ジビエを食べればシカは本当に減るのか?
はじめに
昨今のシカ問題を取り上げるニュースの大半は全国各地のジビエ(野生肉)振興の動きを後押しするものである。NHKがシカ問題を取り上げた際の信州大学竹田謙一准教授のコメントなど典型的なものといっていいだろう。彼はこう言って番組を終えたのである。
「ニホンジカによる被害を軽減するためには、自然の恵み、ニホンジカの命を無駄にすることなく、ありがたく頂戴するといった考え方も必要ではないでしょうか」
(NHK 2014年10月07日 (火)「視点・論点」「急増するニホンジカ」)
こうした心情的な意見の延長上に、地域振興・活性化のために、大量にある資源として利用しよう、という方向に走り始めている地域の動きがある。これをビジネスチャンスとして捉える向きもある。
しかし、これは断言してもよい。ジビエの産業化でシカは減らせないし森林被害も減らない。生態系も維持できない。仮にジビエ産業が栄えたとしても、シカの半減という環境省の目標は達成できず、森の崩壊も止まらず進行する。そもそもシカが減ってしまっては、ジビエ産業は成り立たない。もし資源が不足すれば、あるいは需要が拡大するようなことがあれば、安く豊富な輸入品が入ってくるかもしれない。さらにジビエ産業が盛んになれば、後述するように地方自治体財政を圧迫することになる。
狩猟者がシカを獲ることも、獲った獲物をありがたくいただこうとする心情も、否定したいわけではない。獲った獲物は食べるという健全な狩猟文化として、釣りの文化と並んで新たに日本社会に定着することが必要なことである。私も美味しいシカ肉料理を食べたいと願っているし、オオカミの再導入と組み合わせることで有効な対策にもなると考えている。しかし、日本列島全体を俯瞰し、日本の自然を未来世代に渡せるように修復、維持するための方策としては、シカ等の野生動物を資源化し、産業化する方向だけに拘泥し、方針とすることが正しい選択であるかどうか、国としての、あるいは自治体としての正しい政策判断であるかというところに疑問を感じるのである。
本稿では、ジビエ振興がシカの増えすぎ抑制、環境省の目標とする2023年度までの半減にはまったく効果がなく、その政策に依存することが間違いであることを明らかにしていきたい。
本来、環境省の目的は、増えすぎたシカのさらなる増加を抑制し、徐々に減らして生態系被害、農林業被害を軽減することである。そして狩猟やジビエの振興は、狩猟を盛んにし、狩猟者への金銭的な還元を図るための手段と考えられていたはずだ。
最初の目標であるシカの頭数抑制・減少のために知っておく必要があるのは、シカはどのくらい獲れば減るのかということだ。環境省の推計によれば、2012年現在のニホンジカ(北海道を除く)の生息頭数は、推定(中央値)249万頭である。環境省は、「2013年度の対策のままでは、2023年度には生息数は現在の1.7倍にまで増加する」ため、「ニホンジカの生息数を減らすためには現在の2倍以上の捕獲を行う必要がある」と言っている。(環境省発行パンフレット「いま獲らなければならない理由(わけ)」)
現在の各都道府県の捕獲頭数、あるいは捕獲計画頭数は、推定生息頭数のおおよそ2~3割程度に設定されているようだ。(各都道府県鳥獣保護管理計画)それを2倍に増やすということは、現在の推定生息頭数の4~5割を目標値として掲げなければならない。この問題をイエローストーンの関係者と議論したときに、彼はこの割合に近い比率を口にした。彼は言ったのだ。
「10年後にシカの生息数を半分に減らすというなら、毎年毎年シカの頭数の50%を獲らなきゃダメです。毎日毎日朝昼晩シカを食べてください。魚を食べているひまありません」
ここでジビエがシカを減らせるかを考えるために論じたいテーマは
1.消費面
2.供給面
3.生態系
4.産業化の是非
5.自治体財政
この5つである。
1. ジビエの消費は増えるのか?
