SDGsにはオオカミの復活保護が欠かせない

SDGs

SDGsとは

 最近、17色が円形に配置された図形の円いバッジが、政治家や経営者のスーツの襟にとめられているのに気が付いておいでの方が多いのではないでしょうか。これは、国連が進めている国際事業SDGs(SDGs:Sustainable Development Goals)をアピールするエンブレムだったのです。日本ではもちろん政府が主導し、企業、NPO、NGOなどの多くの関係民間団体が協賛して社会全体が何らかの形で実現に貢献しようと努力しているかのように見えます。岸田総理は「新しい資本主義をいち早く実現し、SDGs達成を先導する」と表明し、メディアでも、日テレ「SDGsは未来の常識」、フジTV「楽しくアクション!SDGs」、NHKTV「SDGs 未来へ17アクション」などの番組が組まれています。日本オオカミ協会でも2021年12月2日JWA理事会で話し合われ、前向きに取り組むことが合意されています。ここでは、SDGsとオオカミ復活との関係について検討したことを紹介します。

持続可能な開発目標SDGsは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継政策として2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択されました。そして、2030年までに達成すべきとされる国際目標です。(後掲:SDGsとMDGsの比較は表1参照)

両方とも持続的でより良い世界を目指していることに関しては同じです。SDGsは、17のゴール(大目標)、169という多くのターゲット(細目標)から構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。MDGsは後進国を対象に策定されたのですが、SDGsは発展途上国のみならず先進国を含めた全世界で取り組むべきユニバーサル(普遍的)なものとなりました。日本も、政府が主導してこれに積極的に取り組んでいます。国連広報室は「SDGsとは、すべての人々にとってよりよい、より持続可能な未来を築くための青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します。SDGsの目標は相互に関連しています」と説明しています。

SDGsのターゲットとして設定された17の目標は次の通りです。

目標1 あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ

目標2 飢餓をゼロに

目標3 あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する

目標4 すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する

目標5 ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る

目標6 すべての人々に水と衛生へのアクセスを確保する

目標7 手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネルギーへのアクセスを確保する

目標8 すべての人々のための包摂的かつ持続可能な経済成長、雇用およびディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)を推進する

目標9 レジリエント(強靭な)なインフラを整備し、持続可能な産業化を推進するとともに、イノベーションの拡大を図る

目標10 国内および国家間の不平等を是正する

目標11 都市を包摂的、安全、レジリエントかつ持続可能にする

目標12 持続可能な消費と生産のパターンを確保する

目標13 気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る

目標14 海洋と海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する

目標15 森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る

目標16 公正、平和かつ包摂的な社会を推進する

目標17 持続可能な開発に向けてグローバル・パートナーシップを活性化する

オオカミの復活保護とSDGs

 ところで、オオカミの復活保護とSDGsとはどのような関係があるのでしょうか。2021年現在の国連加盟国は193か国。世界の殆どの国の合意で成立したSDGsですから、国際社会で深く認識され、その達成に向けて強力な連携を持って具体的に取り組むべきことは言うまでもありません。オオカミの復活保護は、角度を変えていろいろな視点から見たとき、特定の目標に限られることなくすべてと直接間接に関係しています。主なものを採りあげてみましょう。

目標15「森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る」がすぐに目に入ります。オオカミが減少したり、絶滅したままの生態系では、その捕食を免れたシカ類やバイスン、ヤギ類などの植食性の動物が増えすぎて、森林や草原などの植生を破壊してしまいます。こうした植食動物による過食による植生破壊は、降水量の少ない乾燥・半乾燥地帯では直ちに砂漠化につながります。こうした植生破壊は、降水量の多い日本だけでなく北米やヨーロッパでも見られます。この結果、もともとの植生を生息環境にしていた野鳥や昆虫、ミミズをはじめとした土壌動物など、多くの生物が住処を失い、減少絶滅し、食物連鎖網はボロボロになり、生物多様性の低下を招いています。オオカミがいないと外来の侵入種に対する生態系の抵抗性が失われます。さらに、植生を荒らされたり失ったりした森林地帯からは土が流出したり、山腹崩壊や土石流が発生したりします。こうした土石によって、湖沼や河川は汚濁したり、河床が上がったりして、水害が発生しやすくなります。さらに、これらの土砂が海洋に流れ出すと海水の透明度を低下させて海藻群落の生育を阻害し、魚介をはじめとした海洋生物の繁殖を妨げます。これは目標14「海洋と海洋資源の保全」の具体的な内容となります。このように、生態系の強力な要(キーストーン)としての役割を果たしている高次捕食者であるオオカミの絶滅は、陸上生態系だけでなく海洋生態系にまで破壊的影響を及ぼすのです。

