫びを、
聞いてください。
人間はどれほどつつましく暮らそうとも自然を破壊することを止めることは
できません。人間の出来ることはもっとあるはずです。
人間が自然のために出来ることは少なくとも、
その範囲が狭くとも、ゼロではないはずです。
人間が金銭と自分のためだけの快楽を求め生きてきた結果がこれなのです。
そのために人間は自然に苦痛を、要らぬ犠牲を強いてきました。
人間も自然に苦しめられてきました。
だからと言ってこの搾取はあまりに一方的です。
人としても、今の人間はまともだとは言えません。
「人」という「動物」として、耳を澄ませてください。
それは自然の事をわかろうとしない人間に聞こえるものでは
ありません。自然を愛する心のない人間の目には映らない
地球の姿を、私は見つめ続けています。
オオカミと共に・・・。
(完)
(編集部)大杉聖佳さんからの投稿です。表題と小見出しは便宜的に編集部が付けました。