ジビエ振興は、狩猟を盛んにし、シカの頭数を抑えるために活動している狩猟者への金銭的な還元を図るための手段だと捉えると、原料であるシカ肉を供給することによって、狩猟者に適切な報酬を還すことが目標になる。そうでなければ、狩猟者が活動を継続し、また新たに増やすことにならないからだ。あるいは少しでも行政の負担を減らそうという目的もあるかもしれない。
だからシカ肉は高く売れれば売れるほど、その目的にかなうのだが、高すぎれば量はさばけないことになり、安く供給すれば狩猟者への還元は少なくなる。現状の小売、卸売の場面ではどのような状況だろうか。数年前に比べて、卸売でも小売りでも、飲食店でも供給場面でシカ肉、ジビエを目にすることは格段に増えている。
インターネットの通販サイトに登録されている産直シカ肉のリストを見ると、価格はロース肉で1㎏あたりおおよそ1000~3000円の価格帯が中心である。(送料は含んでいない)エゾシカは安い出品が多く、1000円前後から3000円よりも高い価格もある。本州産では3000円の近辺が多い。以前参照したときはもう少し高く、6000円くらいの単価の商品が多かったので、供給量がだいぶ増えたのであろう。狩猟者への還元を最大にすると考えて、ここでは3000円としておこう。
これを他の食肉価格と比較してみよう。(ロース肉比較)
食品価格動向調査(食肉・鶏卵)2015年12月調査では以下のような価格である。
・輸入牛肉 305円/100g
・国産牛肉 743円/100g
・豚肉 261円/100g
(小売店頭価格 消費税込み 特売含まず)
通販サイトのシカ肉価格は、そのままなら小売店頭価格としては国産牛肉の平均よりも安いが、輸入牛肉と比較すれば同等、豚肉価格よりもやや高い。送料を加えれば輸入牛肉よりも高いポジションになる。
前記のシカ肉価格は産地から中間流通を経由せずに、直接消費者に販売する小売価格にあたるが、流通網に乗せて小売の店頭に並べるのであれば、卸売価格との比較が必要である。
牛肉の卸価格は、日本食肉流通センターの統計資料の部分肉取引情報月報(2015年12月中旬)で見ると、
・輸入牛肉 肩ロース 1558円/㎏
・和牛 肩ロース 4322円/㎏
が平均となっている。
狩猟者への還元を考えれば、卸価格といえどもシカ肉の価格はおいそれと値下げするわけにはいかないので、同じ単価で比較することにしよう。すると送料を含んだ卸価格としては輸入牛肉よりも高いポジションにあり、和牛に近くなる。
この卸価格をもとにした場合のシカ肉小売価格は、さらに流通費用を乗せて、卸値の2倍程度になってくるとすれば600~700円/100g程度になるだろう。これは前記の小売価格でいえば、国産牛肉に匹敵する水準になってしまう。国産牛肉価格は、高い黒毛和牛と安めの国産牛の平均だろうから、600~700円/100gは高級黒毛和牛よりも安いが、ホルスタインなどの国産牛よりも高い水準にある。これではシカ肉を普及させるに十分な価格とはいえないだろう。
特定非営利活動法人「日本ジビエ振興協議会」がHP上の「よくあるご質問」で、「何故シカ肉やイノシシ肉は高いの?」という疑問にこう答えている。
「処理施設に持ち込まれる頭数にバラツキがあったり、持ち込まれたシカやイノシシの肉が傷んでいるため食用に回せず廃棄したり、ロースなどの売れる部位の反面売れ残った部位が在庫となり売れる部位の値段を高くしたり、流通コストが高いなどの要因で、一般的には牛肉を越える価格帯となっています。
牛や豚のように、処理施設に持ち込まれたシカやイノシシが全量食用となり、また部位による売れ残りがなくなるような仕組みができれば価格帯は下がると考えられます。」
