富士須山古道探勝と座学の集い
山の自然学記録集 1
『富士須山古道探勝と座学の集い』
2020 年 7 月
開催主体 :富士古道を愛するJAC仲間
実施日程 :令和元年十二月五~六日
場 所 :裾野市須山大野路割烹旅館
探勝行程 :裾野山岳会ガイド
座学項目 :目次参照
発 行 : 冊子編集委員
石岡 慎介(本部科学委員、千葉支部)
大島 康弘(前静岡支部長)
岡田 輝子(関西支部財務委員長)
『今や日本は獣害列島:オオカミが山岳自然の美と尊厳を守る!』
丸山直樹(一般社団法人日本オオカミ協会)
シカ、イノシシの全国的増加が深刻な社会問題になったのは、今から約 30 年前の 1990年頃からである。増えたのはこれら二種だけでなく、他の野生動物も同様である。この増加の原因についていろいろ考えられているが、明治期の根絶化政策による捕食者オオカミの絶滅と戦後一時期 50 万人以上にまで増加した狩猟者の低減現象の影響であろうとの説が有力である。いずれにせよ、現在、シカは 400 万頭以上、イノシシは 100 万頭以上に達していると推定される。シカの生息密度が 1 平方キロメートルあたり数頭に止まるならば、森林やその他の植生への影響は目立つことはなく、その攪乱効果によって、むしろ生物多様性は高くなる。しかし、シカの生息密度が1平方キロメートルあたり数十頭を超えると自然の荒廃が目立ち始める。現在こうした地域が珍しくない。自然生態系の生物部分は、破壊が許容限界内であれば再生が可能であるが、非生物部分は一旦破壊されると再生はほぼ不可能である。シカによる破壊が、既にこの不可逆的限界を超えている地域が少なくなく、山林の保水力の極端な低下、林床からの土砂流失、渓流だけでなく、全国各地の湖沼やダムの土砂堆積、貯水能力の大きな低下、その結果として水害の規模増大の大きな要因になっていることが心配されている。シカによる植生破壊が、雨水浸食溝である“リル”を穿ち、“ガリー”に発達し、やがて本格的な谷となり、大規模災害のもととなる。こうしたシカの脅威についての警鐘は、治水砂防の専門書や環境省のポスターにもみることが出来る。
同時に、増え過ぎたシカによる影響は、同じ森林に生息する多くの生物種を衰退絶滅させている。全国的なカモシカの減少、里山への出現はシカとの種間競争に敗れたことによると考えられている。また、シカによる植生破壊は、ツキノワグマやヒグマ、イノシシから餌食物を奪い、彼らを食物の豊富な里山へと追い出している。こうして里に出没するイノシシ、クマ類は、農作物を加害し、交通事故や人身事故を引き起こす。こうした絶滅化現象は、鳥類、無脊椎動物、両棲爬虫類、魚類、ミミズのような土壌動物、菌類など、あらゆる生物種に及んでいる。
こうした不安な状況は世界遺産の富士山でも変わりはない。年間 20 万人以上の富士登山者のうち、どれくらいの人がこうした異変に気づいておいでなのだろうか。実は世界遺産もボロボロなのだが。富士山一帯のシカの生息密度は、何年も前に過密化し、1平方キロメートルあたり20頭を超えている。登山道から外れて森の中を覗いてみればすぐに分かる。ササが食い荒らされ、リルやガリーが目に入る。ただひたすら頂(たかみ)だけを目指す“サミット登山”やわき目も振らずただひたすら行程を急ぐ“マラソン登山”はもう過去のことにしたい。これからは自然に気を配る“エコ登山”を楽しみたいものである。
それでは増え過ぎたシカやイノシシを減らすにはどうしたらよいのか。行政は有力な方法として、専ら狩猟・駆除策を推奨している。ここ半世紀にわたって減少し続ける狩猟者を増やさなければならない。狩猟者増と若返りを目指して、捕獲報奨金や狩猟補助金などの優遇措置を次々と打ち出すなかで、目玉はジビエ(獣肉の食肉化)の普及がある。レストラン、食堂だけでなく、国民の食卓でどんどん消費してもらおうという狙いである。食肉化には定められた衛生基準等を満たす加工施設は、補助金をベースに現在全国で600カ所以上がつくられている。しかしどこも経営状態は良好ではない。いくら補助金を増やしても、その効果ははっきり見えてこない。それに増え続けているニホンザル、ハクビシン、アライグマ、アナグマなどはジビエには使えない。最近では、外来の小型ジカ、キョンが加わって、お手上げの状況にある。これらの野生動物には、農業者だけでなく、一般住民たちも困っている。やはり狩猟・駆除に頼る人工的管理だけでは無理があることははっきりしている。そこで、自然は自然の手でという「自然調節」を重視する考え方が浮上する。その第一は、何と言っても、強力な捕食者であるオオカミの復活である。幸いに、日本で絶滅したオオカミは日本列島の固有種ではなかった。北半球の陸上の広い地域で今も生息しているハイイロオオカミだったのである。これまでの反オオカミ論の外来種悪者説は通用しなくなった。国外からハイイロオオカミを連れてきて放せばよいのだ。
