米田論文への反論
【反論】「知床に再導入したオオカミを管理できるか」(米田政明2006)に関する疑問
~知床へのオオカミ再導入は不可能ではない
日本オオカミ協会 朝倉 裕
オオカミ再導入への反論の根拠として、よく引きあいに出される論説であるが、2006年発表であり既に7年の時間が経過している。
これが知床博物館研究報告に発表されて以降も、欧米のオオカミ研究は進んでおり、日本のシカ害の状況にも大きな変化があった。エゾシカ、ニホンジカによる被害は当時よりさらに拡大し、さらに大きな社会問題になっているし、イエローストーンでのオオカミ導入効果が、どのようなものかもより明らかになってきている。
そのため、この論説もそろそろ賞味期限が切れてもいい頃だと思うが、いまだに反対の論拠にされることがあるので、いまさらの感はあるが、今までの変化を踏まえて、内容について改めて検証し、疑問の点を明らかにしておきたい。
【1】オオカミの生息密度、ナワバリ面積の推定に疑問あり
この論説では、オオカミ再導入を検討する地域を、知床半島(約8万ha),拡大知床地域(ここでは知床半島の位置から網走支庁管内の斜里町,清里町,小清水町と根室支庁管内(北方領土を除く)を合わせた地域(約40万ha)、北海道全域の3通りに設定し、オオカミのパック頭数を15頭程度という前提で収容力の検討を始める。
この前提から考えてみたい。この前提を引き出すのに、ポーランドでは7~19頭、アラスカでは5.4頭という2つの例を挙げ、パックサイズはエサとの関係によって決まるとしたうえで、「1パックの個体数は多めの見積もりだが、15頭程度となることを確認しておく」と書いているが、15頭がなぜ妥当なのかの検討経過は示されていない。それに「確認しておく」とはどういうことだろうか。
パックは、家族単位で構成されるから、両親と1年めの子供、それに2年目の子供がメンバーであることが多い。15頭というパックの構成は、子供の高い死亡率からいっても、一般的とはいえない。アメリカのUSFWS(合衆国魚類野生生物局)の解説(現在は各州の該当する部署のホームページに引き継がれている)によれば、アメリカ中西部でのパック頭数の平均は4~8頭で、冬季の最大値が16頭である。ちなみにイエローストーンでの最大のパックは37頭と記録されているが、その後いくつかのパックに分裂している。
また生息面積の広さを計算するために、生息密度を例示している。ポーランドでのオオカミ生息密度は、オオカミ猟が行われていない地域 2.7~3.2頭/1万ha、オオカミ猟の行われている地域 0.9~1.5頭/1万ha、カナダでは、2.5頭±0.3頭/1万ha、である。
これらの数値を参照したうえで、北海道でのオオカミの収容力を1頭/1万haと「単純化して計算する」と書く。この数値は、狩猟で減らされているポーランドでの数値に近い。ありえない推計ではないが、なぜ1万haに1頭であるのかの根拠はここでも示さない。これが「計算のための単純化」というならそれもかまわないが、1頭/1万haの生息密度で、15頭の最大のパック頭数で固定すれば、1パックのテリトリーは15万haということになる。これは平均的とはいえそうにない、過大な前提であると思う。
USFWSの解説では、「オオカミのテリトリーのサイズは、エサの密度や地形、気候や他のオオカミのパックのような捕食者の存在によって様々である。」との前提で、1パックあたりの面積は、アメリカ本土(中西部ミネソタ、ウィスコンシン、ミシガン)の事例で2万6000ha以下と推定しているが、気候、環境や対象となるシカ(オジロジカ)の体格が似通っている北海道では、このへんを参考にするのが妥当なところではないだろうか。
ここで米田氏の結論は1頭/1万haの生息密度という前提から、「知床半島(8万ha)の収容力は8頭にすぎず、15頭/パックを想定すると1パックをも収容できない。知床半島だけを対象とした再導入計画は、2頭/1万ha程度の高密度が維持できるとするか、パックのサイズが8頭程度と小さくてもよいとの仮定を置かない限り実現は無理そうである」というのだが、彼が見つけてきた事例をよくよくみれば、おかしな話だと思わざるを得ない。
前提の検討で彼自身が持ち出した事例をまったく無視してパックあたり15頭、生息密度1頭/1万ha程度と最大の数字を採用し検討過程も示さないまま、それは譲れないと言っているのだ。
そしてこの中見出しは「オオカミの収容力―知床半島は狭すぎる」だ。
【2】オオカミはシカの頭数を減らす
次に米田氏は、捕食頭数の推定を基にオオカミがエゾシカを減らすことは難しいというが、現在のイエローストーンでの研究成果は、2005年時点から一段と進歩したようである。米田氏が引用している「モデル計算」では気候および狩猟がエルク減少の主要因とされているが、その後の研究から、シカ頭数の減少には単純な捕食だけでなく、リスク効果がかなり大きいことがわかってきた。オオカミの存在が心理的なプレッシャーとなり、繁殖に関わるメスのシカが良好な餌場に長時間落ち着いていることができなくなることからくる影響も大きなものがあることがあきらかになったのだ。
イエローストーンのオオカミがエルクジカを抑制した効果については、①捕食、②「オオカミストレス」による妊娠率の低下、③オオカミを避けて高い栄養価をもった植物が少ない森の中に移動したことによる低栄養化、の三つによることが証明されている。これはイエローストーンでも、事前の予測段階では知られていなかったため、その点を加味しない計算によって、米田氏と同じようにオオカミはシカに対し大きな効果は与えないとされていた。しかし、最新の研究成果を元に検討すれば、「オオカミはシカを減らす」のである。