つまり供給、歩留まりの不安定性、部位による販売の不均衡、流通コストが原因だというのだ。こうした課題を解決すべく、定められた衛生条件をクリアした処理施設を作るために農林水産省はじめ地域の行政などが補助金を提供し、食肉として流通するために持ち込まれる肉の認証制度を作り、品質の安定を図ろうとしている。基準をクリアした商品だけを流通させることで産地ブランドを確立しようとしているのだが、基準を厳しくすれば供給は減らざるを得ない。さらに認証機関から費用が請求されることにもなり、仕入れ窓口まで一本化しようということにもなるらしいので、さらに価格は上がり、流通が制限される要因が加わることになる。
一方全国の地方自治体は、ジビエ普及に熱心な有名シェフを起用して試食会を催し、メニュー開発のコンテストを開いて普及に努め、需要をつくりだそうとしている。イベントにより食べる機会が提供され、メディアはそれを取り上げて、ジビエはおいしいと連呼している。消費者にジビエ肉の味を覚えてもらって需要を喚起する作戦である。
こうしたイベントでまずいというコメントは聞いたことがないが、野生肉は、本当に日本人の味覚にあっているのだろうか。こうした普及策で日本人の味覚は変わるのだろうか、それともシカ肉の味を調理で日本人にあうように変えられるのだろうか。
適切な時期に、適切に捕獲され、適切に処理された肉を、適切に調理したら、という条件のもとでなら「美味しい」という人もいる。確かにキチンとした料理人が提供してくれるシカ肉料理はおいしいものである。が、もともとジビエの特徴は、味、品質が均一でないこと、流通が不安定なことにある。新たな味の開発に関しては、プロのフレンチの料理人から、「長年ヨーロッパの料理界が調理法を研究してきたのだから、これ以上の味は出ない」と聞いたこともあるが、日本人に日常的に食べられるメニュー開発は可能なのだろうか。
JETRO(日本貿易振興機構)が以前、北海道のエゾシカを輸出するための調査を行ったことがある。その調査は、香港をサンプルにして、ニュージーランドのシカ肉がどのように消費されているかを調べたものだ。香港といえばなんでも食べる中華料理の一方の旗頭のようなところだが、その香港でさえ、2005 年に消費された鹿肉は 16.8 トン(160 万香港ドル)で、羊肉消費量の0.2%にすぎず、増加傾向を見せていない。(「香港における鹿肉および鹿角製品 に関する調査報告書」JETRO2006年12月)
こうした例から考えても、私は日本人のシカ肉消費が顕著に増加することは見込薄だと考えている。
それでも安く提供できることになった、日本人がジビエの味を覚え、楽しめるようになった、日本人にあった調理ができるようになった、としよう。どのくらい消費は伸びるだろうか。現在流通中の牛肉(和牛、輸入牛)、豚肉、鶏肉の消費量に上乗せされるのか、それともいずれかの肉のシェアをシカ肉が奪うのだろうか。また大消費地を狙った販売を展開すれば、全国から東京などに集まるシカ肉、エゾシカ肉と産地間競争になること必定である。どの産地が競争を勝ち抜くのだろうか。
現在流通に乗っているシカ肉の捕獲数に対する食肉処理割合は、シカ肉の利用が盛んな地域でも北海道が14%、長野県5%、兵庫県3%に過ぎない。全国のニホンジカ捕獲頭数は、2012年度約47万頭、エゾシカが約13万頭だから、仮に食肉処理割合を全国10%まで引き上げるとしたら、食肉の量は現在よりも二ケタは多くなり、2万~3万トンになるだろう。これだけの肉を消費するようになるのも大変なことだとは思うが、シカを減らすためにはさらに捕獲頭数を倍増しなければならないのだから、国民はシカ肉をもっともっと食べなければならない。
一方、牛肉の消費は、
