世界が見ている「日本でのオオカミ復活」そして「知床の未来」

IWMCで感じた《世界のまなざし》

2015年7月26日~30日、札幌コンベンションセンターを会場に、国際野生動物管理学術会議(International Wildlife Management Congress : IWMC [1])が開催されました。これはアメリカ野生動物学会による数年に1度の国際会議で、アジアでは初開催。日本哺乳類学会が共催し、昆虫から鯨類に関することまで様々なテーマが英語で語られました。

《管理》の会議というと日本でありがちなのは、人間の理屈を一方的に野生動物に押しつけて、軋轢がある鳥獣をそこにいるべきでない厄介モノのように語り、「人間に都合よく管理すべし!」というものですが、IWMCに集った外国人研究者の多くは「人間と野生動物がいれば、そこに厄介事がもちあがるのはあたりまえ」と泰然としていて、「野生動物は彼らなりの理屈で生きている。彼らの理屈や自然の仕組みを知って、我々人間の側が何をなすべきかを考えよう」という姿勢であり、「ワイルドライフ・マネジメントとは即ちヒューマン・マネジメントである。」という言葉も聞かれました。

開催地である日本や札幌市が直面している《シカなどの増えすぎた草食獣の管理》と《交通網や都市に進出する野生動物》に関係するセッションには、とりわけ多くの聴衆が集まりました。内容からも、これは日本に限らず世界共通の課題だと感じました。背景にはもちろん都市化や温暖化などもあるのでしょうが、核心には『捕食者なき世界』[2]にも描かれている、捕食者駆除など過去の浅はかな行為からの歪みがあり、自然の仕組みを無視して環境を「人間に都合良く管理」しようとした無知と身勝手のツケが、世界各地でいま、それぞれの地域の姿をとって顕在化しているように思えました。

ですから、絶滅させてしまった野生鳥獣の復活事業は、事例数は多くないもののどのセッションも熱心な聴衆を集め、議論も活発で、注目分野のひとつだと実感できました。おまけに今回は発表がないにもかかわらず、日本でもオオカミ復活の動きがあると知っている研究者が何人もおり、どこから知ったのだろうと不思議に思うと同時に、心強く、頑張らねばという思いを新たにしました。

 

ところで、オオカミの「管理」は?

日本でオオカミの復活を訴えると、「オオカミ管理はたいへんだから復活反対」と言われることがあります。ではその「管理」とは具体的にはどんなことなのでしょう。オオカミ管理が難題なのであれば、当然、今回のような学術会議でもたくさん演題が並びそうです。

しかし今回のIWMCで、シンポジウムや口頭発表、ポスター発表、円卓会議といった744の演題のうちオオカミに関するものは、トラやヒョウなども含む肉食獣全般の管理方針について中国とロシアから口頭発表が各2題、インドの住民意識の聞き取り調査が1題。あとは文献レビューのポスター発表が2題(韓国、日本)のみ。実際にオオカミ管理が行われているヨーロッパや北米・カナダからの発表は0でした。

では人々のオオカミへの関心が低いのかといえば決してそんなことはなく、別の動物種についての発表中に、フロアから質問で「オオカミの影響は?」等とひょっこり話題が出ることが何度もありました。

広い分布域と高い適応力をもち、原生自然でなくても生息できるオオカミ。人間はその存在をとても気にするため《社会的な議論》にはなりがちですが、いざ管理上の技術的な課題となると、その《たいへんさ》がどれほどのものか、今回のIWMCでは伺い知ることができず、拍子抜けでした。

オオカミ関連の情報は期待薄なIWMCでしたが、それでもあえて参加することにしたのは、知床のオオカミ復活問題がどう扱われるかを確認したかったからでした。

 

知床の「宿題」

さかのぼる10年前、知床が世界自然遺産に登録されたのを記念して、日本哺乳類学会は同じ会場で、イエローストーンの研究者を招聘したシンポジウムを開催しました。その講演集は知床財団から出版され、詳細を知ることができます。[3]

