御用村に出口はない! 原子力、シカ、サル、アザラシ、オオカミ問題など « 一般社団法人日本オオカミ協会

御用村に出口はない! 原子力、シカ、サル、アザラシ、オオカミ問題など


最近、オオカミ導入の運動過程を見ていて、すばらしい勢いで動いていることを感ずる。それと対極にある農水省官僚と野生動物の一部の専門家が示すオオカミ導入に対する態度について考えさせられる。

福島第一原発事故は東京電力・経済産業省の一部の官僚・原子力工学の一部の研究者から成る村が引き起こし、激化させたといわれている。御用官僚は東電関係機関に天下ることによって形成され、東電の言いなりになる御用を承る。御用学者は東電と経産官僚から研究費でがんじがらめにされることで形成される。それゆえこの原子力村は東電の資本で成り立つといえる。経産官僚でも古賀茂明さんのような事実に基づいて、公務員機構改革を提言して抵抗する人達もいる。このような人達は排除される運命にある。また、原子力関係の研究者でも京大原子炉実験所の小出裕章さんや今中哲二さんのように事実に基づいて発言する研究者もいる。だが、このような方々は定年間近なのに助教のままで冷遇されている。御用官僚と御用学者は従ってかなり多くの人達を巻き込むとはいえ、両分野に事実に即して、自分の職を賭けた戦いをする人達も少数ながらいることを確認したい。

御用学者とは、大企業あるいは官僚からの要請があれば、自分の考えに合わなくても、それにあわせて意見を述べる学者だという(尾内・本堂、2011)。私はもうひとつ、自分の考えを持たなくても大企業あるいは官僚の要請に従って意見をオウムのように述べる学者も加えたい。御用官僚は大資本の都合を鵜呑みにして、あるいは自分が所属する省益のために行政の施策を実行する者達であると考える。行政は政治が行う判断に従って国民の生活を豊かにする政策を実行するのが本来の役目である。

 

◆核実験と原発事故

1960年の安保条約改定時、国内ではいろいろな動きが見られた。当時、大学院にいた私は、安保反対のデモに参加したり、学内のいろいろな集会に出席したりするのに忙しく、大学院の講義もほとんどなかった。広島・長崎に落とされた原爆は素粒子物理学者の協力なしには不可能だったわけで、物理学者の戦争協力は戦後に痛切な反省を伴っていた。1955年にラッセル・アインシュタイン宣言が発せられ、大量破壊兵器禁止の世界世論醸成が意図された。それを受けて、ラッセルが主催した第1回パグウオッシュ会議が1957年に行われ、さらに1962年には湯川秀樹・朝永信一郎らの「科学者京都会議声明」が核兵器実験・使用禁止、全面完全軍備撤廃、日本国憲法の順守を謳い、大きな話題になった。

当時、このように研究者が社会・経済・政治に発言するのは普通の出来事だった。それから見ると、福島原発事故に関する研究者の態度は極めて消極的だった。原発に政府が固執する理由は、単に発電だけでなく、原発を通して核兵器製造能力の維持にあるといわれている(平田、2011;田中、2011)。もし、これが本当なら、真実を暴き、原発を全廃させる政策を提言するなどの宣言を出すべきだろう。大飯原発の再稼動をめぐる政府の態度にはあきれる。福島原発事故の原因究明や事故の責任追及もないのに、大飯原発の再稼動に首相ら数人の閣僚で政治判断を下すという。研究者としては、東電や経産省官僚の考えを丸呑みにした首相らの態度に強い抗議の声を発する段階にあるはずだ。2005年に独立行政法人化した国立大学に飼育されている研究者では声も上がらないようだ。これも御用学者の範疇に入るだろう。私も御用学者の範疇に入らないように戦わねばならない。

 