・牛肉消費量 一人当たり年間5.9㎏(2009)
・国内生産量 51.6万トン
・輸入量 67.9万トン
である。
日本人の肉の消費量について、農水省の外郭団体である農畜産業振興機構はこのようなことをHPに書いている。(食肉の消費動向について)
「日本人の食生活はこの 50 年余りで大きく変化しています。1960年には1人1年当たりの食肉(牛肉・豚肉・鶏肉)供給量はわずかに3・5kgでしたが、2013年はその 10 倍の 30 kgとなりました。一方、日本人の主食である米は115kgから 57 kgに、魚介類は 28 kg(2001年には 40 kgまで増加)から 27 kgにとそれぞれ減少しています。日本人は従来魚を好んで食べていましたが、食の欧米化が進んでいることから、食肉をより多く消費するようになりました。」
食肉消費の統計と国際貿易の歴史上のできごとを追っていくと、消費量拡大の大きな原因は、国産肉の拡大よりもむしろ豚肉、牛肉の輸入自由化だということがわかる。輸入が増えて価格が下がったことが消費増加の大きな要因なのだ。ということは、シカ肉の消費を拡大するためには、この相手を押しのけなければならない。
高齢化社会の到来で、日本人の胃袋は縮小している。それでもしばらくの間は、総消費量は変わらないとしよう。そのなかで、シカの頭数を減らすほど食べていかなければならないとしたら、ジビエ(野生肉)は主に輸入牛肉と、ひょっとすると魚介類ともゼロサムゲームを戦っていかなければならない。ジビエ産業は、米豪の畜産業と、日本の伝統的な漁業と競合するのである。
2. ジビエの供給は確保できるのか?
狩猟・管理捕獲・駆除といった現在の狩猟者の活動は趣味の狩猟の延長上にあるため、銃、弾丸、移動のためのガソリン代、犬を飼っていればその飼育費用、繁殖の手間など、すべて自腹だから、管理捕獲や駆除といった行政から依頼された仕事も、現状では持ち出しで、ほとんど彼らの狩猟外の収入に頼った活動である。
その費用を賄ってなおかつ収入になる手当、あるいは売上があれば、彼らの金銭的なインセンティブ、シカ肉産業の供給者への報酬として考えられるかもしれない。
ここでは狩猟者の報酬として、シカを捕獲し販売する場合の価格を考えてみる。食肉として流通できる一頭あたりの肉量を、計算しやすいように単純化し、仮にニホンジカ5㎏、エゾシカ10㎏としよう。一頭の捕獲にかかる手間は、エゾシカが北海道の平野部でも射撃可能で、雪が積もればスノーモービルでシカ撃ちに行ける機動性もある分、楽かもしれないが、頭数が増えたからといって狩りの手間、肉の処理の手間が変わるわけではない。1頭いくらで売れればいいのだろうか。
ニホンジカ5㎏が1万円で売れるとしたら、シカ肉の原価は1kg2000円だ。これにシカ肉処理場で処理の手間賃に残渣の処理費用もかかり、1kg3000円になるとすると、部位に関わらず100g300円だ。エゾシカが同じ1万円で売れるとすれば、その半額である。ただしこれは食肉処理施設から出てくる卸売価格である。流通費用を乗せた小売価格はその倍と見れば、小売価格は100g600円になる。ニホンジカもエゾシカも先の例の小売価格とおおよそ見合っている。
一頭1万円という現場での取引価格が一つの目安になりそうだ。実際の管理捕獲の手当てもこのくらいの額を中心に動いているようだから、この目安によって高いか安いかを判断することができる。ただしこの目安になる取引価格が、猟のための費用を賄ってなお余りある金額かどうか、それによって狩猟者が動機づけされるかどうかは定かではない。(おそらくそうではない)さらに本州でよくあるように、チームでの捕獲の場合も同じだから、この価格を人数で割る必要がある。趣味の狩猟で、チーム全員でシカ肉を分配し、自家消費して終わり、というのであれば価格は問題ではないが、食肉処理施設に持ち込み、販売した金額を還元しようというなら、一人あたりの金額はガタ減りである。