知床が世界自然遺産として評価された選定基準(クライテリア)は「海から山までの生態系のつながり」と「生物多様性」でしたが、IUCNはその基準にてらして知床が抱える問題点をいくつか指摘し、ユネスコは遺産登録にあたってそれらの改善を勧告しました。そのひとつが、生態系を破壊するほどに増えすぎているエゾシカの問題でした。

これについて10年前のシンポジウムでは、オオカミ研究者エド・バングス氏[4]が「知床にもイエローストーンと同じくオオカミの再導入が必要だ」と提言しましたが、日本側は、生態学的な正しさは認めたものの、管理体制の違いや予算規模、住民の合意のなさといった社会的要因から消極的な態度に終始しました。

当時の知床科学委員会エゾシカ作業部会の座長は、別の一般向け説明会で「オオカミやカワウソなど絶滅種の復活は知床の100年先を見据えた事業です。一方で、この科学委員会は、数年のうちにユネスコの勧告に答える成果を出すことが求められる場なのです」と、オオカミ復活問題を扱わない理由を説明し「エゾシカは知床にはもともと少なかったのだから、半島から根絶しても構わないくらいの覚悟で強い捕獲圧をかける」と述べました。

これを聞いた当時、世界自然遺産の理念としても科学委員会のあり方としても、どうなのだろうと首をかしげたものです。

 

人間社会のツケをシカの命で払わせる?

自然遺産とは本来、人の影響を極力排した「自律的で健全な生態系」を未来へ手渡していこうとするもの。その理念のもとで知床は、漁業や観光など人の利用との両立を図る独自の取り組みを進めており、それは世界からも期待される素晴らしい取り組みなのですが、一方で陸上生態系に目をやれば、オオカミの不在で知床の生態系が「自律的で健全に」存続できなくなっていることは明らかです。そうである以上、科学委員会がオオカミ復活問題にノータッチでよいとは思われません。エゾシカは長い歴史の中で、エサにしている植物との関係はもちろん、先住民アイヌやオオカミ、ヒグマといった捕食者とも不可分のつながりをもちながら道東および北海道の生態系の中に位置づけられてきた存在です。その事実から科学委員会が目をそらして、他の誰がそれを見つめるというのでしょう。まして座長自らがエゾシカをまるで知床にいるべきでない厄介モノのように語るとは。知床のエゾシカを厄介モノに仕立てあげてしまったのは社会の変化や人間側の都合なのに、公衆に向かって「エゾシカがこんなに恐ろしい動物だとは思わなかった」とあたかも動物のせいのように言うのにも耳を疑いました。問題がそれほどまでに緊急で危機的だという偽らざる本音だったのでしょうが、物事を人間側の理屈でばかり見ているのでは、科学からの選択肢や方向性は示せません。

どうにも釈然としませんでしたが、ともかくユネスコの勧告に沿う対応が一通り済んで科学委員会の顔ぶれも変われば状況も変化するかもしれないと推移を見守ってきました。

ところがそれから10年。科学委員会の構成もいつのまにか変わり、知床ではオオカミのオの字もなく物事が進んでいます。2002年にはオオカミとカワウソの復活を「知床であればこその『百年の夢』として、引き続きじっくり検討していく。」[5]としていた知床は、いったいこれからどうするつもりでしょう。

そう思っていたところ、IWMCで「知床の遺産登録後10年の歩みをふりかえる」というセッションがあると知り、話を聞いてみたいと思いました。この10年、知床のオオカミ復活問題は進展していませんが、海外の研究者にはどう説明するのだろうとも思いました。

もっとも今回はオオカミの研究者は来ません。知床10年の歩みの中にも当然ながらオオカミは含まれていません。事前の検索でもこのセッションはオオカミとは関連なし。きっとオオカミのことは語られないままに終わるのだろうと思いました。でも参加しなければ「語られなかった」かどうかすら把握できません。行ってみることにしました。