これだけではありません。オオカミ絶滅による森林などの植生の消失は、温暖化ガスの吸収能力を損ない、地球生態系の気候にも影響していると考えられます。これは、目標13「気候変動とその影響に立ち向かうため緊急対策を取る」に抵触します。オオカミの復活は絶対に必要なことであり、急がなければならないことは容易に理解できます。

 以上のように目標13~15が、明らかにオオカミの復活と保護に関係していることはすぐにわかります。同時に、国連広報室の説明のように「SDGsの目標は相互に関連している」こともよくわかりますそしてオオカミの復活保護もSDGsの他のすべての目標と関係しているはずです。

 オオカミの絶滅・減少により増加するシカなどの植食性動物やイノシシなどの雑食性動物は農林業にも大きな被害を発生させ、営農営林が放棄される原因にもなっています。これは日本だけの問題でなく、国際的に広く認められる現象です。農林業被害の防除には莫大な財政を必要とします。また、被害防除作業は農林業の生産効率を低下させます。このことは貧困解消(目標1)や飢餓ゼロ(目標2)達成を邪魔しています。これらは、持続可能な消費と生産のパターンの確保(目標12)に良い結果をもたらすわけがありませんし、目標8「すべての人々のための包摂的かつ持続可能な経済成長、雇用およびディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)を推進する」に負の影響を及ぼすことになります。

 以上のような強力な捕食者であるオオカミが生息していないことで無駄に消費される財政がオオカミの復活によってセーブされ、健康的な生活の確保や福祉推進に用立てられるならば、その分人々の幸福は実現に近づきます。自然、人工、いずれの生態系にあっても、オオカミの生息は人間の幸福を支えていることがわかります。それゆえにSDGsからオオカミの復活保護を切り離すことができないのです。

(記:丸山直樹)

表1.SDGsとMDGsの比較

SDGsMDGs
目標数178
ターゲット16921
指標23260
対象途上国、および先進国途上国
目標値の設定世界全体の達成目標を考慮し、国・地域レベルでのターゲット設定を推奨国・地域ごとの状況や多様性は勘案されず
指標は国・地域レベルで補完全世界共通の数値
策定プロセス加盟各国の交渉によるボトムアップ国連の専門家主導のトップダウン

参照:近年の国際開発目標をめぐる動向 ―MDGs から 2030 アジェンダへ―(国立国会図書館)

オオカミ復活をSDGsに期待

「目標5:ジェンダーの平等達成」とオオカミ復活

 ―「赤ずきん」の社会的背景

「赤ずきん」はペローによるジェンダー差別

 中世のヨーロッパ社会では女性も財産相続権が認められていました。だから、十字軍やその他の戦乱などで夫が死亡した場合、後に残った夫人が領地など一切の財産を相続し、この経済力に支えられて社会的に活動していたのです。私財を使って女性の教育を目的に修道院を設立したり、貧民の医療や生活を支える施設を用意したりといった具合です。もともと、女性の中には薬草や助産などの医療知識や技術に長けた人が少なくなく、社会的な信頼と尊敬を得ていたのです。しかし、当時、女性は差別されていました。何しろ、寒い冬であっても女性は教会内に入ることは許されず、テラスでしか説教を聞くことが許されなかったりしたのですから。

しかし、相次ぐ戦乱とペストに繰り返し襲われた中世は、女性が社会的な信望を得て地位が向上した時代でもあったのです。そして、こうした女性の社会的評価の向上は女性差別を当たり前とする当時の教会中心の神権論社会にそぐわなかったのです。そのため、女性の社会的活躍を抑圧し、家庭内にとどめる為の工夫が行われたのです。そのひとつがそうした女性教育でした。シャルル・ペローの創作説話「赤ずきん」は作者の彼自身が解説しているように、女性の道徳教育を目的にしています。家庭の外には若い女性を狙うオオカミのような男たちがあちこちにいて危険が一杯、だから淑女は家庭にとどまって家事に専念しなさいといった具合にです。

「赤ずきん」は可愛いおバカさん

 この「赤ずきん」説話が、世界各地でオオカミの生存を脅かし、オオカミを絶滅に追い込み、その復活と保護を妨げてきたことは衆知の話です。何しろ「赤ずきん」はペローが1697年に発表して以来、300年以上も人気を博し語り継がれてきたのですから。そして、この物語から人々が得た観念は「オオカミ=人食い」というありもしない思い込みであったことは今更繰り返すまでもありません。この思い込みが世界各地で人々をしてオオカミを凶獣と誤解させ、オオカミの虐殺に走らせてきたのです。それが、今日、自然にも人間社会にも計り知れない損害をもたらし続けているのですが、このことを認識している人は多いとは言えません。このため、米国でも欧州でもオオカミ保護運動が盛んな国ほど積極的に赤ずきんちゃんの正体を暴露し、その狙いに気づかせることを目的にして「反赤ずきんキャンペイン」に取り組んでいることは十分に理解できるでしょう。