次に狩猟者の人数の話をしよう。狩猟者が多ければ多いほど、シカの捕獲頭数は増え、食肉流通も増える可能性が高くなる。
狩猟登録者数は、1970年代の10年ほどの間50万人前後を維持し、その時期以降、急激に下がり始めた。現在では銃猟の登録は10万人をわずかに切った(平成24年度96,242人)というところまできているが、それよりも深刻なのは狩猟者の高齢化が進行していることである。現在60歳以上の狩猟者が65%を占める。50歳以上に年齢を下げれば占有割合は83%にもなる。(平成24年度年齢別狩猟免状交付状況)これでは資源供給側の陣容は極めて脆弱だと言わざるを得ない。そのため環境省は狩猟者を増やすための施策を続けている。
環境省が現在進めている「狩猟の魅力まるわかりフォーラム」(環境省が都道府県や狩猟関係者とともに、全国で開催)は、その目的を「①「自然」や「生き物の命」に正面から向き合う狩猟の魅力と、狩猟が持つ社会的役割を知っていただくこと、②人と野生鳥獣との適切な関係の構築や豊かな自然の生態系の維持に向けた、将来の「鳥獣保護管理の担い手」となるきっかけを提供すること」としている。
環境省は、この一連の施策で獲得すべき新人ハンターの目標も成果も明示していないが、「きっかけを提供すること」から始めていたのでは、現在の10万人を維持することも難しい。年齢構成も50歳以下の割合が50%にもなるほどに若者が参入してくるのであれば効果は顕著であるといえるのだが、そんなことが可能だとはとても考えられない。もっとも今後は70歳以上の人たちの引退が加速して50歳以下の比率は上がっていくに違いない。(ただし総数は減っていく)
また今から始めた人たちの習熟度は、急速には上がらない。狩猟者が一人前になるには10年かかると言われるが、新たに参入する人たちはほとんど週末ハンター、兼業ハンターであって、専業ではないから、多くの人は猟期の土日に先輩猟師について出猟することになる。年間に12回程度の出猟では、人数の増加だけでなく習熟度の向上もシカの増加に追い付かないのである。
一方『認定事業者制度』を設け、野生動物の捕獲に企業などの参入を促そうともしているが、こちらは主として害獣駆除や管理捕獲が目的である行政からの仕事を請け負うことになる。効果としては、外部からの参入を促し、趣味の狩猟者の専業化への道筋をつけることになるが、現状ではジビエ産業への供給がどれほど増えるものか未知数である。また業者によって捕獲能力に差があり、認定を受けても公共事業を請け負うに足る捕獲スキルがすぐに上がるわけではないから、力を発揮するまで時間がかかることは同様である。
3.ジビエは生態系を元に戻せるのか?
さて、では狩猟者が一頭1万円以上の収入を得る見込みがあり、十分に動機づけされて活動しているとしよう。その活動によって、シカは減るのだろうか、そして生態系の修復が可能なのだろうか。つまり狩猟によるシカの捕獲は生態系によい影響を与えることができるのか、という疑問である。
森林生態系におけるシカの適正頭数は、立正大学須田和樹准教授が対馬で調査を行ったときに、1平方キロあたり2~3頭と推定した。この頭数が森にいるとき、シカの採食による攪乱が森の生物多様性を最も高くし、正常な森になる。(須田和樹(1999):ニホンジカが対馬の森林生態系を構成する要素に及ぼす影響 特に植物、齧歯類、鳥類、土壌に関して.東京農工大学博士論文)
一方、狩猟の適正頭数はどうだろうか。