 

知床セッションで語られたこと

IWMCの4日目午後に開催されたセッションでは、まず環境省の担当者が知床の理念や管理上の課題を説明。続いて知床関係者からシカ管理の現状が報告されました。本来は人の関与を排除すべき自然遺産領域内に3キロに及ぶ仮設のフェンスを張り、効率的にシカを捕殺し数を減らすことに成功したこと。「しかし遺産地域ですからこのままで良いとは考えていません」と、将来的には人の干渉を減らしたいと述べ、今後のシカ管理はどうあるべきか、その責任は誰が担うべきなのかと、会場全体に問いを投げかけて終わりました。

続いて米国の研究者キース・オーネ氏が、イエローストーンの国立公園としての歩みと、シカやバイソンなど有蹄類の管理の考え方を紹介。風景を愛でることから始まった国立公園はやがて狩猟対象獣である有蹄類を最大に生産するいわば「家畜概念」の管理となり、それから「自然の調節に任せる」管理を経て、現在は個々の動物の数にこだわるのでなく、公園区域内を含む地方全体を視野に、種間関係や季節移動といった自然のメカニズムに着目した動的な管理、《生態系の完全性》を目指す管理へと進んでいるとのことでした。

次に話題はクマの管理に移り、知床側が高架木道と少人数のガイドツアーを組み合わせた観光とクマ管理の両立・地域社会との共存を紹介。米国側のクマ研究者は近年のグリズリー生息数の回復について述べました。来日できなかった研究者に代わり知床関係者がロシア沿海州の自然遺産地域シホテ・アリンの状況を述べ、総評及び討論へ。

セッションの総評は、10年前のシンポジウムにも招かれたカリフォルニア大バークレー校の名誉教授デール・マッカラー博士でした。彼の専門はシカ類の生態と管理ですが、冒頭から「知床は世界遺産登録から10年でいろいろ頑張って成果を出しており素晴らしい。しかしオオカミの復活が進んでいないのは残念だ」と話し出し、総評の多くの時間を使ってオオカミ復活の意義を語りました。オーネ氏も、生態系やシカ類の存続にとってのオオカミの重要性に肯定的なコメントをしました。

これに対して知床関係者は誰も反論しません。会場内にはあの科学委員会エゾシカ作業部会の前座長もいましたが、彼も沈黙したままでした。自然遺産の管理が《生態系の機能》と《生物多様性》を未来世代へ手渡していくものになるべきだということ、そして管理は国立公園の境界にとどまらず、地方全体の人間社会と野生動物との関係の中に位置づけられるべきこと。これら目指す方向性には反論のしようがない、ということでしょうか。

するとフロアから「イエローストーンにオオカミを復活させたのは良いと思うが、だからといって知床に入れるのは反対だ」と反論が出ました。主な理由は、オオカミが増えすぎれば駆除する必要がでてくるということと、北米で実例があるようにオオカミは長距離を移動する動物なので、知床だけの問題ではなくなるということでした。それに対してマッカラー博士は「10年前も言ったが、オオカミが知床からよそへ出ていってしまうのが困るなら半島の基部に柵を作るなど、手立てはいろいろあると思う。もちろん、問題は知床をどういう場にしたいかであり、それを決めるのは日本人だ」と応じていました。

 

オオカミに対する認識のズレ――駆除が必要?知床は狭い?