寓話の登場人物やストーリーに不自然さや不合理さがあるのは珍しいことではありませんが、ペローの「赤ずきん」も、一世紀後にこれを再録したグリム童話でも同様です。主人公である「赤ずきん」は通常は可愛い女の子として描かれているのですが、実際には少々違っていたようです。ペローは、赤ずきんを母親の注意をすぐに忘れてしまい、森の中でオオカミの言いなりになって騙されてしまう、おバカな女の子として描いています。よく言っても、幼稚で世間知らず。そんな知恵の足りない幼児のような女の子をたった一人で危険な森の道に使いに出したお母さんも軽薄で思慮が不足している女性で歯がゆいばかりです。老女が一人で森の小屋で臥せっている筋立ても奇妙です。まるで姥捨を連想させます。そして、少女も老女もあっさりオオカミに食べられてしまう結末。総じて、女性は愚かだと決めてかかっているかのようです。これではあまりにひどすぎるということでしょうか、グリム版ではさすがにオオカミはやっつけられるというアレンジが施されていたりしますが。森の描写も気になります。

繰り返しますが、この恐ろしくて不愉快で不条理なストーリーには作者のペローの強い意図があることはすぐに見て取れます。その意図とは、女性を家庭内につなぎ止め、その社会的な活動を非難し、性差別を肯定して、これを社会的に普及する目的で創作されたのです。男女を問わず、このことを知っている人はどれほどおいででしょうか。

「赤ずきん」と階級性

「赤ずきん」の解説は数多く様々ですが、当時の社会的背景と関連付けたものは僅かです。その中で文学者である鈴木晶氏(1986:http://folio.daa.jp/03/feature/aka/aka_01.html)は当時の社会との関係を鋭く解説しています。「民衆が生んだ物語で語られるもともとの赤ずきんはもっと賢く、自分の力で自分の身を守ったのです。それを、男の保護が必要なかよわい少女に仕立てあげたのはペローであり、グリムなのです。ペローの『赤ずきん』は、当時から現代にいたる近代という時代に特有の、女性や子どもにたいする偏見に裏打ちされたイメージなのではないでしょうか」

鈴木氏紹介のマリアンヌ・ルンプ(1955)の研究によると、「農民版の『赤ずきん』に登場する狼は『人狼』であって、本物の狼ではなかったのです。16、17世紀フランスでは、男性を対象にした人狼裁判が流行しました。残されている夥しい裁判記録によれば、その罪状はたいてい、狼の姿になって子どもを食ったというものです。当時の人びとは森には邪悪な魔物が住んでいるとかたく信じていたのです」 

人狼であれ狼の当時のイメージはやはり凶獣であったようです。ともかく、ペローの意図はジェンダー差別にあったと考えられるという鈴木氏の指摘に同感です。鈴木氏はさらに次のように言及しています。「ペローはこの民話を上流階級向けに書き換えたのです。対象はおとなと子どもの両方であったのですが、どちらかといえばおとなに受けるようペローは工夫しました。赤いずきんというのはペローの創作です。ずきんは、16、17世紀に貴族や中流階級の婦人が被ったおしゃれ帽です。ペローが民話にこれを付け加えた理由は不明です。ただ、当時、赤は一般に罪・官能・悪魔を連想させる色でした。祖母からの贈り物としての『赤いずきん』を被るということは、この少女が(実は祖母も)最初からスポイルされていることを示唆していると同時に、この少女がなにか社会から逸脱した要素をうちに秘めており、魔女になりうる素質をもっていることを示しているとも考えられるのです。(ホーソーンの小説『緋文字』1850年を想起します:筆者)赤ずきんが狼と言葉を交わすことも、この物語を聞く当時の人びとには、赤ずきんの悪魔的な素質を感じさせたにちがいありません。そして、社会からはみ出した者は罰せられ、みずからの命によってその罪を贖わなくてはならない。ペローの『赤ずきん』には作者の女性にたいする偏見が色濃くあらわれているのです。子ども同様、女もまた誘惑に弱い愚かな生き物であり、男性が保護してやらなくてはならない。したがって、ペロー版『赤ずきん』が口承版あるいは農民版のそれを駆逐しつつ全世界に広まったことは、社会史的にみてひじょうに大きな意味をもっているといえるでしょう。グリムは、ペローによって貴族・上流ブルジョワ向けに書き換えられた物語を、さらに、ブルジョワ的に書き直したのです。以降、19世紀を通じてこの物語は、子どもはおとなの言いつけに従うべし、女は男に服従すべし、というブルジョワ・イデオロギーの強力な道具として用いられ、多くの作家たちがそれに合わせてさらにブルジョワ的に書き換えていくことになります。農民が生んだ『赤ずきん』とペロー以降のそれとの間には、近代と前近代との大きな断絶があり、ペロー=グリムの『赤ずきん』はこの近代の産物に他ならないのです。グリム『赤ずきん』が愛されてきた歴史は、子どもの自然な成長が歪められ、女性が差別されてきた歴史であり、近代という病が生んだ『赤ずきん症候群』なのです」以上は鈴木晶氏の解説です。鈴木氏に殆ど異論はありませんが、ペロー=グリムの「赤ずきん」がオオカミ冤罪を捏造したことを指摘していないのは筆者としては残念に思います。