1970年代以降、オオカミの絶滅した地域への再導入や移住個体の保護による復活は北米やヨーロッパで実績が積まれ、放牧羊の捕食などのわずかな問題を除けばうまくいっている。オオカミ復活に要する財政支出は僅かなもので、年数百億円から1千億円以上の現行の対策費と比べたら極めて少額にとどまるであろう。オオカミだったら、里山から狩猟者が行けない奥山や高山にも獲物を追って行くことができる。オオカミの復活は、シカやイノシシによる農林業被害や交通事故を大きく軽減し、国民の生産と生活の安全を守ると同時に、被害防除に要する莫大な財政支出を減らし、国民経済の効率的運用が実現できるだろう。米国イエローストーンではオオカミの復活によって、エルクジカとコヨーテの生息頭数は激減し、ネズミ類や野兎の数が増え、アカギツネも増加した。シカによって食害されていた川辺のヤナギやヤマナラシなどの植生が回復し、川には魚類が増殖し、ビーバーやカワウソが戻り、多くの野生鳥類や昆虫類が戻ってきて、生物多様性は目に見えて回復した。また、川辺の植生の回復によって岸辺や川底の流水による浸食、掘削がおさまり、流れは安定し、生態系全体がシカによる破壊から復旧した。我が国でもオオカミの復活によって荒廃し続けている生態系が救われることが期待できる。
オオカミ復活(再導入)の最大の問題は、その生態や財政支出にあるのではなく、実は人々のオオカミに対する『恐れ』の感情なのである。これは間違った思い込み(誤解)が原因であり、事実ではない。実際にはオオカミは人を襲うことはなく、オオカミは怖い動物ではないのである。多くの野生動物がそうであるように、オオカミの方こそ人を恐れているのである。毎年各地で人を襲っているクマ類やイノシシ、それに犬の方がよほど怖い。人を襲うのは、狂犬病に罹ったオオカミとか、人が餌づけをして人を恐れなくなったオオカミの場合に限られることは、オオカミと共存していた江戸時代以前の山村住民はよく心得ていた。それゆえに、古来より日本の農民は、オオカミのシカやイノシシなど害獣の増殖を抑制するという生態学的役割を認識し、敬意と感謝を込めて神使として神社に祀ってきたのである。こうした農民や猟師は、オオカミは臆病で人を恐れ、人前には姿を見せようとしない動物であることをよく承知していたのである。オオカミを悪者、害獣と見なすようになったのは、オオカミ害獣観は、江戸時代でも飢饉に襲われた元禄時代の 1700 年頃からである。この時代、藩の失政糊塗のためにオオカミに失政の罪を被せたことがきっかけになって社会通念化したのである。この誤った観念は、明治政府の欧米化政策によって強化され、現代にまで伝わったというのが真相である。こうして、不幸なことに、オオカミは日本では根絶に追い込まれた。
しかし幸いなことに、欧米はじめアジアの各国のオオカミは、虐待の時代を耐え抜いてきた。中国、ロシア、南欧、東欧、中近東、ユーラシア大陸やインド亜大陸、それにカナダ、アラスカなど北米大陸などの各地でオオカミは生息し続けている。こうした生息地域からオオカミを再導入すれば、オオカミの復活は容易である。オオカミの保護が進められているのは米国だけではない。むしろヨーロッパの方が先を行っている。現在、欧州の殆どの国ではオオカミが生息し保護されているが、これらは人工的な再導入ではなく、オオカミ自身の移住による。ドイツのオオカミは、隣国ポーランドからの自然移入による。フランスでの復活は、隣国のイタリアやスペインからの移住個体による。デンマーク、オランダ、ベルギー、スイス、オーストリアなどの最近の復活オオカミは先に復活したドイツやフランス、イタリアからの移住である。
人の手による再導入は、米国の、イエローストーン国立公園(四国の約半分の面積)を含む北部ロッキー山地で 1995・96 年に実行され、カナダから運ばれた 60 数頭からいまでは1600 頭にまで増え、さらに周辺地域に分布を拡大している。周囲を海に囲まれた日本の場合、オオカミの自然移住は不可能であるから、イエローストーン国立公園・北部ロッキーオオカミ再導入事業に倣って、周辺生息地域の中国、モンゴル、シベリア、ネパールなどヒマラヤ諸国から連れてきて放すことによって実現できる。オオカミの再導入は、外交事項であるから外務省と環境省の連携事業から始まる。私的な篤志家や日本オオカミ協会の仕事ではなく、私たち民間の役割は、社会への科学的な情報提供と教育普及、オオカミ生息国との民間交流なのである。もちろん、多くの自然保護団体とともに、社会的影響力が大きい日本山岳会の仕事でもあろう。
本稿は、2019年12月5日、須走の旅館大野路での日本山岳会有志の集まりでの講演をまとめなおしたものである。稀少で貴重な時間をオオカミのために割いていただいた石岡慎介様、大島康弘様のご好意に厚く御礼申し上げます。