セッション終了後、反論を述べた方と直接お話しすることができました。彼が、増えすぎたオオカミは駆除しなければならないと考えたのは、カナダ政府がエネルギー開発事業で減った森林トナカイをこれ以上減らさないためと称してオオカミ駆除を始めたことを知っていたからでした。[6]カナダではオオカミは保護動物になっていませんし、スポーツハンティング・ツアーが重要な観光産業なので、狩猟獣のシカ類を食べるオオカミはどうしても「そこにいるべきでない厄介モノ」と見られがちだという人間側の理屈があります。カナダは、開発や狩猟という人間行為のツケをオオカミに払わせる旧態依然とした野生動物管理を行なっており、内外の自然保護関係者から非難されています。

実際には、イエローストーンでの20年にわたる研究で分かってきたように、オオカミはその地で得られるエサ動物の量に応じて自ら数を増減させる動物なので、増えたからといって人が駆除して数を調整する必要はありません。反論を述べた彼はおそらく、オオカミという動物の生態をあまりご存知ないか、それともカナダ政府の「オオカミは人の都合に合わない厄介な動物だ」という認識を肯定しているのだろうと思いました。

また、オオカミはたしかに彼が言うように長距離を移動する動物ですが、そのことで、米国ではいったいどんな騒ぎがおきたでしょう?地域住民が柵を作ってオオカミの侵入を阻止した?州境にハンターを配置して撃ち殺した?いいえ。市民が旅ゆくそのオオカミの愛称を全米で公募し、動向を温かく見守りました。隣の州からやって来るそのオオカミをほぼ1世紀ぶりに受け入れることになったカリフォルニア州政府は、600頁におよぶオオカミ保護管理計画を用意しました。たった1頭のオオカミのために、それだけの準備をしたのです。そうするだけの価値があると州政府は判断したのでした。

要は人間社会の側に《オオカミと共存する意志》があるかどうかということであり、オオカミの復活問題は、課題が野生動物ではなく人間社会の側にあるのだということを気づかせてくれます。だからオオカミ反対派は「オオカミは危険な猛獣だ」と意図的に人々の不安をあおって復活をさも非現実的なアイディアのように言い、それ以上の議論をさせたがらないのです。問題は、知床という土地の物理的な広さではなく、その地が《どんな場》であってほしいと日本の社会が望んでいるか、ということなのです。

 

知床のため、そして日本社会のためにオオカミの復活を!

マッカラー博士にも直接伺ったところ、生態学的な意味でも世界自然遺産の理念からも、彼は知床へのオオカミ復活には10年前から一貫して賛成。ですが周囲の日本人関係者の様子を見る限り、その機はまだ熟していないとお考えで、「どうも日本人研究者はオオカミを恐れているようだね」と微苦笑をもらしていました。「オオカミを悪い動物、厄介な害獣とする古い教育を受けて育つか、それとも生態系に不可欠な役割をもった動物という新しい知見を学んで育つか。オオカミをどうとらえるかによって人の態度は変わる。だから重要なのは若い世代への科学的な教育だよ」と繰り返し言っていて、知床における課題は一般大衆の受け入れだろうとも話していました。

シカの研究者であればこそ、捕食者まで視野に入れなければシカという動物を本当に理解できたことにはなりません。しかし今回のセッションでも、まるで緘口令が敷かれているようにオオカミのオの字も出ない日本の学術研究の現状。博士は、自由闊達で誠実な議論が行われないことを憂慮して、あえて総評でオオカミをとりあげて下さったのかもしれません。半島の基部に柵を作るという案も、オオカミを自由にさせてはいけないという意味ではなく、日本の研究者があれこれ理由をつけてオオカミ復活に挑もうとしないことへの思いから出たアイディアなのだろうと思います。

イエローストーンを知る米国人研究者には共通して「オオカミが生態系に与える影響をじかに目で見たら、人の意識はきっと変わる」という思いがあるらしく、オオカミ研究の第一人者D.ミッチ博士も「まずはオオカミを入れなさい。そうしたら、オオカミに関わる人材も育つ」と言いますし、前出のバングス氏も「たとえ失敗してもそれが貴重なデータになる、トライするべきです」と言います。