「赤ずきん」に潜む魔女観

ペローが「赤ずきん」を発表した時代は、中世末から近代初めにかけての魔女狩り時代の末期に重なります。ペロー=グリムの「赤ずきん」のストーリーは、この非合理かつ邪信そのものであった教会裁判としての魔女狩りの影が差しているように見えます。このストーリーでは、赤ずきんと祖母は社会から排除されるべき魔女であるかのように仄めかされ、二人の女性を食べるオオカミは悪が宿る森の象徴として描かれているのです。ペローの解説では、オオカミは女性を誘惑する遊び人の男達のことですが、後にオオカミを人食いの凶獣とする冤罪を生み出すまでの通念へと発展します。もちろん、当時も盗賊やオオカミの住む森はいつまでも神の光の届かぬ百鬼夜行のひそむ不可解な自然と信じられていたのでしょう。森の中の魔女の集会場サバトの観念もそうしたものの一つだったのです。戦乱とペストに繰り返し襲われた中世は伝統的な価値観が衰退し、医薬の知識に秀でた女性の地位が社会的な信望を得て向上した時代だったことが知られています。そして、こうした女性の社会的信頼は女性差別を当たり前とする当時のキリスト教社会にとっては好ましくないとして、不条理極まりない女性の魔女観を社会的に決めつけたのです。

しかし、奇妙のことには、合理的思考を重視するデカルトやベーコンなどによって16世紀に興隆した思想である機械論に支えられているという点です。この近代思想は合理的思考を重視しながら伝統的で非合理的な神権論的価値観を受容し、自然(森)と女性の支配・征服を正当化していたのです。すなわち、中世を通じて揺らぎ始めていた男性優位の家父長制社会の強化復活の一端として、女性の社会的な待遇を貶め、その活躍の場を家庭内に制約しようとしたのです。森で花を摘む赤ずきんは森で薬草を探す信頼厚い女性(後に教会の権威によって制度化した魔女裁判で魔女の烙印を押される)の姿と重なります。

「赤ずきん」を越えて 

オオカミ復活のためにもジェンダー平等実現を 

 「赤ずきん」は日本でも明治時代に紹介されて以来、絵本など多数の出版物が発行され、家庭や学校、図書館などで子供たちに親しまれてきました。それだけに今でも「赤ずきん」は根強い人気があります。出版物に加えて、幼稚園や小学校では赤ずきんちゃん劇が演じられ、各地の警察署や自治体による交通安全や防犯キャンペインの寸劇でもお馴染みです。赤ずきんちゃんは善良な市民、オオカミは市民を騙す悪のキャラクターがあてがわれます。赤ずきんちゃん劇が演じられるたびごとに悪役オオカミのイメージは普及強化されることになります。これは明らかにオオカミ復活にとって脅威です。そして、これがジェンダー劇なのだということも知らずに無邪気に母子仲良く楽しんでいるうちに、いつの間にか弱い女性というジェンダー差別のイメージが植えつけられているのは皮肉です。

 「赤ずきん」の説話には、女性支配、自然征服といった意図が隠されていること、オオカミ冤罪を社会的に拡散させる効果を持った作品であることを知ってもらうことは、SDGsの目標5「ジェンダー平等達成」に役立つだけでなく、同時に、オオカミの自然生態系における役割を正しく理解するための土台を作り、自然生態系及び生物多様性保全目標13~15の達成をも助けることを気づかせることになるのです。