【3】研究者・指導者としての姿勢に疑問あり
また、希少種の捕食という問題を挙げ、「予測困難な生態系への影響」と中見出しをつけて、これらの動物の捕食可能性を指摘しているのだが、これもおかしな話ばかりだ。確かにオオカミの行動が、木に登るようになって、鳥類やリスなどを捕食するようになったり、エゾシカに見向きもせずタンチョウをつけねらったり、と変わるということは、まったく予測不可能なことである。また現在世界中のオオカミに、人間には未発見の感染症が潜在していて、日本に再導入を図ったとたんその感染症が発症するようなことがあるとすれば、確かにそれも予測不可能である。その場合にはお手上げである。
が、しかし彼が挙げたようなことは本当にあるだろうか?詳細に検討すれば、ありえないことばかりである。
「何が起きるかわからない」といったところで思考停止するというのは、研究者としては、いかがなものかと思う。
また「農家には反対意見が強いであろう」という書き方をしてているが、実際に農家を回り、ヒアリングを行って出された結論であろうか。同じ知床博物館報告にある他の論説にも、「反対が多いであろう」式の結論が見えるが、実際にヒアリングなりアンケートなりを実施したとは聞いたことがない。
いまやシカによる農業被害額は全国で100億を超え、とどまるところを知らない。狩猟、管理捕獲による個体数管理は、成功例がほとんどない施策である。このままの方法を続けていてよいのか、まったく先が見えない非畜産農家は、有効な方法を必死に捜し求めている。米田氏のいう「確実な方法で地道に進めていく」どころか、効果の見えない方法に見切りをつけ始めている気配さえある。畜産農家も、牧草生産の5割をシカに食害され、自作が半減、購入牧草の値上げを避けられない事態ともなれば、経営の圧迫にもなりかねない。米田氏が執筆当時ここまでひどくなろうとは想像されなかったのかもしれない。
JWAのアンケート結果を用いるなら、この当時から今に至る意識調査の変化は驚くべきものがある。賛成者の比率は、反対者のトリプルスコアに迫る勢いである。それもこれもニホンジカやエゾシカが増殖しすぎ、その弊害が誰の目にも見えるようになってきているからである。知床においては、猟師の中にさえ、オオカミ導入やむなしという意見を持つ方がいる。
事実に基づいて見解を述べられるのが科学者たるものに求められる姿勢ではないだろうか。
また「導入後は家畜被害が予想され、低い確率であっても人身被害もおきる可能性がある」から、「ゼロリスクが求められる」から、議論する意味はないという結論だが、では、その前年の博物館報告で、石城謙吉北大名誉教授が書かれていた意見についてはどう思われるだろうか。「肉食獣の再導入は単なる欠員の補充ではない。自然界における肉食獣の役割の見直しから来ている。」「そのターミナルアニマル(頂点捕食者)を失った結果として起こるのは、生物群集の中の特定の種の異常な増殖や減少といった自然の歪みである。」から、オオカミの再導入を議論しなければならない、という石城氏が持っていた生態学的な問題意識は、米田氏にはないのだろうか。
人畜への被害を想像されるなら、諸外国のオオカミ生息地で、どのような被害が起きているのか、人身被害が起きているのか、調査してみたらどうだろうか?あなたはそれができる地位にいるはずだ。
この方の論説には、ミスを怖れる臆病さだけがあり、目の前にある生態学的課題に挑戦する研究者に必要なチャレンジ精神が見受けられない。
また最後に米田氏は以下のように書いている。
「多くの資金・人材投入が必要となる」
これは否定的な意味で書かれている。「多くの資金・人材投入が必要となる」から「オオカミ再導入は困難である」、と。
多くの人材投入が必要なのは確かだろう。しかし、その人材投入は、生態学、野生生物管理学、哺乳類学等々の学問の、日本での新たな分野を切り開く、人材育成のための投資である。
捕食者の研究を欠いた現在の日本の生態学は、重要な領域(=肉食獣と草食獣の関係や頂点捕食者の役割等)が空白のままである。その分野はいまや世界の生態学の焦点であり、研究者にとっては発見につぐ発見の宝の山なのだ。
その重要な分野を切り開く若い優秀な人材が必要とは考えないのだろうか。このプロジェクトのために、国や民間から資金を調達できるなら、まだ職を得ていないかもしれない優秀な人材を投入し、育てることができる。今のままでは、そのような若者たちは、狩猟者としてシカの駆除にばかり駆り出され、職業生活の大半をシカをただただ大量に殺すために使うはめになるかもしれない。そのことに嫌気がさし、研究をあきらめて、学問の世界から足を洗ってしまうかもしれないのである。資金を投入すべきテーマがあるということは、大先輩としては後進の研究者のために喜ぶべきことではないだろうか。
私たちオオカミ再導入を考えるものは、オオカミに関する正確な情報を共有し、「食物連鎖を復元し、生態系を修復する」ことが、回り道のようでも、農林業被害、森林被害を抑制する近道であることを、シカの被害を受けている農家にも、畜産農家にも、猟師にも、だれであっても偏見のない目で、判断してもらうことを望んでいる。米田氏にも、今後は正確な情報をもとにした議論をしていただきたいと望むものである。