知床は、半島という狭い地域です。そこを、オオカミを戻さずに人間が永遠にお手入れを続けて《原生的な自然の風景》を見せる場にとどめるか。イエローストーンのように、風景や動物を眺めて楽しむ段階からぬけだして、オオカミを復活させ、公園区域も含めた道東全体の《生命のつながり》《人間社会と自然との動的な関わり》を学べる先進的な場にしていくか。どちらを選ぶかは、マッカラー博士が言うように、日本社会の選択にゆだねられています。

そしてどちらが「訪れるのに魅力的な地か」ということもまた、イエローストーンが教えてくれます。オオカミが復活して20年、イエローストーンの観光客は年々増加し、オオカミ復活による地元への経済効果は30億円とも50億円とも言われています。

 

知床にオオカミが入れば、やがて半島から北海道全体へと分布を広げていくことになります。オオカミは知床のような原生的な場所でしか生きられない動物ではありません。エゾシカがいて、人間が迫害しないなら、人口密集地を避けて里地里山・田園地帯でも十分に共生できます。ドイツやオランダなど、オオカミの再分布域が広がっている西ヨーロッパがその好例です。それら最新の知見を取り入れつつ、日本ならではのオオカミとの共存のありかたを研究・発信していく場となれば、知床は、これからの日本の野生動物管理が目指すべき道を示す《羅針盤の針》として、多くの若者が学び集う地となるでしょう。例えばカナダとの国境に近い人口1,300人ほどのアウトドア観光拠点の街イリーにある国際オオカミセンターには、世界中からオオカミを学ぶ人が訪れ、年6億円の収益をあげているそうです。知床では今、自然大学院大学設立のための準備を進めているそうですが、カリキュラムの中にオオカミの復活について学べるコースを設ければ、実際に再導入をおこなう前から非常に多大な教育的意義が期待できます。

オオカミの復活について知りたいというニーズも、栄養カスケードのような生態学的な知識も、日本社会の中で10年前とは比べものにならないほど高まっています。私たち日本オオカミ協会もオオカミに関しての情報提供などできる限りの貢献をと思っていますし、マッカラー博士のように日本の野生動物管理の発展のために助力を惜しまない海外の研究者もたくさんいると思います。ぜひ、日本の未来のため、新たな自然保護の価値の創造のために、知床からも勇気をもって「オオカミをやりましょう!」と声をあげてほしいと願っています。(南部成美)

 

■ 参考情報

[1] 第5回国際野生動物管理学術会議(International Wildlife Management Congress : IWMC  http://www.iwmc2015.org/index.html

[2] 『捕食者なき世界』ウィリアム・ソウルゼンバーグ著(文藝春秋 2010年9月)

[3]  『世界自然遺産 知床とイエローストーン ―野生をめぐる二つの国立公園の物語―』(知床財団・朝日新聞社協力 2006年3月)

[4] Ed Bangs:元・合衆国魚類野生生物局職員、オオカミ復活コーディネーター。オオカミ復活に対する功績はハンク・フィシャー著『ウルフ・ウォーズ』(白水社2015)やリック・バス著『帰ってきたオオカミ』(晶文社1997)に詳しい。

[5] 『しれとこの森通信』(2002年№5)

[6] トナカイにとって好適な生息地である成熟林がエネルギー開発のために伐採され、林道などが作られると、林縁や草地を好むエルクやヘラジカがやってきて、追い出されるトナカイは栄養状態が悪くなります。日米独オオカミシンポ2015でミッチ博士が講演したとおり、オオカミは「どの種を選ぶかではなく、健康が害されたものを獲物に選ぶ」という理屈ですから、弱ったトナカイが多ければそれを狙うことになります。つまり問題はオオカミの増えすぎではなく、トナカイとオオカミの関係をそういう方向へとむかわせた人間の森林伐採が原因なのです。アメリカでは女性歌手も「オオカミを殺してもトナカイは増えない」と訴えています。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201509/2015092200316

Follow me!