実は、狩猟のためのシカの頭数は多ければ多いほどよいのだ。一般ハンターの狩猟が成り立つためには1平方キロ当たり20~30頭ほどにも生息密度が高くなければならない。逆に生態系の適正頭数まで減ったら狩猟はできない。森林にも被害が出て管理捕獲が行われているような地域では、1平方キロ当たり20~30頭程度の高密度になっているところが多いから、一般の狩猟者も比較的容易に狩ができるのだが、これが減ったとしよう。10頭以下にでもなれば、シカと遭遇することさえ難しくなってくる。生息域は奥山に後退し、狩猟者はシカを追って何日も奥山まで登る必要があるかもしれないが、今の狩猟者にはそんなことはできないし、食肉供給上もそれは無意味だ。狩猟現場は食肉処理施設から離れ、捕獲してから1~2時間以内に処理施設に搬入するというおいしいシカ肉の条件が満たせなくなる。シカが減ってしまっては、地域活性化の切り札にはならず、供給不安定になってジビエ産業は成り立たないから、再び増えて生息密度が高くなるのを待たなければならない。そして1平方キロ当たり10頭のシカでさえ、森林に被害が出る密度である。まして捕獲しやすい20~30頭の生息密度では、森は死んでしまう。
「世界遺産をシカが食う シカと森の生態学」(湯本貴和ほか 文一総合出版2006)に、紀伊半島の山間地の住民代表がシンポジウムでこう語る場面が収録されている。
「ある時期から、猟の腕が上がったわけでもないのに、簡単に獲れるようになった」
その頃から畑への被害が出始めたのだというから、シカの生息密度が急に高くなったのだ。生息密度が高ければ、たくさん獲れるし人里近くでも楽に獲れるが、生息密度が低くなれば獲れなくなるのは当然である。
北海道では今、シカ肉処理施設周辺でシカが減って獲れなくなり、処理施設に持ち込まれる頭数が激減したという例を聞くようになった。そのため、シカが減ったのだろうという意見も出ている。しかし処理施設周辺にシカがいなくなったということは、シカ全体の頭数が減ることを必ずしも意味しない。シカ肉利用のために銃猟の狩猟者が入っていける場所には限界があり、わな猟は奥地ではできず、地域が限定されるから、シカは減らず、奥山に固まり、森林被害は減らないどころかさらに悪化するかもしれない。
また、もう一つ問題がある。生態系というものは、食べる食べられる関係だけでできているのではない。太陽の光を植物が受けて光合成し、生産した植物の体を草食動物が食べ、それを肉食動物が食べる生食連鎖があり、また死んだ動植物の体を他の動物、鳥類、昆虫、微生物が利用し、やがて土に還って再び森を育てる役割を果たしていく腐食連鎖という逆の流れがある。こうした生食連鎖と腐食連鎖の循環を生態系というのだが、人間はシカを獲れば、森から死体を持ち去り、別の場所で調理し、食べ、捨てる。シカの体を森に体を還元することをしない。獲ったシカを森の外に持ち出すのは、生態系の循環を遮り、森が再生するための肥料分を奪っていることになるのだ。
4. 野生肉の産業化はどこに向かうのか
野生肉を産業化することにも疑問を呈しておきたい。ジビエ振興を旗印に掲げる人たちは、アメリカやニュージーランドの狩猟文化を模倣しようとしているように見えるが、それぞれの国にはあまり自慢できない歴史もあるのだ。
アメリカでは、狩猟者は捕獲頭数に制限があるだけではなく、獲った獲物の処分にも規制がある。自家消費だけというのが条件で、販売するための捕獲は許されていない。歴史の中で野生動物を絶滅させてきた経験があるからだ。