◆ニホンジカ村はあるか

原子力村に類するニホンジカ村はあるのだろうか。あるからこそ、オオカミ協会が存在するともいえる。丸山(1993)はニホンジカの生態・社会・保全の研究をしていて、シカの個体群動態を見て、保全の具体策を提案した。1)木材需要を国内の森林資源の持続的利用の範囲内に収める。2)森林管理をシカ個体群の増大を抑制するように計画する。3)狩猟の正しい位置づけを行う。4)生態系の復元、すなわちシカ含む生物群集の保護が必要、それには排除されたオオカミの復活が必須である。現在展開しているオオカミ協会の活動の方向性を明確に指摘している。行政としてはなるべく小手先で済まそうとしている嫌なことを、あからさまに指摘しているのだ。

他方、環境省の指示に従い、道立環境科学研究センターは個体数管理を「フイードバック管理」とか「順応的管理」と称して1970年代後半から導入した(梶、1999)。その結果が北海道各地でのシカ害による森林枯死である。2010年の道内シカ推定数は65万頭、15万頭駆除目標が11万頭までしか達成できなかった。これでは、シカの増加を抑えることは不可能である。北海道猟友会会長がハンターの減少で、シカ駆除を増やすことは不可能であると断言している。打つ手なしの状況でも、個体数管理にしがみついている。環境省は国有林管理に発言できないので、丸山(1993)の1)とか2)に踏み込むことができないでいる。林野庁は知らん顔である。これでは森林破壊どころか、土壌崩壊にまで進むことは目に見えている。丸山提案を実行するためには、省庁間の壁を取っ払って総体としての取り組みがいるが、省庁からの委託調査費とか審議会委員とかでからめとられている研究者ではとてもできない、御用学者なのだから。ニホンジカ村が存在するのだ。このような日本の社会構造をぶち壊すのは国民一般の世論しかない。オオカミ協会がそれだ。

 

◆鰭脚類村もある

鰭脚類村の御用官僚では水産庁と環境省が活躍する。長いこと海の生物は水産庁管轄で、資源生物という扱いであった。したがって、トドやゼニガタアザラシがいかに頭数が減っても、保護することはない。トドが国際的に絶滅危惧種に指定されると、それに付き合ってトドが魚網に絡まないような技術的方策を工夫するとか、小手先の政策で国際・国内的圧力を削ごうとする。なぜこのような態度をとるかというと、水産庁の目的は海中の生物はすべて資源であるので、資源獲得を束縛するような政策は採らない。漁業資本の活動を縛るようなことは避けるのが行動原理である。そこから多くの面で支援を受けている水産庁官僚は漁業資本の提供する各種漁業資源利用方針を受けて、それを政策に表現するからである。2001年に鳥獣保護法でゼニガタ・ゴマフアザラシを扱うようになったので、これらの動物は環境省の所管に代わった。だが、アザラシの餌とか生息環境の管理は水産庁所管なので、アザラシの生息環境とか水産経済に関係する何らかの方策を採ろうとしても環境省は関与できない。行政として二重の網がかぶっているのだ。

1970年代からオットセイ、トド、ゼニガタアザラシを研究してきた海獣談話会とゼニガタアザラシ研究グループは省庁からの研究費を受けることなく、自弁、時に各種財団の資金で活動してきた(和田、2010)。それ故、行政が打ち出す政策に対して自由な立場で評価できたし、我々の態度は、自分たちが得た資料とその分析結果に基づいて決めることが出来た。それに対して、最近は環境省がゼニガタアザラシの委託調査を北の海の動物センターに、水産庁がトドの委託調査を北海道区水産研究所に行っている。この2つの動きは、40年近く独自に、行政から自由な立場で行ってきた我々の活動を大きく阻害している。なぜなら、我々は調査に当たり、興味を持つ人たちをだれでも受け入れ、自由に議論し、調査・研究を進め、成果を公表してきた。それに引き換え、委託調査は極めて閉鎖的で、行政の方針に縛られた調査になっており、調査報告も限定された範囲でしか分からない、時には非公開にしているからである。さらに、行政の各種審議会員は委託調査を受けた団体関係者から選ばれることが多く、行政としては好都合な人選をしている。委託調査を受けた団体だから、その主体の意向を尊重するのはごく当然の成り行きなのだ。御用学者あるいは御用団体の出現である。