 日本オオカミ協会は1993年の設立時から、オオカミ復活に関する国民の合意度を知ることを目的にして3年置きに「全国オオカミアンケート調査」を実施してきました。1993年の第1回から2006年第5回調査までのオオカミ復活賛成率は10%台を低迷していましたが、2009年第6回から急上昇し、2012年第7回では40%を超えて、期待は高まる一方でした。しかし、その後の2015年第8回、2018年第9回も40%僅かで停滞。オオカミ反対の理由を見ると、「人食いオオカミ恐怖」が40%以上であり、「赤ずきん」の影響は無視できないと考えられています。SDGsに関する理解が進むならば、とりわけ「ジェンダー平等達成」と連動してオオカミに関する生態学をはじめとした正しい科学的な知識が普及するならば、国民のオオカミ復活に関する理解度も上がることが期待されます。

オオカミと自然と人類の良い関係に向けてSDGs推進を!

 2030年のSDGs目標達成に向けて、国連および各国政府の主導のもとに、無数の民間組織や個人が協力し合って多くの事業が取り組まれています。おろそかにしてよいものは一つとしてありません。しかし、残された10年足らずのわずかな期間でどれほどが達成できるのでしょうか。実現できる部分も少なくないでしょうが、残念ながら大部分は達成できずに終わることでしょう。とはいえ、日本でのオオカミ復活は実現させたいものです。

 SDGsは、これまでの歴史の中で経験したことがない夢のある国際なプログラムです。実現を模索している最中、ロシアによるウクライナ侵略戦争がはじまったのは誠に残念と言わねばなりません。これに止まらず、世界各地に自然破壊とともに戦乱紛争があふれています。だからこそ、生命と環境のために、目標16「平和と公正をすべての人に」の達成はSDGsの要です。この努力を根底から踏みにじる、暴挙蛮行を非難し、生命の安全を脅かされることなく、SDGs達成に専念可能な社会政治環境を守らなければなりません。

SDGsへの期待とは裏腹にこれに対する批判もあります。SDGsはグローバル資本が潤うだけで国際的な貧富の格差解消にはつながらない、それどころか、かえって格差を拡大させるといった主張もあります。Sustainable(持続的)といいながら、いまだにDevelopment(開発)という用語に捉ってままでは、自然資源保全も環境保護の達成にとって理念的な限界があるのではないか。さらに深刻なのは、仮にSDGsが達成できたとしても人類は最終的には生き残れないという批判です。そこには、もっとも恐ろしい時限爆弾が仕掛けられたままだからだというのです。時限爆弾とは経済成長と人口成長の二つです。これら二つが野放しのままでは、資源の消費は止まらず、環境の汚染は極限にまで進み、結局、資源枯渇によって人類は絶滅するというのです。これに反論することはできるのでしょうか。大局的には限りある地球の環境容量に見合った成長の限界を見極め、それ以下に抑制することしか途はないのでしょう。これについての議論は一部の学者によって自然科学と社会科学の両面から既に始まっていますが、主流にはなっていません。国際組織でも取り上げられてもいません。この問題をめぐって、先進国と途上国といった国家や民族間、異なる政治体制間といった関係で国際的な激しい議論ばかりか武力紛争が発生し、議論の場を粉々にしてしまうことが恐れられているからかもしれません。しかし、だからといって、SDGsのような国際的な場でいつまでも無視し続けるわけにはいかないでしょう。着手が遅れればその分「絶滅時計」は進んでしまいます。経済成長と人口成長の制御はすぐにでも議論を始めて、2030年から始まる次期SDGsでは目標としてしっかり明文化されることを望みます。

「オオカミ復活」を次期SDGsの日本版「ターゲット」に!

陸上生態系の中で重要な生態学的役割を担っている種(キーストーン種)であるオオカミの復活を切り口にして生態系保全の実現を目標にすべきです。このためには、SDGの17のゴールの下に定められた日本の169のターゲットの中にオオカミの復活を具体的に明記し、その実現に向けての調査研究に着手することを提案します。これは政府・自治体はじめ自然保護活動に当たっている自然保護団体、学会、学校にも理解を深め、互いに連携して実現に当たることを期待します。現行のSDGsが不十分なものであっても、民主的に国民の声を集めつつ、段階的に改善を進める中で理想に接近する努力を怠らないことが大切であると考えます。

                   (記:丸山直樹)

Little Red Riding Hood Meets the Wolf Gustave Dore (1832-1883/French) Engraving Stock Montage, Inc.

ギュスターヴ・ドレの『ペロー童話集』銅版画「赤べレーちゃんとオオカミ」19世紀パリで出版

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