北米大陸に白人が入植して以来、ヨーロッパに高く売って大儲けするための「資源」として、良質な毛皮をもつ野生動物、ビーバーに始まり、テン、キツネ、シカ、バッファローを獲りつくした。チルド技術もない時代だから、食肉よりも軽くて持ち運びやすく、高価に取引される毛皮が取引の中心である。その取引が野生動物を絶滅に追い込んだ。人間の欲望を刺激する資源化とはこういう結果を生むかもしれないことなのだ。日本の野生動物資源化はそうしたことを適切に制御できるのだろうか。日本でも昭和30年代の狩猟者数が激増した時期に、日本野鳥の会創始者である中西悟堂は狩猟道徳不在を嘆いている。(「鳥を語る 野鳥記コレクションⅢ」春秋社)急速に裾野が広がればモラルも低下するかもしれないし、事故も起きるものだ。
また仮に、シカが獲れなくなったとき、ジビエ産業はどういう行動をとるだろうか。
ニュージーランドでは、白人入植者が、もともとこの島にはいなかったシカを持ち込み、狩猟のために放した。やがてシカが増え、趣味の狩猟では抑えきれなくなって、農業や森林に深刻な被害が出るようになったため、一時は根絶する方向に舵を切り、ヘリコプターを使った駆除まで行った。しかし結局根絶することができず、その肉を食肉化し、資源化する道を選んだのだが、そのシカ産業の現状からは日本のシカ資源化の将来像が垣間見える。
一般社団法人エゾシカ協会が2005年に行なったニュージーランド視察の報告書「エゾシカ有効活用等調査団・調査概要版」によれば、ニュージーランドにおけるシカ産業は、野生のシカではなく養鹿が主体になっている。野生シカの生息頭数は25万頭、養鹿の飼育頭数は140万~180万頭である。野生シカの食肉流通量は、シカ産業全体の10%に過ぎず、養鹿の流通割合が90%である。しかも輸出が圧倒的に多く、主にヨーロッパの市場に向けて出荷されている。国内流通はわずか2%だ。国内では非常に高価な肉であることから国内需要は伸びていない。
ではニュージーランドのシカ肉産業の中心である養鹿業は、野生のシカを減らすことに貢献しているだろうか。報告書にある養鹿農家の事例からは、それもまったく期待できないことがわかる。その農家は1970年に20頭のシカを捕獲して飼育を始め、1977年から本格的に農場として経営に乗り出した。現在は3000ヘクタールの放牧場に1万頭を飼育している。農場経営開始から20年間は毎年約200頭ずつ補充してきたが現在は飼育頭数が十分になり補充の必要がなくなったことと、捕獲の経費がかかることから野生個体の補充はしていない。
野生ジカは捕獲に経費がかかり、品質も均一ではなく、供給も不安定なので、経営を安定させるためにはどうしても養鹿の方向に行かざるをえなかったのであろう。そして養鹿を始めてしまえば、自家で繁殖させるほうがよほど効率的だ。仮に日本でもジビエが定着し需要が高まってくれば、シカを安定的に入手し販売できる、品質も均質に保つことができる養鹿という考え方に舵を切ることは十分に考えられる。一旦軌道に乗った経営を供給不足でふいにするわけにはいかないからだ。現に北海道では試験的な養鹿は既に進んでいる。
さらにニュージーランドのシカ肉輸出先は86%(2004)がヨーロッパとアメリカである。どちらにも肉食獣、つまり捕食者は少なく、シカは多いはずの国々ばかりである。(ドイツ、アメリカ、フランス、イタリア、ベルギー、スウェーデン、スイス、オーストリア)この国々では狩猟も盛んなはずだが、それ以上に輸入をするほど需要が旺盛なのだろうか。それとも、狩猟による国内供給が少ないのだろうか。
日本がニュージーランドのようにシカ肉の輸出国になれるかどうかは疑問だが、仮にこのままシカ肉需要の拡大が進むとしたら、日本がやがてジビエ需要を賄うためにヨーロッパ各国のように安いニュージーランドのシカ肉の輸入国になる可能性は高い。
5. ジビエは自治体の財政を悪化させるのではないか?