ではどうするか

答えはすでに出ている。オオカミ協会流の活動を強化することに尽きる。シカ、ニホンザル、海の哺乳類など、いずれも似たり寄ったりの状況で推移している。シカ・オオカミは食う・食われるという関係にあるので、まとめて議論できるし、この頃はこれらに関係する集会では御用学者の発言は次第に弱くなっている印象を受ける。2011年に網走の野生生物保護学会に出席したが、各種自由集会は、現在の社会・経済的枠組みの中で、いわば官僚の手のひらの中でいかに工夫するかに絞られている印象を受けたが、唯一小金沢・井上両氏のオオカミに関係する集会は自然の論理に従うテーマで迫力があった。

シカ、サル、海の哺乳類ではオオカミ・シカ関係の段階には達していない。たとえば、道庁はこの4月にゼニガタアザラシ検討会を作り、2年かけてこのアザラシの駆除計画を作るという。この検討会メンバーにだれが選ばれるのかに注目している。だれがなろうとも、適当な人選が望まれる。この種の検討会の透明性を保つ(平川、2011)ために、選ばれた研究者の研究論文リストの公表(安・松本、2011)がひとつの案であろう。検討会の検討内容の早期の公表も重要な点である。また、官選検討会に対して、独自に作られた別の検討会案を公表してそれを第三者委員会が検討していいものを選ぶなどの作業ができればいいと考える。

行政とはなぜ存在するのだろうか。政治が国民のために決めたことを執行することが行政の役割だという。霞が関の官僚は行政職の試験を通った優秀な若者によって構成されている。青春の希望に燃えて入ってくるのだが、その若者は内部の官僚組織に適応することによって保身を余儀なくされるように変化する。まずは省益だ。これまで保っている事業は少なくとも維持する。天下り先あるいは大企業の利益は優先する。これでは国民のためにいかにサービスをするのかという行政とは雲泥の差になる。霞が関官僚は全く下々のこと知らないし、知る必要もない。そのことは、野生動物管理を担当する環境省とか農水省の官僚と話をすればたちどころに分かる。本来の目的たる国民へのサービスはどこかに飛んで行ってしまい、大企業へのサービスが、省益を維持することが目的になる。それ故、各審議会メンバーもそれにふさわしい人が求められる。

原発の安全審査を行う原子力安全委員会メンバーの3割近く、班目委員長も含めて、2010年度までの5年間に原子力業界から計8500万円の寄付を受けていた。委員長いわく、「便宜は一切図っていない」とおっしゃる(朝日新聞、2012.1.1)。日本の文化としてお歳暮でももらえば、何かお返しをしないと落ち着かない、贈与互酬の伝統がある。そんな日本にいて、数百万円、時には数千万円の研究費をもらっていて、「便宜は一切図っていない」と浮世離れしたことをよくもおっしゃるものだ。普通の日本人はだれも信用しない。このような浮世離れした研究者達こそ必要なのだ。

大飯原発の再稼働の政治的判断は野田首相らの最終決断に至っていない。その要因は世論の猛反発にある。行政の本来の目的たる、国民へのサービスを回復するにはやはり世論を味方につけるしかない。そうすれば、原子力安全委員会メンバーも様変わりするだろう。オオカミ協会に右へならいして、ニホンザル協会、鰭脚類協会、などをぞくぞく誕生させることが必要なのである。〔和田一雄(JWA顧問)〕

【文献】

安 俊弘・松本三和夫 2011 福島原発事故を招いた社会的要因を探る:独立な専門知による適正な評価システムをいかにつくるか。科学、81:904-913.
平川秀行 2011 信頼に値する専門知システムはいかにして可能か-「専門知の民主化/民主制の専門化」という回路。科学、81:896-903.
平田光司 2011 核の平和利用、軍事利用。科学、81:1272-1276.
梶 光一 1999 北海道におけるシカ個体群の管理。環境研究、114:78-85.
丸山直樹 1993 地球は誰のもの。岩波書店.
尾内隆之・本堂 毅 2011 御用学者がつくられる理由。科学、81:887-895.
田中利幸 2011 「原子力平和利用」の裏にある真実。科学、81:1284-1286.
和田一雄 2010 北の海獣たち:トド・アザラシ・オットセイと共存する未来へ。彩流社。



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