以上のように、狩猟者に十分な報酬がいくように図れば価格は高くなる。価格を安くしようとすれば狩猟者への報酬は十分ではなくなる。その2者を調整するのが行政からの支出である。また流通のためのインフラ整備、処理施設の建設に運営、管理捕獲に関わる手当等々、行政に期待されるものは資金補助であり、事実全国でインフラの整備が進行しているのは補助金が出ているからだ。
2015年2月26日の日本経済新聞電子版にこんな記事が掲載された。
「和製ジビエで町おこし 富士宮市や伊豆市」
記事が取り上げたうちの一つは伊豆市が運営している食肉加工施設の話題である。伊豆市が自前で食肉加工施設を整備し、伊豆ブランドの「おいしいシカ肉」で町おこしに取り組む加工施設の収支について触れていた。「建設以来、想定された年間800頭の受け入れを達成してフル稼働中の施設なのだが、「狩猟意欲を高めたい」ために買い取り費用や施設の人件費などの支出が肉の卸販売で得る収入を大きく上回り、赤字経営を強いられている」という記事内容だ。この食肉加工施設は伊豆市としては赤字覚悟の運営である。市のホームページにあるように「食肉加工業としては赤字でも、食害の抑止策として操業を軌道に乗せたい」ということなのだが、平成23年度に開設し、24年度までの2年間で約2800万円の累積赤字を積み重ねた。(伊豆市から静岡県知事にあてた「『鳥獣被害防止総合対策交付金』で取得した施設の改善計画」より)
こうした収支にからむ記事が掲載されることはほとんどないが、この記事と同様どこでも、たくさん売るためには安くしたいが、反対に狩猟者を刺激する買取価格は高くしてあげたい、そして持ち込まれれば持ち込まれるほど稼働率は上がるが、人件費もどんどん出ていくため赤字続きである、というジレンマトリレンマに悩んでいるに違いないのである。
自治体が運営している場合、そうした状況では、自治体からの持ち出しがどんどん膨らんでいく。およそ全国を見渡して、財政収支が健全な自治体は中山間地にはありえないといってもいい。そこに追い打ちをかけるような継続的な、獲れば獲るほど増えていく負担に耐えられる自治体があるのだろうか。
結論 ジビエは問題解決にならない
以上のようにジビエ振興は行政の負担なしに普及価格の水準を実現することはできない。また供給面でも、狩猟者が増えるほどの報酬を実現することもできない。そしてシカを減らすことも生態系の回復もできないから、政策としてこれだけに依存するべきではない、というのが本稿の結論である。
消費面では、高くなるはずの末端価格が問題である。庶民的なカレーやハンバーグが普及に一役買ったとしても、それはどこかの段階で流通価格を下げることができなければ、あるいはよほど爆発的に売れることがなければ狩猟者への還元にはならない。高級なフランス料理等に国産シカ肉が多く使われるようになれば価格は高いまま維持できようが、一食に使用される量はたかが知れているし、1人の消費者が口にする頻度は極端に下がらざるを得ないので、これまた狩猟者を増やすほどの還元には程遠くなる。
供給面ではまず狩猟者への還元が少ないのが問題であろう。管理捕獲で一頭につき3万4万という報奨金を設定した地域では狩猟者の活躍が目立つという。食肉として提供して1頭あたりそのくらいの収入になるのであれば、ジビエが狩猟者への還元に役に立つといえるかもしれないが、そんな価格では市場では消費を増やすことはできず、産地間競争にも勝つことができない。安く提供するためにはどこかの段階で逆ザヤが生じる。それを補てんするのは自治体にならざるをえない。
また「資源化」を進めるには、資源は豊富でなければならない。供給が不安定ではシカを利用した産業化は覚束ないから、シカの生息密度は高いことが前提である。生態系にとってシカの適正密度は狩猟のための適正密度よりはるかに低い。そこまで減らしてしまってはジビエ産業としては獲りすぎだが、森林生態系のためにはそうしなければならない。森林生態系を守るためにシカを減らすという目的と資源化とは相反するものだということにそろそろ気づくべきである。
生態系面では、森林被害が最も重大な問題である。捕獲した獲物を食肉処理場に素早く運び込むことができる限られたエリアや、わなが仕掛けられる里山では、ジビエの食肉に使用するような狩猟はシカの頭数をコントロールするかもしれないが、狩猟の手の届かない森林ではかえってシカを高密度化させるかもしれない。それでは全国で70兆円ともいわれる森林の公益機能がどんどん失われていき、森の生き物たちも居場所を失っていく。
このようにジビエを食べれば狩猟者が増え、シカも減って万事うまくいくと期待するのは、無理というものだ。安くなったジビエを食べただけでは、ハンターは増えるどころか自治体の財政も食いつぶす。本当にジビエでシカを減らそうというなら、自治体や国に負担をかけずに供給される高いジビエを、シカを根絶させるほどの勢いで多くの人が毎日毎日、朝昼晩食べ続けなければならない。ウナギや鯛やマグロを食べているヒマはないのである。
一般社団法人 日本オオカミ協会 理事
朝倉 裕
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